第二話  約束






球技大会の日以来クラスは違ったけれど吉澤さんとよく話すようになった。
廊下や下駄箱や職員室などで見かけると時間が許す限り会話に花を咲かせた。

お互い楽しかったしいつも笑顔だった。
最近起きた出来事や教師の失敗談、授業の進み具合や部活のこと家のこと。
たわいのない話でも彼女と話すことでとても楽しい話題に変化する。

彼女は冗談を言ったりなんでもないことを面白おかしく脚色したりして笑わせてくれた。
彼女といるときの自分は普段より何割増しか饒舌になっていた。

約束をしてお昼や登下校を一緒にするようなことはしなかったけど、ただ偶然に身を任せても
お互い示し合わせたかのように学校のいろいろな場所で思いがけず出会うことが多かった。

隣のクラスとはいえ授業の時間割が違えば行動パターンも違ってくる。
休み時間にトイレに行くときや朝慌しく教室に駆け込む寸前など
驚くほど絶妙のタイミングで視線の先に吉澤さんがいた。
そして彼女の視線の先にも私が。

いつだったか彼女も同じようなことを言って腕を組みながらしきりに感心していた。
あまりにもよく会うからとくに約束めいたことはしなかった。
それほどに吉澤さんとはしょっちゅう顔を合わせた。



「おー、後藤さん。どこ行くの?」
「化学室。吉澤さんは体育みたいだね」

次の授業への道すがら、やはり今日も吉澤さんに会った。
彼女はジャージ姿でタオルを手に持っている。

「そうそう。化学かぁ、あたしの一番苦手な科目だ」
「私はそうでもないかな。好きでもないけど」
「あの先生さ、ちょっとわかりにくくない?授業」
「ただ教科書の丸写しをずっと黒板に書いてるだけだよね」
「そうなんだよ!あれじゃわからないって、絶対。あ、でも後藤さんはわかるのか…」
「あはは。私も教科書丸々覚えてるだけだよー。理解なんて実はしてないのかも」
「なーんだ。あたしと似たようなもんじゃん」
「そうかなぁ?」
「そうだよ」
「うん。きっとそうだね」
「ふはっ。後藤さん、納得するなよー。あたし化学なんて全然できないんだからー」
「あー!もうっ吉澤さん、からかわないでよー」

それほど小さい学校ではないのに、というより生徒数はかなりのものだし
端から端まで歩いたらクタクタになるような学校なのに
なぜこんなに吉澤さんと頻繁に顔を合わせるのか不思議で仕方なかった。

確率的にはどれくらいなんだろう。
その数字を出す方法すら見当もつかなかったけどきっとそう高くはないはず。
でも会えばこうしていつまででも話していられたし
とにかく楽しかったから深く考えずにただ偶然の一言で済ませていた。

「それにしても本当によく会うよね」
「うん?後藤さんあたしと会うの嫌なの?」
「そういう意味じゃないよー。なんていうか偶然がこんなに続くのってありえるのかなって。
 吉澤さんに会いたくないとかそんなこと全然思ってないし…」
「わかってるって。またちょっとからかってみました」
「意地悪」

ちょっとしたイタズラ心が芽生えてプイッと吉澤さんに背中を向けてみた。
もちろん怒ってなんかいない。

「ごめんごめん。そんな怒らないで?」
「吉澤さんひどいよ…からかってばかりで」
「えー!そんな、そんな傷つけるつもりはなかったんだよ〜。
 後藤さんといると楽しくてついからかいたくなるっていうか…あぁ何言ってんだろ。
 全然弁解になってないね。とにかくごめーん。謝るから顔見せてよー」
「ふふっホントは怒ってないよー。吉澤さんがからかったお返しだもん」
「なんだよ〜。でもよかった、後藤さん本気で怒ったかと思ってヒヤヒヤした」
「これに懲りてあんまり人をからかわないように!」
「ハイ、先生。了解しました」

うやうやしく右手を額に添えて敬礼する姿が面白くて大笑いした。
吉澤さんと出会う前は学校でこんなに笑うことなんてなかったな。
そう思うと急に、彼女への感謝の気持ちが込み上げてきた。

「でも偶然にしてはホント、後藤さんの言う通り続きすぎだよね」
「でしょ?」
「うん。もしかしたらさ、偶然じゃないんじゃない?」
「えっ吉澤さんって私のストーカーなの?」
「ちっがーう!人聞きの悪いこと言うなー」
「あはっごめんなさーい」
「後藤さんこそあたしのストーカーなんでしょ」
「もうっまたそうやってからかうし」
「お互いストーカーだったら面白いよね」
「面白いっていうか意味わかんないよ。誰か教えてあげてって感じ?」
「たしかに」

笑いながら吉澤さんは腰に手をあてた。
曲げたり伸ばしたりして具合を確かめている。

「腰もういいの?」
「うん!すっかり…とは言えないけど。でもいい加減体育で見学するのも飽きたから
 そろそろ体動かそうかなって。今日はサッカーだし」
「だめだよそんなの!ちゃんと治さなきゃますますひどくなるよ?見学したほうがいいよ」
「うーん。でもホント、前よりマシになってるから。無理しない程度にね、軽―く。
 大丈夫だよ。皆もやりたかったらやればいいじゃんって言ってるし」
「絶対だめだって!吉澤さん自分の体なんだからもっと大切にしなよー。
 マシになってるじゃだめでしょ?完璧に治してからサッカーでも部活でもすればいいじゃん。
 油断してるとまた痛めるよ?ヘタしたら前よりもっとひどくなるよ?」
「そうかなぁ……。そうだよねぇ、後藤さんに心配かけちゃうし。やっぱり今日は見学する」
「うん。そうしたほうがいい。私が勝手に心配してるだけだからそこは気にしなくていいよ。
 でも本当に無理はしないで。せっかく治りかけてるんだから。約束だよ?」

吉澤さんは素直に頷いてタオルを肩に掛けながら髪をかきあげた。
色素の薄い髪や肌や瞳が陽の光にさらされて視界から消えてしまいそうになる。

ふいに理由のわからない寂しさに襲われて、制服の裾をギュッと握った。

「心配してもらえるって…いいね」
「え?」
「後藤さんに言われるのと他の友達や親とかに言われるのとじゃなんか違う気がする。
 同じように言葉を掛けられても後藤さんからだとなんか嬉しくなって素直になれるんだ。
 なんでかよくわかんないけど」
「そう?私も嬉しいな。心配のしがいがあるよ」
「なんだそれー」
「えーいいでしょー?」
「心配のしがいってねぇ」
「本当は心配なんてさせてほしくないんだけどね」
「ハイ、先生。すみません」

手を叩いたり肩を揺らしたりしながら笑いあって、それぞれの授業に向かった。
吉澤さんと話をしている時間は一日のうちでごくわずかだ。
けれど会って話して楽しい気持ちになるその余韻は時間が経ってもずっと後を引いた。

それこそ一日の終わりにベッドに入って寝る直前まで幸せな気持ちでいられる。
そうしていつしか彼女とのお喋りを反芻したり次に会ったときには
何を話そうかと考えたりする時間が、一日のうちの大半を占めるようになっていた。



つまらない化学の授業を聞きながら先ほどの吉澤さんとの会話を思い出していた。
時折ノートを取りながら窓の外を打ち見る。

廊下側のこの席からはグラウンドのほんの片隅さえも見えない。
けれど生徒たちの賑やかな声は絶え間なく聞こえる。
外の楽しそうな声と中の静まり返った雰囲気とのギャップに
多少の理不尽さを感じながらも、つまらなそうに見学をする吉澤さんの姿を想像しては
教科書で顔を隠しながら声を出さずに笑った。

「あ」

ふいに後ろのほうから声が漏れた。
そっと振り返ると右斜め後ろの席のクラスメイトが鼻を押さえていた。
そして困ったように目をキョロキョロと動かしている。
私の視線に気づいて何か言いたそうな表情をした。

「どうしたの?」

ボリュームを最小にした声で尋ねると押さえた鼻からノートの上にポタリと血が落ちた。
隣の席のクラスメイトは机に突っ伏してピクリともせず軽い寝息を立てている。

「ティッシュないの?」

再び尋ねると首をコクリと縦に振った。
ポケットからティッシュを取り出し後ろ手に渡した。

「後藤!」

突然名前を呼ばれ、それに驚いた教室全体が何事かといっせいに顔を上げる。
それまでの教師の口調とは明らかにトーンが違っていた。
こちらを見ながら手についたチョークの粉をパンパンと音をさせながら払っていた。

「授業中に後ろを向いてるんじゃない」

それだけ言うとチョークを手に取りもう片方の手に教科書を持った。
背中を見せまたつらつらと黒板に何かを書き出す。
チョークのカツカツという音が一定のリズムで聞こえていた。

視線を感じて、それが鼻血を出したクラスメイトだとわかってはいたけれど
また教師の目に留まりいらぬ誤解をされたくはなかったから振り返らなかった。
事情も知らずに注意をした教師の勝手な振る舞いに少し嫌な気分にさせられていた。

静けさを取り戻した教室ではチョークの音とノートを取る音だけが存在している。
教科書を見ても黒板を見ても窓の外を眺めても胸のわだかまりは取れず
授業にも集中できないでいた。
ほんのちょっとしたことで自分の気分が上下することに言い知れないいらだちを覚え、
そしてそのことに疲れも感じていた。

「よしざわー!!」

遠くのほう、おそらくグラウンドで生徒が叫んだ。
その声はこちらに届く頃には小さな、聞き取りにくいものになっていたけれど
私の耳にははっきりと『吉澤』と聞こえた。

「こっちのチームに入ってくれよー!」

また同じ声。
対して吉澤さんからは何も聞こえなかったからもしかすると叫んでいる人物よりも
こちらから離れたところにいるのかもしれない。

チームがどうとか言われているところを見るとやっぱり見学することを考え直したのか
それとも見学しているところを無理に誘われているのか。
判断材料が少なく、私にはわからなかった。
後者であってほしいと授業前の彼女との会話を思い出しながら心配になった。

「えー!なんでー?」

不満の声がいくつかあがった。
何人かが騒ぎながらいろいろなことを叫んでいたけれど
声が混ざって誰が何と言っているのかはわからなかった。
相変わらず吉澤さんからの返答は聞こえない。

少しの間、声が途切れて再びチョークの音が耳についた。
外の様子が気になっていたけど黒板いっぱいに埋まる文字を
そろそろノートに書き写さなければとシャーペンを握り直した。
どうせ教科書にあることしか書いてないだろうけれど何もしないよりは、と机に向かう。

「約束だからってなんだそれー!」

力が入ったのかシャーペンの芯がポキッと折れた。
全神経を耳に集中させる。

「約束ぅ?!」
「はぁ!?」
「どういう意味なのー?」
「がっかりー!」

また、口々に不満を漏らす生徒の声が響いた。
彼らには吉澤さんが断った理由が皆目見当もつかなかったのだろう。
二言三言その意味を問う声もしている。
きっとこの一部始終が聞こえていただろうここにいるクラスメイトたちや教師でさえも
彼女の言った意味はわからなかったと思う。
わかるはずがない。

結局、吉澤さんの声は一度も聞こえてこなかった。
けれど私と交わした約束をきちんと守っている彼女の誠実さが伝わってきて
また私は教科書で顔を隠した。

隠しながらも目だけをひょいっと覗かせてまわりをこっそりと窺う。
黒板を意味のわからぬ記号群で埋め尽くして満足気な教師が黒板の左半分を消しだした。
教師の腕が乱暴に上下する度に文字が次々に消えてゆく。
その様子を見ながら自分のノートが真っ白であることに気づいたけれど
意味のない文字を書き写す作業のことなどすでに全く気にならなくなっていた。
勘違いをした教師に注意されたことも、いつのまにかすっかり頭から消えてしまっていた。



外からは相変わらず生徒たちの騒がしい声が聞こえてくる。
それを眺める吉澤さんの姿をまた想像し、上げかけた顔を再び教科書に隠した。










<了>


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