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あの雨の日、ずぶ濡れになったひとみと美貴は
屋上に繋がる階段の踊り場で抱き合いながら服が乾くのを待った。
寒さに震えながらひたすらお互いを温め合った。
だが水気をたっぷり含んだ服がそう簡単に乾くはずもなく、耐えかねた二人は結局真希に助けを求めた。

ありえない場所でありえない格好をしている二人を見て真希は言いたいことが山ほどあったが
虚ろな目をしたひとみと首から薄っすらと血を流して青ざめた表情の美貴が痛々しく
ただ無言で持ってきたタオルと服を投げつけるだけだった。

医務室に行くのを美貴が嫌がったため、真希は仕方なく自宅に連れ帰った。
その間ひとみは一言も喋らず何を考えているのかただフラフラとした足取りで帰って行った。
かける言葉が見つからず、真希は無言でひとみを見送った。
あれだけ激しく降っていた雨はとっくに止んでいた。

美貴の首の傷は見た目ほど深いものではなかった。
出血はとっくに止まっていたので、消毒をして大きめの絆創膏を貼っただけで済んだ。
力ない笑顔で礼を言う美貴に何をどうしたらこんな場所を怪我するのかと真希は聞いた。

「よっちゃんが激しくて」

真希は一瞬、二人はそっちの趣味があるのだろうかと考え自分でも頬が赤くなるのがわかった。

「いや、うちらは至ってノーマルだから」

真希の表情から考えを読み取った美貴は即座に否定する。

「ノーマルでこんなところ怪我しないよ〜」
「ちょっと勢い余っただけ。事故みたいなもん」
「大体女同士でノーマルって言うのかなぁ」
「さぁ」

真希の部屋のコタツで温かいコーヒーを飲みながらそんな話をしていると
美貴の顔色は徐々に生気を取り戻していた。
目をこすりこすりし、大きな欠伸をした美貴に真希は少し眠るようにすすめた。
コタツにもぐり、横になった美貴の後頭部を見ながら真希はテレビの音量を下げる。
2杯目のコーヒーを入れに台所に立つと後ろから声がした。

「ごっちーん、お腹すいた」
「眠いんじゃないの?」
「寝る前になんか食べたい」

前日の残りの味噌汁を温めている間に真希はおにぎりを作った。
手についたご飯粒を食べながらどうして美貴のためにこんなことをしているのだろうと首を捻る。
この場にひとみがいないことがよかったのか悪かったのか。
美貴のあまりにも『普通』な様子が少しだけ不気味だった。

「あ、梅だ。昆布がよかったなぁ」
「あのね〜」
「はいはい、ごめんなさい。贅沢は言いません」

数週間前、亜弥とひと悶着あったときとは別人のように美貴は明るかった。
豪快におにぎりを頬張り遠慮なく味噌汁をお替りする。
真希が呆れるほどに、いつもの美貴だった。
ただ、首の傷とひとみとの情事を目の当たりにした真希は
そのことと美貴の明るさとのギャップに不気味さを感じていた。

「肉とかないの?」

誰もが知っている美貴だった。



食べるだけ食べてお茶を飲み、満足したのか美貴は再び横になった。
真希に背中を向けて、首の絆創膏を指で押したり伸ばしたりしてしきりに気にしている。
コタツの中で真希の足と美貴の足がぶつかり、反射的に真希は足を引っ込めた。

「ミキティ」
「んー?」
「あたし来年留学するんだ」
「そっか」
「そう」

言いながら真希も同じようにコタツにもぐった。
狭いコタツの中を美貴の足が占領しているため、わずかな隙間に膝を曲げて滑り込んだ。
身を抱えるようにして入り込み、暖かさを逃さないようにする。
美貴も自分と同じような体勢で膝を丸めているのかと想像したらおかしかった。

「まっつーのことよろしくね」
「う、ん…」

歯切れの悪い返事は睡魔のせいだと思うことにした。



真希が目を覚ますとそこにいたはずの美貴の姿がなかった。
携帯で時間を確認する。どうやら2時間近く眠っていたらしい。
まだ少し覚醒しない頭でぼんやりとしていると水音が聞こえた。
そういえば、と雨が降っていたことを思い出す。
同時に下着姿で抱き合うひとみと美貴のことを思い返した。
あんな場面を見るくらいならことの最中に出くわしたほうがマシだったな、と真希は思う。
まだ幸せだった頃の2人のその最中のほうが。

「あ、起きた?」

台所から湯気の立った器を持って美貴が顔を出した。
コタツの上に器を置き「箸忘れた」と言いながらまた立ち上がる。
箸と水の入ったグラスを両手に持って戻ってきた美貴は
パシンと小気味の良い音をさせて手を合わせ、「いただきます」とはっきりした声で言った。

「なんで?」

美貴がフーフー言いながら麺を口に入れようとしたそのとき、ようやく真希が言葉を発した。

「なんでラーメンなんて…えっ?作ったの?」
「お腹すいたから」
「さっき食べたじゃん」
「だってお腹すいたんだもん」

真希を尻目に、髪をひとつに束ねた美貴は豪快に食べ始めた。
猫舌の真希には信じられないほどのスピードで。
美味しそうに食べる美貴を見ているうちに真希は少し口寂しくなった。

「ミキティ、一口ちょうだい」
「やだ」

あっさり却下されて、誰のラーメンだと思ってんのさと文句を言いつつ真希は台所に立った。
途中で一度伸びをして体をほぐす。
冷蔵庫の中をしばらく眺めてチョコを取り出すと口に放り込んだ。
結露で濡れた窓を手で拭い、なにげなく外を眺めた。

「あれ?」

てっきり雨が降っていると思い込んでいた真希は外の様子を見て思わず大きな声を上げた。

「どしたー?」
「雨、降ってると思ったら降ってなかった」

チョコの箱を左右に振りながら真希はコタツに戻った。

「とっくに止んだじゃん」
「いつ?」
「よっちゃんが帰ったとき」

最後のスープを啜ってから美貴は満足気に鼻をかんだ。
先ほどの水音はラーメンのせいかと真希は納得してまたチョコを食べた。
ホントに一口ももらえなかったことにがっくりと肩を落とす。

「それにしてもミキティよく食べるね」
「お昼食べてなかったし、それに…」
「やりすぎてお腹減った?」
「そうそう」

真希の持ってきたチョコに手を伸ばしながら美貴は笑った。
まだ食べるのかと半ば呆れ気味に真希はチョコを譲る。
次々と美貴の口に消えていくチョコを見つつ、また肩を落とした。

「ミキティさぁ、一体何がしたいの?セックスだけじゃないでしょ?」

できるだけ明るい口調で、真希は一番聞きたかったことを口にした。
美貴が亜弥を傷つけ、ひとみと話したあの日以来ずっと気になっていたこと。美貴の真意。

「ごっちんってうちらの中で一番大人だよね」
「はあ?」

しかし真希の問いかけには答えず美貴はテレビに目をやった。
美貴に大人だと言われても真希にはぴんとこなかった。
ひょっとして美貴は自分のことを子供だと言いたかったのだろうか。
何をしたらいいのか判らない子供。何がしたいのかさえも見えていない、子供。
だがそれも真希の想像に過ぎない。

「よっちゃんの相手ってどんな人?」
「………」
「見たことある?綺麗?」
「さあ。よくわかんないけどミキティも綺麗だと思うよ」
「ミキティ、も、ねぇ…」
「あ、いや見てはないんだよホントに」
「よっちゃんが面食いなのは今に始まったことじゃないから」

口の中で溶けるチョコは甘ったるく、でもほんのりと苦味があった。
ずっと遠い昔に味わった初恋がたしかこんな感じだったと真希は思い出していた。

「ミキティさ、よしこの相手が誰なのか気にしてたじゃん?」
「そうだっけ?」
「……もしかして、あれってフリだったの?」
「………」
「ホントはただまっつーを」
「ごっちん」

美貴はチョコの包み紙を指で弄くりまわしながら楽しそうに話し出した。

「よっちゃんとやりまくってるとね、何もかも忘れられて気持ちいいんだー」
「爽やかな顔ですごいこと言うね」
「体ももちろんだけど頭もね、なんかパーっとスパークする感じで」
「なにそれ」
「女同士のセックスなんてなんの生産性もないのにどうしてあんなに気持ちいいんだろう」
「それは相手がよしこだからじゃないの?」
「そ。だからまだまだ美貴はよっちゃんを離さないよ」
「あはっ。よしこも大変だ」

美貴の調子に合わせて真希はわざと明るく振舞った。
何もかも忘れたって何も解決しないことは判っているだろうに。
それとも今だけ忘れられればいずれは良い方向に向くのだろうか。
もしかして解決しなければならない問題なんて、もうとっくにどこかに消え去っているのだろうか。
そんな都合のいいこと、あるはずがないか。

頬を赤らめながらひとみとのことを話し続ける美貴を見ながら真希は思う。
しばらく美貴のやりたいようにさせておくべきなのかもしれないと。
美貴の心の中でふつふつと溜まった感情が今は性欲に向いているのなら
それが美貴を表向き正常に保たせているのならばやるだけやって発散すればいい。
ひとみには悪いが今の美貴を止める気にはならなかった。

これは美貴の復讐のようなもの。
自覚があるのかないのかわからないが美貴はひとみを精神的に
そして肉体的に追い詰めようとしているのかもしれない。
それでもひとみが好きという気持ちに変わりはなさそうだ。
これが真希にとっては不思議でならなかったし理解しがたいことだった。

感情の行き場を持て余した美貴とその報いを受けなければならないひとみ。

二人のことを心配しながらも、自分には結局何もできることがないのだと
真希は再びコタツにもぐりこみ、テレビを見ながら高笑いをする美貴の声を聞きながら眠りについた。



 * * *



待ち合わせの場所に向かう途中、真希は思いついて駅前の本屋に入った。
時間に余裕はなかったが提出期限が迫っているレポートの参考資料があればと、ふらっと立ち寄った。
書架の間を縫うように歩き目的のコーナーに到着する。
良さそうなタイトルの本を手に取りぱらぱらとページを捲った。

ある章が目に留まり注意深く読んだ。
10分ほど立ち読みをしてあまり役に立ちそうにないと判断しまた棚に戻す。
携帯を見て完全に遅刻だと思いながらも焦らずに雑誌コーナーに足を向けた。
少しくらい遅れてもどうってことはないと店内を歩いていた。

そこにひとみがいた。

男たちの集団の中にぽつんと。やけにバタ臭い顔の、全身を古着で固めた女がバイクの雑誌を読んでいる。
真希は呆気に取られて無言で近づくと熱心に読みふけっているひとみの後頭部を叩いた。

「イテッ」
「なんでこんなとこにいるのさー!」
「あ、ごっちん。いきなり何すんだよ。ひでーなー」

雑誌を片手に後頭部を押さえたひとみは口を尖らして文句を言った。

「つーか約束の時間過ぎてるでしょ。こんなとこで暢気に雑誌読んでないでよ」
「え…あ、ホントだ。いつのまにかこんな時間か。やー時が経つのは早いですねー」
「まったくもう」
「あれ?そういうごっちんこそ、こんなとこで何やってんだよ」
「あ…気づいた?」
「なんだよ!最初から本屋で待ち合わせればよかったんじゃん」
「それはちょっと違うような…」

話しながら真希とひとみは本来の待ち合わせ場所であるオープンカフェに向かう。
天気が良く、秋風が気持ちのいい午後だった。

ひとみがミルクティーを注文すると真希は少し迷って同じものを頼んだ。
大学から程近い、駅前通りからひとつ外れた道沿いにあるその店は平日でも多くの学生で賑わう。
自家製のモンブランが女性客を惹きつけ、それに群がるように男性客が集まる。

「こんなに混んでるのになんでこの席空いてたんだろうね」
「あんまり可愛い子いないからだろ」

ミルクティーを飲みながら失礼なことを言うひとみを真希は軽く睨んだ。
睨みつつも店内を見まわしてオープンカフェの席が空いていたことに納得した。

「ほらな」
「やっぱりこういうところって人を選ぶのかなぁ」
「そりゃそうだろ」
「さすが男前。ていうか基本的に美人だもんね、よしこ」
「いやいや、あたしなんてほら、今日のジーンズ破れてるし。全然女っぽくないから。
 ごっちんのその美味しいそうな美脚のおかげでしょう」

スカートから伸びた足を見ながらひとみはニヤニヤした。
破れたジーンズからちらほら見え隠れする白い素肌もなかなかのものだと真希は思う。

「あたしに欲情してる暇なんてないでしょ?」
「どういう意味だよ」
「そのまんまの意味だよ」

真希がひとみと会うのはあの雨の日以来だった。
あの日に借りた服を返すとひとみからメールがあり約束をして今ここにいる。

「ほい。これサンキュ」

洗濯をしてきちんと畳まれた真希の服が紙袋に入っていた。
その中に小さな袋があり、取り出してみると甘い匂いがした。

「亜弥が、いっぱい作ったからごっちんにって」
「やったー。まっつーのクッキー美味しいんだよね」
「そうかぁ?甘いだけじゃん」
「よしこは甘いの苦手だもんね〜」

ミルクティーを飲みながらひとみは軽く頷いた。
ぼうっと通りを眺めるひとみを見ながら真希は美貴の台詞を思い出す。


『まだまだよっちゃんを離さないよ』


美貴とひとみの関係はあれから少しは改善したのだろうか。
この場合、何を持って改善したと言えるのか真希自身もよくわかっていなかったが
とにかく何かが良い方向に向かっていればと祈るような気持ちでいた。
元はといえばひとみの自業自得ではあるのだが
何もできなくとも話しくらいは聞いてやろうと真希は椅子に座り直した。

「最近どう?」
「ん〜疲れやすい。やたら眠いし」
「やりすぎなんじゃないの」
「たぶんそう」
「ミキティ激しそうだもんね」
「あっちも負けてなくて」

あっちとはひとみの新しい恋人のほうだと真希は理解した。

「溺れてるんだ」
「もうどっぷり」

穏やかな昼下がりにする話じゃないなとまわりを気にしつつ真希は話を進める。
しれっと答えるひとみもひとみだと思った。

「石川さん…だっけ?バレてないの?」
「どうだろう?イマイチ何考えてるのかよくわからないんだよな、美貴もだったけど」

わからないのではなくてわかろうとしないからではないかと真希は思った。
ひとみの脳内を占めているのは妹のこととバイクだけだと以前美貴が言っていた。
そこまで単純じゃないにしても、仮にも付き合ってる相手のことに
ひとみがあまり執心でないのは事実であるような気がした。
会ったこともない『石川さん』に真希は同情する。

「ミキティとはセックスだけ?デートとかは…」
「するわけないじゃん」
「だよねぇ」

それこそ二股だ。しかも片方(美貴)が公認している。
笑えない冗談みたいな話だと真希は思った。

「なんか不憫だよねぇ」
「どっちが?」
「全員」

ひとみも含めた全員が気の毒に思えてならなかった。
真希からすれば不健全で不合理で不愉快極まりないこの関係を
3人中2人は承知の上でだらだらと続けているのだから心底おかしな話だと思う。
なぜ出口が見つからないのだろう。見つけようとしないのだろう。

「よしこさぁ」

言いかけた言葉を真希は寸前で飲み込んだ。
それを言うのは今のこの疲れきったひとみにはあまりに酷なような気がしたからだ。
だがその真希の気遣いもひとみの一言であっさりとなかったことになった。

「あたしあんま本気になったことないんだよねぇ」
「今それ言おうとしたんだけど傷つくかと思って言わなかったのに」
「あん?なんで?言えばいいじゃん」
「さすがに酷いかと思って」
「なんだよ他人行儀だな。変なごっちん」

変なのはオマエだろ、という言葉を今度は飲み込まなかった。
きょとんした顔でこちらを窺うひとみが亜弥とダブって笑えた。

「最初はちゃんと好きなんだよ」
「うん」
「でもなんかそのうち…」
「好きじゃなくなるの?」
「つーかなんで一緒にいるんだろうって思うときが…」
「………」
「なんか急に、ふとした瞬間に、醒めるときが…あったりする…」

真希はひとみの恋愛遍歴をいちいち熟知しているわけではない。
でも亜弥や美貴、ひとみ自身から語られるそのエピソードの数々にあまり幸せなものはない。
憎まれたり恨まれたりロクな別れ方をしてこなかったひとみ。
歴代の恋人たちはさぞ苦労したことだろう、と真希は他人事のように聞いていた。
美貴がひとみと付き合いだす前までは。

「自覚してたんだねぇ、よしこ」
「ん、薄々は」
「ミキティは別格だよね?」
「え?」
「それでもまだよしこは」

なぜか懇願するような口調で真希は続けた。念を押すように。

「ミキティのこと好きなんだよね?」

首に絆創膏を貼って美味しそうにラーメンを食べる美貴の姿が思い出されたから。


しばらくの沈黙の後、ひとみはゆっくりと口を開いた。

「わかんねぇ」
「は?」
「わかんないよ。もう、何がなんだか」

なんとなく肩透かしを食った真希だったが最悪の答えだけは回避できたことに安堵した。
第三者の立場でいようと、何ができるわけでもないと真希はこれまで静観する構えでいた。

「わかんないじゃないだろ、考えろバカ」

だが絆創膏を気にして首をかく美貴がやけに瞼の裏に焼きついて離れない。
亜弥のクッキーの匂いがいつまでも鼻腔をくすぐる。
ひとみの破れたジーンズから覗く素肌があの雨の日を思い起こさせる。

そのすべてが自分の背中を後押ししているような気がした。

「ちゃんと考えて、はっきりさせろ!」

美貴もひとみも救いを求めているのだと感じた。











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