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ひとみが戻ると不機嫌面の梨華が亜弥と同様に玄関で仁王立ちをしていた。

「まさかずっとここにいたの?」
「まさか。鍵を開ける音が聞こえて、ベッドから走ってきたの」

答える梨華の肩がやや上下している。
よっぽど慌てたのだろうとひとみはおかしくなった。

「だからってさぁ、ちょっとはなんか着ろよ」

靴を脱ぐ間も与えず梨華がひとみに唇を押しつけた。
ひとみもそれに応え梨華の素肌の背中を両手で撫でる。
互いに口腔内を味わいピチャピチャと音をさせながら唇を舐めまわす。
ひとみの中の熱が高まってきたところでふいに梨華の唇が離れた。
白い糸が一瞬で消える。

「梨華?」
「………」
「コラコラ。その気にさせといてお預けはないでしょう?」
「…女の匂いがする」
「そりゃそうだろ。あたし女だし」
「よっすぃとは違う匂い」

梨華にそう言われひとみは思わず腕の辺りの匂いをクンクン嗅いだ。
微かに甘い香りがした気がするがそれが何かと問われてもわからない。
美貴か?亜弥か?それともクッキーか?
どんなに鼻の利く犬だってこの匂いの原因を突きとめるのは難しいだろう。
そこまで考えてひとみは梨華の本当の思惑について頭を巡らせた。

「誰と会ってたの?」
「亜弥だよ。金せびられた」

カマをかけたのだろうかと思いひとみは半分嘘をついた。
もっとも始めから正直に言う気はさらさらなかったが。

亜弥を介して梨華と知り合った頃、まだ普通の友人だった頃には
ひとみは思ってもみなかったが梨華はかなり嫉妬深い。
ちょっとしたことですぐにひとみを疑い、束縛したがる。
そして疑り深いわりに考えは浅い。

ひとみの影にある美貴の存在を、結局は見抜けなかったのだから。

「亜弥ちゃんならここに呼べばよかったのに。私も会いたかったなー」

そういう梨華のどこか抜けているところを思い出して先ほどの可能性を否定する。
きっととくに考えもなしに言ってみただけなのだろう。
安心したひとみは目の前の胸をゆるゆると撫でた。

「あんっ」
「どっか行くとこがあるって言うからさ。まったく姉遣いが荒いよな、アイツ」

すぐに固くなる乳首を親指と人差し指で抓みながらひとみは梨華の反応を楽しむ。

「んっ、亜弥ちゃんって…もしかして、やぁんっ、私たちのこと良く思ってないの?」
「まさか」

深く考えてないわりに口に出す言葉が時々妙に鋭いところを突いているから侮れない。
ひとみは自分の口から出る真実ではない言葉たちがやけにもっともらしく聞こえ
嘘をついているという意識が薄れていた。
自分に都合のいいことが真実なのだと思えるほどに。

それに、本当のことなんて言えるわけがない。
ひとみが知る限り亜弥と梨華の関係は良好だ。良好なはずだった。
妹のこと、もちろん梨華のことも考えればやはり嘘をつくべきだと判断した。

「亜弥はそんなこと思ってないよ」
「そ、う?」

きっと亜弥は、もう以前と同じように梨華に接することはないだろう。
あからさまに避けるようなことはしないが積極的に関わることを拒絶するだろう。
そうして姉と梨華との関係をさもなかったことのようにして振舞うはずだ。
きっとそうする。

なかったことにしてしまう現実逃避のようなその亜弥のやり方はひとみとよく似ていた。
過去の恋人たちとのことをなかったことにしてしまうひとみのやり方に。
変なところで姉妹なのだと実感させられる。

亜弥の硬化した態度は梨華を不審に思わせるかもしれない。
その理由を巡らせていずれは美貴のことに辿りつくかもしれない。
梨華が気づかなければいいと思う反面ひとみはそれならそれで構わないとも思っていた。

ただ自分の口からは言いたくなかった。

いたずらに梨華を不安にさせたくないというよりは
面倒なことにしたくないという思いのが強い。
ただでさえ美貴とすんなり別れたとは言えないのにこれ以上の揉め事は御免だった。
何も考えずに体を重ねあっていられれば、それでよかった。

ひとみは梨華の胸を揉んでいた腕を下降させ腰のくびれをゆっくりと撫でた。

「そっか。よかった」

ひとみの首に手をまわして、梨華はタンクトップから覗く白い鎖骨に唇を寄せた。
鼻先をくすぐる梨華の髪がうっとりとした甘い香りを放つ。

「寒くないの?」
「よっすぃにあっためてほしい」

ひとみは裸のままの梨華を強く抱きしめた。
冷えきった柔らかい肌の感触。それでいて声とともに漏れる熱っぽい吐息。
むせかえるような甘い匂いに眩暈がしそうになる。
くらくらとした頭でふと視線を上げると壁にかかった鏡の中の自分と目が合った。
こちらをじっと見ている自分がひどく小さく感じてひとみは慌てて目を固く瞑った。

ひとみが再び目を開けるとエロチックな微笑みを浮かべて誘うように首を傾げる梨華がいた。
堪らなくなり唾液で濡れてつやつやした唇にしゃぶりつく。
舐めて吸って唾液を流し込んだ。
梨華の後ろ髪を軽く引っ張り上を向かせると突き出された首筋に歯をたてた。

「あぁぁ…はぁんっっ」

二人が体を重ねるようになってからまだ日は浅かったが
どこをどう攻めれば梨華が反応するか、ひとみはすでに手に取るようにわかっていた。
梨華の感度の良さも絶頂に到達するタイミングもすべて。

ここ、というタイミングをわざとずらして懇願する梨華を見るのがひとみは好きだ。
焦らして焦らしてこれ以上はもう限界というところまで梨華を追い詰める。
そうしてイッたときの顔が好きだから。
梨華もまたそうしてほしいと心のうちで願っていることがわかるから。

ひとみはどうしようもなく梨華に溺れ、そして嵌っていることを自覚している。
心の入る隙間など許さず、ただ体を欲しているだけなのかもしれないということも。

「もっと咬んでほしいでしょ?梨華」
「あぁんっ、うん、イイよ…すごくっ、ひゃんっ」

ひとみが褐色の肌に幾つもの咬み痕を作った。深く、浅く交互に。
薄っすらと血が滲む首筋から徐々にスライドさせ胸の先端に行き着く。
ひと舐め、ふた舐めしてそしてまた強めに歯をたてた。

「うあぁぁぁぁぁぁぁーっ」

咬みながら柔らかい、それでいて張りのある乳房を揉みしだき両手でこねくりまわす。
膝をガクガク震わせて立っているのがやっとの梨華の尻を片手で撫でまわし
後ろからじりじりと股の間に滑り込ませた。

すっかり濡れきっているであろうそこには、でもまだ触れない。

「んっ…よ…よっすぃ…早くぅ。もうダメ…立って、られな…」

梨華の目尻に溜まった液体を舐めながら
ひとみは自分がまだ靴も脱いでないことに気づいた。
このまま玄関先でするのも興奮するが梨華を支える腕もだるい。
数秒考えた後に梨華から片手を離した。
そしてフラリとよろめく梨華の耳元で囁く。


「ここで、四つん這いになって」



 * * *



後藤真希がその後ろ姿を見かけたとき、友人だとはすぐに気づけなかった。


学食のおばさんと他愛のない雑談をしているときに目に入ってきた人物。
自分のいる位置から少し離れた場所で所在無さ気にウロウロしている。
どこか寂しげな横顔。そのくせ着ている物は派手でやけに気合が入っている。
ミニスカートから伸びたすらっとした長い足は相変わらず綺麗だったが足取りが覚束ない様子。
酔っているのだろうかと一瞬考えた真希は、即座にその考えを否定した。
真っ昼間の大学に酒を飲んで来るはずがない。ましてや彼女は下戸だ。

フラフラと学食内を彷徨っている友人を見ながら真希は携帯を取り出した。

「もしもーし。ミキティ?何やってんのそんなとこで」
「ごっちんか。そんなとこって美貴がどこにいるのかわかるの?」
「うん、だって見えてるもん。今あたし定食のとこに並んでるの。お昼食べた?」
「あ、ホントだ」

こちらを振り返った美貴に真希は軽く手招きした。
体調が悪いのだろうかと思うほど美貴の顔色は悪く目つきはそれ以上に悪かった。
あれじゃ誰も近づかないなと真希は苦笑する。

「ごっちん、亜弥ちゃん見なかった?」
「まっつー?今日はまだ見てないよ。待ち合わせ?」
「お昼に学食で会う約束してるんだけど…」
「携帯は?」
「留守電だった」

真希の並んでいる列に向かって歩きながら美貴は辺りを見まわしていた。
心なしかその表情が怒っているときのものに見えて真希は眉をひそめた。

「ミキティもなんか食べる?」
「ううん、いらない」
「じゃ中庭の席取っといてよ。今あたし焼魚待ってるからさ」
「…あー、うん」
「じゃあよろしくー」

歯切れの悪い返事を無視して真希は至って普通に電話を切った。
友人の機嫌の悪さはどうやら相当のものだ。
長い付き合いなので少し話せばそれくらいわかる。
その理由については知る由もなかったが、自分が原因ではなさそうなので少し安心した。

順番を待ちながら誰が(或いは何が)美貴の機嫌を損ねたのか真希は考えていた。
おそらくは美貴にとって一番近しい人物であるひとみだろう。
しかし先ほどの電話の口調では亜弥に対して何かを含んでいるようにも感じられ
一概にひとみのせいだと決めつけるわけにはいかないようだ。

ただ単に鬱陶しいナンパに遭ったとか夏休みが明けて間もないこの時期特有の苛立ちだとか
本当に体調が悪いとかいう可能性も捨てきれないが。

あれこれ考えていても始まらない。
聞けば済むことだと思い直し真希はそこで思考をストップさせた。
美貴が何に対して怒っているにせよ自分に火の粉がかかることはないだろう。
このときの真希はまだそう思っていた。

美貴のことを一時棚上げにして目の前に迫った昼食に思いを馳せていると真希の携帯が震えた。
着信画面上の名前を見て「おっ」と思わず声をあげた。噂をすればだ。

「もしもーし」
「ごっちん、そこにみきたんいる?あ、いま大学?」
「そう。学食。ミキティなら中庭でまっつーのこと待ってるよ」
「そっか。ありがと」
「携帯にかけなかったの?」
「繋がらなくて」
「あっれー?ま、いいや。まっつー今どこ?」
「駅。そっちに向かってるとこ」
「そっか、じゃ後でね」
「うん。後で」

亜弥と話している間に真希が並んでいる列はだいぶ先に進んでいた。
焼魚のいい匂いが漂ってきて真希はくんくんと鼻を動かした。
匂いに刺激されて空腹感がよりいっそう高まり、真希の腹がぐぅと鈍い音を鳴らした。



「それでね、現地の人が言うにはそのちっこい棒が人類の祖先だっていうわけよ」

大学の夏休みを利用して世界中を貧乏旅行した真希は
一番エキサイティングだったアフリカでの冒険譚を美貴に聞かせていた。
長時間待ってやっとありつけた焼魚をむしゃむしゃと頬張りながら。
真希なりに元気のない美貴の気分転換になればと思い話し始めたものの
相手はちっとも乗ってこなかった。
時々、面倒臭そうに曖昧に頷くだけで心ここにあらずの状態が続いていた。

真希が長い話と昼食を終えて、ひと息ついているとふいに美貴が口を開いた。

「よっちゃんと会った?」
「よしこ?そういえば休み明けてまだ一度も会ってないけど」
「そう」
「なんかあったの?」
「聞いてないんだ」
「気になる言い方だね〜」

ようやく美貴と会話らしい会話ができると真希は身を乗り出した。
綺麗に平らげた皿や器などをテーブルの端に寄せてお茶を飲む。

「あ、新しいバイク買ったって話でしょ。夏休みにバイトしまくったらしいね、よしこ」
「………」
「はは〜ん、さては夏休みに全然遊んでもらえなかったとか。それで拗ねてるんでしょ」
「拗ねる?美貴が?」
「なんていうかさ、今日機嫌悪いよね」
「拗ねてなんかないよ。そんなわけないじゃん。シスコンの亜弥ちゃんじゃないんだから。」
「ミキティ?」
「亜弥ちゃんと一緒にしないでよ」
「………」

美貴らしくないと真希は思った。
美貴と亜弥とは高校時代からの付き合いだ。遊びに勉強にいつも3人一緒だった。
中でも美貴と亜弥は時に真希が呆れるほどベッタリとくっついて離れなかった。

極度のシスコンである亜弥が唯一姉の恋人として正式に認めたのは美貴だけである。
「みきたんにならお姉ちゃんを貸してもいいよ」と二人の仲を取り持ったのは内輪では有名な話だ。
発言の中身はともかくとして、あの姉命のような亜弥が
親友とはいえ美貴をひとみの恋人として認めたことは真希にとってかなり衝撃だった。

ひとみの相手が自分であったとしても亜弥に祝福されただろうかと考えたことがある。
べつにひとみに対して恋愛感情があるわけではない。
これから先もきっと持つことはない。
ただ亜弥が美貴を認めたようには、自分のことを姉の恋人として許しはしないのではないかと思う。

亜弥と美貴の二人の間にはある種恋人以上の繋がりがある気がしてならなかった。
親友を公言して憚らない二人だがそんな言葉さえも陳腐に思えてしまうような何かが。

だからこそ今の美貴の発言は『らしくない』と真希は思う。
今までに亜弥のことをその愛らしい容姿を妬んで敵視する連中は山ほどいた。
その多くは彼女の極度のシスコンぶりを嘲笑して時に口汚く罵った。
そんな雑音が本人の耳に入らないようにと、高校が別であったひとみに代わって
亜弥を守ってきたのは親友である自分や美貴だ。

とくに美貴はその見た目とは裏腹に正義感の強い性格である。
亜弥を面白おかしく揶揄する連中から守ってきた筆頭は美貴だ。
そんな彼女が亜弥のシスコンを、亜弥自身を馬鹿にするような口調をとったことに真希は驚き
そして裏切られたような気分にさせられた。


冗談でもそんなことを言ったことのない美貴が。
冗談でもそんな台詞を許さない美貴が。


美貴は押し黙ったまますっかり秋色に変化した中庭の木々を見つめている。
口を開くのが躊躇われるような雰囲気の中、真希は美貴の横顔を盗み見ていた。


『亜弥ちゃんと一緒にしないでよ』


ぼそっと口にしたその言葉に悪意を感じたことなど自分の気のせいであってほしいと思いながらも
何も尋ねることができないまま、真希は美貴の真意を測りかねていた。



 * * *



「はぁっ、遅れてごめ〜ん。はぁっはぁっ…途中で、事故があったらしくて、電車遅れちゃって」
「亜弥ちゃんに教えてもらいたいことがあるんだ」
「いきなり、ですねぇ、みきたん。私、お腹空いちゃってるから、なんか買ってくる」
「いいから座って。すぐ済むから」

亜弥が来るなりそう切り出した美貴の声は至って普段と変わらないものだった。
だがその口調に真希は嫌なものを感じ取った。
あんなことを言った美貴が普段と変わらないということに身の毛がよだつ思いだった。

よほど急いできたのか、亜弥は途切れ途切れに言葉を発してぐったりとイスに座り込んだ。
美貴と真希を交互に見て笑顔を見せる。
亜弥もなんら普段と変わらないように真希には見えた。

「みきたん携帯繋がらないんだもん」
「あ、そういえばそうだった。あたしとはさっき話したのに」

言ってから真希は余計なことだったかと慌てて美貴の顔を見た。
もし美貴が何かの理由で亜弥からの連絡を拒んでのことだったとしたら自分の発言はまずい。
考えすぎだとは思ったが今日の美貴は今までのようには亜弥に接しない気がして
真希は緊張の面持ちを隠せずにいた。

亜弥は事情がわからないといった顔できょとんとしている。

「さっき充電切れたから」

美貴の素っ気無い言葉を聞いて真希はいつのまにか握りしめていた拳をゆっくりと開いた。
そうしてから学食では美貴のほうが亜弥を探していたことを思い出した。
そういえば約束をしているとも言っていたような気がする。
考えすぎにもほどがあると真希はこっそり胸を撫で下ろした。

亜弥はきょとんとしたまま美貴を見つめ、美貴は相変わらず視線を木々に彷徨わせている。
さっきから感情のメーターが忙しなく動いている真希の様子には二人とも気づいていなかった。

「亜弥ちゃんこそさっき留守電だったよね」
「電車だったから。みきたんいつも言ってるでしょ?電車では電源入れちゃダメって」

電車に乗るときには携帯の電源を切るという行為を実践している亜弥に真希は素直に感心した。
美貴の言いつけを忠実に守っている亜弥と違いルールやマナーという言葉とは無縁の
彼女の姉の姿を思い浮かべた。美貴のほうがよほど姉らしい。

「ごっちん、講義ないの?」

突然、美貴が真希に尋ねてきた。
真希は一瞬何を聞かれたのかわからず数秒考えてから答えた。

「次の次にあるけど…あたし邪魔?それならどっか行くよ」
「べつにそんなことないからいてくれていいよ」

美貴の抑揚のない声が真希の勘に触った。
明らかにいてほしくないという口調の美貴に、真希は何かを言い返そうとしたが
不安そうな亜弥の顔を見て口をつぐんだ。

「でね、亜弥ちゃんに教えてもらいたいことがあるんだ」
「う、うん」
「よっちゃんの相手は誰なの?」
「みきたん……?!」

『よっちゃんの相手』と言った美貴と、その言葉を聞いて心底辛そうな顔をした亜弥を
代わる代わる見て真希はただならぬ気配を感じた。
知らず知らずのうちにまた拳を固く握っていた。

嫌な想像が真希の心の中を覆う。
ただそれはまだ美貴が亜弥までをも敵視する理由には至っていない。


『敵視』


自分で思っておきながら真希はその言葉の意味を考えて愕然とした。
美貴が亜弥を『敵視』している。
そんなありえないことが目の前で起きている。まさか、という思い。
これが夢であったらどんなにいいだろう。
たとえ悪夢であっても、夢であればいずれ覚めることができるのだから。

しばらく伏せていた顔をそろそろと上げた亜弥は下唇をきつく噛んでいた。
その仕草が彼女の姉によく似ていると真希は思った。

「みきたん、ごめんね。お姉ちゃんがバカすぎて…」
「そんなこと」

美貴の言葉を無視して亜弥は続ける。

「私はお姉ちゃんのことが好きだけど、だけどみきたんを…傷つけたお姉ちゃんは……
 そんなお姉ちゃんは好きじゃないよ…だって、私はみきた」
「そんなこと聞いてないから」

美貴が心底どうでもいいといった口調で、つらそうに話し続ける亜弥を遮った。
二人のやり取りを眺めながら真希は身動きが取れないでいた。
亜弥の言葉を遮った美貴の目はどこか空ろで口調は相変わらずきつい。
そんな美貴の様子を見ても亜弥はそれほど動揺した様子ではない。
もしかしたら亜弥はある程度予想してここに来たのではないかと真希は考えた。

「美貴が知りたいのはよっちゃんの相手。亜弥ちゃんがどう思ってるとかどうでもいいから」
「そんな…み、みきたんはそれを知ってどうするの?」
「やっぱり知ってるんだ」
「知らないっ。私は知らないもん。でもみきたんの知らない人らしいよ…」
「ふーん」

美貴がジュースを口に含み真希をちらりと見た。
真希は美貴の視線を頬のあたりで受けたことを感じたが黙ったまま。
亜弥はテーブルの下で膝に両手を置き、スカートを握り締めていた。

「ごっちんの知ってる人?」
「ごっちんも知らない。みきたん、なんでそんなこと…」
「知りたいから。どんな女によっちゃんを寝取られたのか」

美貴の口許にははっきりと嘲笑が浮かんでいた。
それがひとみに対してなのかひとみの相手に対してなのか真希には判らなかった。
亜弥である可能性も、美貴自身に向けてのものであることも否定できない。

もしかしたら真希も含めた全員に対して美貴は敵意を向けているのかもしれない。
ここに至るまでのすべての事象に、やり場のない怒りをぶつけるかのように。

そこまで考えて真希はこの場に自分がいることがひどく滑稽に思えてならなかった。
美貴とひとみの間に何があったのか真希は一切知らされていない。
亜弥との会話である程度推し量ることはできてもそれは想像であって確証はない。
とりあえず今は二人のやり取りを黙って見ているしかないのだと真希は悟っていた。
余計な口を挟まず、戦況を見守り、祈ることしか。

「ねぇ教えてよ亜弥ちゃん」

子供を相手にするような口調で美貴はにっこりと、でも嫌な笑いを浮かべた。

「亜弥ちゃんはお姉ちゃんのことなんでも知ってるんでしょ?知らないことなんてないんでしょ?
 だってお姉ちゃんに隠し事なんてされたら泣いちゃうもんねー?」
「…そういう言い方はやめて。みきたんらしくないよ」
「ふっ…あははっ。美貴らしいって何?美貴はただ聞いてるだけじゃん」
「おかしいよ!今のみきたんは私たちが知ってるみきたんじゃないみたい!!」
「どうでもいいからさ、早く教えてよ。亜弥ちゃんは知ってるんでしょ?その女のこと」
「なんでそう思うの?さっきから知らないって言ってるじゃない。私は知らないっ」
「何年亜弥ちゃんと一緒にいると思ってるのさ。嘘かどうかくらい顔見ればわかるよ」

はっきりとした根拠はないが亜弥が何かを隠していることは真希にも判る。
それが何なのかというのは考えるまでもない。ひとみの相手。
ただ美貴がなぜそこまで執拗に知りたがるのか、気持ちは理解できても
釈然としない思いが真希にはあった。
亜弥に対してなぜこれほど冷たい口調でつっかかるのか。
真希はちらりと美貴を見た。
亜弥の言うように自分たちの知らない美貴がそこにいる。
美貴の強い視線に耐え切れないのか俯いた亜弥の肩が揺れていた。

「教えてくれるの?くれないの?はっきりしてよねー。美貴これでも忙しいんだから」
「…言わないよ。でもそれはお姉ちゃんのためじゃない。みきたんのため」
「やっぱり知ってんじゃん」
「みきたんが知ったってもうどうにもならないよ。それにみきたんのためにならないと思う」
「はいはい。どうでもいいよそんなこと。どうせ亜弥ちゃんはお姉ちゃんさえいればいいんでしょ」

ぎょっとして真希は美貴を見た。
美貴は何でもないことのようにバッグから煙草を取り出して火を点けている。
亜弥の反応が気になった真希だがどうしてもそちらに顔を向けることができないでいた。

「……たん…」

泣き出しそうな亜弥の声に真希はやっと体を動かすことができた。
顔を美貴から亜弥に向けてその瞳に大粒の涙が溜まっているのを確認した。

「亜弥ちゃんはさぁ、美貴がよっちゃんと付き合うときにすごい喜んでたけどさぁ」

涙の粒がテーブルに落ちるのを横目で見ながら美貴は何食わぬ顔で煙草をふかす。

「本当は心の中で美貴に嫉妬してたでしょ」

テーブルの下で足を組みかえて美貴は続ける。

「美貴がよっちゃんとキスしたり抱き合ったりしてるの見てどう思った?
 邪魔とか思ってたんじゃないの?お姉ちゃん大好きっ子の亜弥ちゃんはさぁ。
 ひょっとして美貴が羨ましかった?
 どう頑張ったってお姉ちゃんの恋人にはなれない自分が悔しかったりして」

急に立ち上がった美貴は別のテーブルから灰皿を持ってきてそっと灰を落とした。

「笑わせるよねー。まったく」

亜弥は下を向いたままぴくりとも動かない。それは真希も同様だった。

「結局亜弥ちゃんの目にはお姉ちゃんしか映ってないんだよ。昔から。今も、これからもね。
 よっちゃんさえいれば美貴やごっちんのことやほかのことなんてどうでもいいんだよ。
 お姉ちゃんさえいればね。それでいいんだよ」
「ミキティ…」
「ねぇ亜弥ちゃん、そうでしょ?」
「ミキティ、もうやめなよ」
「いい子ぶってさ、一番汚いよね」
「ミキティやめなって」
「ごっちんも内心はそう思ってるんじゃないの?」

久しぶりに言葉を発した真希の声は掠れて弱々しかった。
美貴にはそれがうんざりしたような苦しいようなどうでもいいような声に聞こえた。

「あははっ。そんな顔しないでよ。ったく、やんなっちゃうなぁ…」

そう呟いてから講義があるのだろうか、美貴はその場を後にした。
火がついたままの煙草を灰皿に残して。











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