第九話  名前のつけられない感情






愛情をカテゴライズすることはちょっとできないと思う。

困ったことに。



「ねぇ美貴ちゃん、それ取って」
「それってどれ?」
「その手に持ってるやつ」
「はぁ?美貴これまだ読んでるから」
「ウソ。さっきから全然読んでないじゃん」
「読んでるって」
「読んでないよ。だってずっと違うとこ見てるじゃん」

なんとなーく、イヤな予感がしてあたしは自分の楽屋に戻ろうとした。
もちろん、ミキティが手にしてる雑誌にとっくに興味を失ってて
梨華ちゃんの言うことが的を射てることや、
ミキティが梨華ちゃんの言うことに反発する理由などを知った上で。
ついでに言うならミキティの視線の先にも。

「梨華ちゃんちょっとしつこいよねぇ、ごっちん」

突然同意を求められ曖昧に頷く。
席を立つタイミングを失ってしまった。

「しつこくないよ。だって美貴ちゃん、よっすぃーばっかり見てるじゃん」

たぶん梨華ちゃんに他意はない…と思いたい。
いつものお返しとばかりにミキティに意地悪したかったとか
動揺するミキティが見たかったとか、カマをかけたとか。
いやホントは確信をついてるんだけどとにかくそんなの全然ないハズだ。
純粋に雑誌が見たかったんだよね?ね、そうだよね?梨華ちゃん。
そうだと言ってくれー。

「み、み、見てないよー。
 そんな、よっちゃんをず、ずっと、なんてじぇんじぇんそんなことしてない!!」

ミキティ面白いくらい焦りすぎだよ。
意外にかわいいとこあるんだね。

「美貴ちゃんなに動揺しまくっちゃってんのー?慌てちゃってかっわいー」
「なにそれ。美貴のことバカにしてるでしょ。梨華ちゃんのくせに」
「やだ美貴ちゃん。バカになんかしてないよー。かわいいって褒めてあげてるのにー。ぷぅー」
「キショイ。頬とかふくらませないで」
「よっすぃーはいつもかわいいって言ってくれるよ?」
「………」

ミキティ今日は心なしかいつものツッコミと眼光に鋭さがないよ。
梨華ちゃんは完全に面白がってるし。
元彼女の余裕ってやつですか。

それにしても、あーなんだこの雰囲気。
居心地悪すぎ。
ここはひとつ夢の世界へ飛び立とう。
月は出てないけどもう寝る時間だもん。

楽屋に戻るのを諦めてテーブルの上で突っ伏してたら頭の上から声が降ってきた。

「ねぇごっちん、よっちゃんもよくキショイって言ってたよねぇ?」
「ん、あぁ〜そう、だね…」
「うちらの前ではよくグチってたりしたもんねぇ?」
「んん、あ〜そうだっけ…?」
「やっぱりキショイのが原因なのかなぁ」

ミキティ!反撃するにもほどがあるよ〜。抑えて抑えて。
そしてお願いだからあたしを巻き込まないで〜。

「原因ってなによ」
「なんだろね」

こういう状況ってなんて言うんだっけ。
前に圭ちゃんに教えてもらったことがあるような。


一触即発。


そうだ、まさにそれだ。
普段とはかけ離れたふたりの顔の恐さに鳥肌が立つ。
楽屋に負のオーラが漂い始めたことに気づいたのか続々と席を立つ娘。の面々。
やけに察しがいいよね、キミたち。

そんな中でおかしいくらいに日焼けしたやぐっつぁんと目が合った。

『助けてよ〜』
『ごっつぁんに任せた!』

よしこ以外の人と初めて目で会話しちゃったよ。
やぐっつぁんすごいね…。
あ、よしこと目が合った。

『ちょっと〜。この二人何とかしてよ』
『うぅ〜それはだれにも不可能です。ごめんよごっちん』
『ごめんじゃなくて〜よしこが原因でしょう?』
『ええ?そ、そうかなぁ。まあとにかくなんだ、あとは任せた!』
『ちょ、ちょっとぉ〜』

やっぱり逃げられたか。
凸凹師弟コンビの逃げ足は速い。

「ねぇ美貴ちゃん」
「なに」
「よっすぃーはねぇ、アルデンテが好きなんだよ」
「梨華ちゃん話が突然すぎてわけわかんないんだけど」
「美貴ちゃん、アルデンテ嫌なんでしょう?パスタが歯にくっつくからって。
 いつも必要以上にゆですぎるって亜弥ちゃんがこないだ話してたよ」
「ぐっ、亜弥ちゃんってば余計なことを」

開き直った梨華ちゃんは強い。
それにここのところ梨華ちゃんはなんとなく吹っ切った顔をしてるし、
どこかこの状況を楽しんでるようにも見える。
楽しむのは勝手だけど見ててハラハラするよ。
このスリリングさは心臓に悪い。

「美貴の家はオールピンクじゃないから」
「ピンクのどこが悪いのよぉ」
「落ち着けないでしょ」
「落ち着くもん」
「梨華ちゃんが、じゃなくて」

再びミキティの逆襲。
料理の腕を競い合ってもどっちもどっちだもんね。
それに餌付けするわけじゃないし。あ、でもある意味そうかも…。
まあとにかく話の矛先を変えたミキティは賢い。

「ねぇ、あたしいないほうがいいんじゃない?」

二人できっちり決着つけてはっきりさせたほうがいいだろうと、頃合を見計らって切り出した。

「いいのいいの。美貴ちゃんとはお喋りしてるだけなんだから」
「そうだよごっちん。なに気使ってんの」
「むしろいてほしいかな」

最後にボソッと梨華ちゃんが口にした言葉の意味はよくわからなかったけど、
二人が怖いくらいニコニコして言うから、その迫力に圧倒されて立ち上がりかけた腰をまた下ろした。
ないとは思うけど殴り合いになったりしたらことだし、
そういう場合に備えて第三者がいたほうがいいのかな。

あたしの場合、厳密には第三者とは言えないのかもしれないけど。

しばらく無言の睨み合いが続いて、といっても梨華ちゃんはニコニコしてたけど
ミキティがふぅっと息を吐いて梨華ちゃんをじっと見つめてから意を決したように口を開いた。

「梨華ちゃん」
「なぁに」
「いいんだね」
「うん?」
「美貴、もう遠慮しなくてもいいんだよね」
「私もしないよ」
「ん」

ここにきて掴みかねていた梨華ちゃんの意図がようやくわかった。
これも愛情表現のひとつなのだろう。
少なくとも元彼女の余裕ではない。
自分も元彼女だけに、断言できる。

ミキティにスタートの合図を出した梨華ちゃん。
そうなるように仕向けた少し年上の彼女は、実際は少ししか歳がかわらないのに
あたしたちなんかよりずっと大人に見えた。

それにきっと梨華ちゃんはミキティにいつもつっこまれてる仕返しもしたかったんじゃないかと思う。
そんなところもとても梨華ちゃんらしい。

やっぱり梨華ちゃんは強いな。
それにミキティも。

強い女だらけだよ?あーあ、よしこ大変だねぇ。

心の中で苦笑して、さっきとは裏腹にこの場に居合わせたことを幸運に思った。
この二人に認められたのが単純に嬉しかった。
きっとあたしは立会人のようなもので、見届けなければいけないのだろう。

この恋の行方を。
始まりや終わりを。

ミキティの想いを知りながらあえて背中を押した梨華ちゃん。
梨華ちゃんの気持ちを察して正面から受け止めたミキティ。
それにまだ参戦する気満々の梨華ちゃんにはびっくりしたけど、
たとえこの恋の顛末がどんなことになってもあたしたちの仲は変わらない、そんな予感がしていた。



いつのまにか戻っていたやぐっつぁんに腕を引っ張られて
ほんとはそんなこと思ってないけど「助けだすの遅いよー」と一応文句を言った。
そして後ろで恋のライバルたちが笑いあってるのを聞きつつその場をあとにする。

勘のいいやぐっつぁんは二人のやり取りをなんとなく理解したようで
「まったくどいつもこいつもあんなアホのどこがいいんだか」なんて憎まれ口を叩いていた。
ほんとはそんなこと思ってないけど、その軽口に付き合いたくて
「やぐっぁんの教育が良かったんじゃない?」と皮肉ってみた。

「どんな教育だよー。オイラ育て方間違ったよー」

叫びながら『あんなアホ』のところにダッシュして飛び蹴りしてるやぐっつぁんがおかしくて、
なんだかわけわかんないって顔で必死によけてるよしこがおかしくて、
ずっとこうしていたいなって柄にもなく切なくなった。

このまま、時間が止まればいいのに。

じゃれあう師弟コンビを見ていたらふいに、『幸せになってほしい』というフレーズが頭に浮かんだ。

かつて、去り際に言われた言葉。
月光の中、近くでうるさいくらいに犬が鳴いていたけど
その言葉だけはいつまでも頭の中で鮮明に響いていたことを思い出す。

かつて、自分の手で幸せには出来なかった彼女を見ながらあたしは過去の情景に浸っていた。



この感情に名前はつけられない。
今はまだ、つけたくはない。でも。

うん、あたしは知ってる。
この感情がなんなのか。
経験済みだもん。
でも、前とは違う。穏やかだ。

緩やかな水の流れの中にいるみたいにふわふわ漂っている。
この心地よさをずっと味わっていたい気がする。

だから

まだこの感情に名前をつけるのはよそう。
この想いはもうちょっとだけ封印しておこう。
いずれ消えてしまってもそれならそれで構わない。
時を経て、それでもまだ残っていたら…



あたしも参戦していいよね?



夜空を見上げながら雲に隠れた月にそっと囁いていた。










<了>


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