最終話  恋から愛まで






真っ暗な闇の中では、あたしは一歩も動けない。動かない。
なにも考えられない。

月はいつも照らしてくれていた。
あたしの足もとを。行く先を。

月明かりがなければあたしはどうしていいのかわからない。
自分を照らしていてくれる光を、欲していた。



ごっちんと付き合いだした頃は仕事に恋に無我夢中で
毎日なにがなんだかわからずに突っ走ってた気がする。
絡まる糸も見えない足もとも一切無視して、勢いのままに。

情熱的っていうと聞こえが良すぎて気に入らないけど、あの頃のふたりはまさにそれで。
毎日が夏のようだった。

激しい恋になにもかもを捧げた、短い夏だった。

そんな、恋だった。



『もっと!もっと愛してよ!』
『愛してるよ!愛してる!これ以上なにが欲しいんだよ』
『足りないんだもん。そんなんじゃダメだよ。もっと』
『もっとなにが欲しいの?!』
『もっと、全部が…』

欲しいの。

泣き崩れる彼女の姿がぐにゃりと歪む。
止め処なく溢れる涙をコントロールできずに、あたしもその場で静かに泣いた。
求めすぎて、求め合いすぎた。
お互いが壊れる寸前だった。

ある意味、壊れてたんだろう。

求めすぎていつも乾いていた二人。
あの感じを、あのときの空気を正確に言葉にするのはちょっと難しい。
一種の熱に侵されていたようだった。

短い夏に終止符を打ったとき、もうこれほど狂おしい恋をすることはないと思った。
こんなに疲れる恋はごめんだと。
あれほどのテンションを持続することはもう無理だ。

色恋沙汰はもうたくさん。
好きだの嫌いだのうんざり。

疲れ果てていたあたしを癒してくれたのが、もうたくさんだと思っていた恋だったから自分でも呆れる。

それは逃げだったのかもしれないし甘えだったのかもしれない。
けど、彼女はそれでもいいと言ってくれた。
その言葉に救われた。

前の恋があんなだった分、あたしはゆっくりゆっくり前に進んだ。
そんなあたしの歩調に合わせてくれる彼女が愛しかった。
ときに彼女が焦れて愛想を尽かすんじゃないかと不安になるほど、ゆっくりとしか動けなかった。

それで離れてしまうなら仕方ないとすら思っていた。
ただ、全てを捧げあうのはもうやめようとだけ強く思っていた。

彼女は辛抱強く待っていてくれて、認めたくはなかったけど
そんな彼女にあたしはいつしか全面的に心を奪われていた。
もう恋なんてしない、なんて歌の歌詞よろしく決意していたのに。

梨華ちゃんとは求め合いすぎるということはなかった。
ほどほどの、と言ったら語弊があるけど丁度良い距離感と愛情で付き合ってたように思う。

だから渇きを覚えることはなかった。
常に潤っていて、蒸発する前につぎ足してつぎ足して、決して枯らすことのないようにしていたんだ。

愛が、枯れないように。

終わりの兆しが目に見えているとき、その事実は悲しいものだけど見えるということは、いい。
わかりやすい。

ごっちんのときは目に見えていても早めの対処を怠った。
というよりどうしていいかわからなかったんだけど。

厄介なのは目に見えないとき。
水面下で密かに侵攻している悲しい予兆に、あたしは気づくことができなかった。

目をそらしていたわけではない。
わかっていて手をこまねいていたわけでもない。

ただ、なにも考えなかった。
ただ、潤いすぎたその場所にいるのが普通だと思っていた。
渇きにしろ潤いにしろ、両者のバランスが重要だと気づいたときには遅かった。

梨華ちゃんは気づいていたのかもしれないし気づいていなかったのかもしれない。

彼女はどこかいつも余裕で。
自信たっぷりで。
デーンと構えていて。

それはいつ降りかかってもおかしくない災難に備えての防御姿勢だったのだろうか。
彼女には彼女なりの哲学があり、ポリシーに従って動いていたのだろう。
そういうことを一度も話さなかった二人は、今思えば
恋から愛までをなあなあに過ごしてただけのような気がする。

もっと、愛に溺れてもよかったんだ。



両替機にお札を入れる。
ジャラジャラと硬貨が落ちてきた。
求めていたものを買い、バットを握る。
うん、これかな。

ネットをくぐり右のバッターボックスに立つ。
二度、三度スイングしてあたりを見回した。
いつもながら、人の少ないバッティングセンターだと思う。
時計が目に入り、自分がここに来た時間を思い出して唖然とする。
随分と長い間、ベンチでボーっとしてたらしい。

最近いろいろありすぎなんだよ。

「頭がついていかないっつーの!」

叫びながら一球目をフルスイング。
見事に空を切った。
ボスッと音がして背後でボールが地面に落ちる。

「心だって…」

両足をグッと踏ん張り、目を見張る。

「なにがなんだかわからーん!」

大振りしたバットの先をかろうじてボールが掠めた。
ちぇっ、あれじゃピッチャーゴロだ。

徐々に上がってきた気温。
汗が滲む。
頭上の太陽をひと睨みし、打席に集中する。

しばらくは、無心でバットを振っていた。



あたしが苦しかったように、ごっちんも苦しかったのだろう。
それでも恋人としてまだ笑い合っていた日々を思い返すと、
あの頃のごっちんの笑顔が今もはっきりと蘇る。

うぬぼれじゃなく、幸せだったはずだ。
幸せだと感じていてくれてたはず。

甘い甘い囁きやベッドでのとろけるような感触。
日常のふとした出来事や、ちょっとした誤解から生まれた諍い。
その全てが、あの頃の記憶が、愛しい。

でも、結果的に彼女を幸せにできなかったという後悔の念も胸に渦巻く。

そのときの反省をいかして次へのステップアップにしよう。
なんて考えられるほど、実現できるほどあたしは器用ではなく、やっぱり同じ過ちを繰り返した。

なんで、好きな人を幸せにできないんだろう。

それは、あたしの人生における永遠の命題だった。



「カッキーン!」

声とは裏腹にボテボテの球がすぐ目の前を転がってゆく。
おまけに手がジーンとしてしばらく感覚がなかった。
両手を見つめ、バットを握り直す。
まだ力は入らない。

「バチコーン!」

しびれる両手を無視してむりやりボールに臨んだが、
その勢いに握力がついていかず金属バットが足元に転げ落ちる。

深呼吸をして太陽を仰ぎ見た。
その強烈な光に目が眩む。

真上から否応なしにあたしを照らしている太陽。
その光を見てるうちに、なぜだか居た堪れない気持ちになって背を向けた。
そして気づく。

恐れていることに。

なぜ?



我をも忘れる恋を経験して身も心もボロボロになったあたしを受け入れてくれた梨華ちゃん。
彼女のある種慈悲のような愛情があったからこそあたしはいまここにいる。

それなのに。
彼女と育んだ愛情はいわゆる恋人同士のそれではないということをいつしか感じ始めて
お互いの望む関係を騙し騙し続けていた。

もし彼女とも身を焦がすような恋から始めていたら?
愛を激しく求め合っていたら?

もしかしたらだけど違う結果になっていたのかもしれない。

だから梨華ちゃんとは恋とか愛でつながってるんじゃないと
もっと根っこの部分で本質的なつながりがあるんだと気づいたとき、それはある意味運命だと思った。

あたしがあたしであり、彼女が彼女であるための、運命。

だからこそ、恋から愛までをも共にしてはいけないのだと悟った。



本当にわからなきゃいけないことは考えるのではなく
本能で感じるのだということを月の光が導いてくれた。
頭上の太陽が導いてくれるものはなんだろう。

答えはまだでない。

好きな人を幸せにする方法を、できれば教えてほしいな。

光に背を向けていた体を起こし、全身で受け止めた。
さっきの恐れと向き合うために。

あたしはいつも光を欲していた。
ただ進むべき道を照らしてくれるだけの光を。
けれど今は、光と向き合いたかった。
正面から立ち会いたかった。



まるで自らが光を放つかのように。



そして、白球がどこまでも青い空に吸い込まれていった。










<了>


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