第八話  その先にあるもの






いろんな意味で心と体はリンクしているらしい。



「太陽の下が本気で似合うよな、オマエは」

剥き出しの腕を照りつける太陽がチリチリと肌を焦がす。
額に汗がじんわりと浮きでる。
髪の毛がはりついて不快極まりない。

「オイラ日焼け止め塗り直したいんだけど」

一瞬、足元が覚束なくなる。
直射日光に頭がクラッとした。
口の中がカラカラだ。水が欲しい。
耳の後ろから聞こえてくる声を理解するのも、最早ままならない。
このままじゃ、無理かも。

「ねぇ梨華ちゃ〜ん、とりあえず下ろして?」

水たまりに映る自分の顔をまじまじと見つめる。
やっぱり幸薄いのかも。

なんでこんなことになったんだろ。



仕事とはいえ、沖縄だ。南国リゾート。
浮き足立つのも無理はない。
自由時間なんてほぼゼロだけど撮影の合間を狙ってこっそり散歩するくらい許されるよね?

仕事中にそんなことを考えていたのがいけなかったのか、
あるいはやっぱり幸が薄いのか、この後私は楽しくない遭遇をしてしまった。

ロケ地となった公園からちょっと離れた森の中に足を踏み入れた。
鬱蒼とした木々に覆われ日陰の部分が多い。
それでも少しの隙間を狙って照りつける夏の太陽。
そのバランスが美しくて、しばし目を見張った。

「加護〜オーイ」

聞き慣れた声に後ろを振り向く。
ちっちゃな先輩がちっちゃな頭を揺らしてキョロキョロしてるのが目に入った。
こちらにはまだ気づいてない。
声をかけようかどうしようか少し迷う。
すると向こうのほうから声をかけてきた。

「梨華ちゃ〜ん、加護、見なかった?」
「こっちには来てませんよ」

まったく〜勝手に走り回って心配させやがって、とブツブツ文句を言いながら近づいてくる。
どうやらまた悪戯っ子に手こずらされたようだ。
軽く微笑んで矢口さんも大変だね、と言おうとしたところで当の彼女が視界から消えた。
あれっ?とさっきの矢口さんのようにキョロキョロしたがいない。

まさか急に縮んだのかしら。

自分で思ったことがおかしくてクックッと笑っていると下のほうから叫び声が聞こえてきた。

「笑ってないで早く助けろー!!」


まさかこんな所に落とし穴を作る人がいるとは思えないので自然の悪戯だったのだろう。
まんまと矢口さんが嵌ったのは運命の悪戯か。

幸いにもと言っていいのか微妙なところだったけど矢口さんが嵌ったその穴はそれほど深くなく、
華奢な私でも助け出すことができた。

「イタッ」
「大丈夫ですか?」
「うーんマズイな」
「マズイですか」
「腰ぬけた」
「えっ」
「おんぶ」
「ええぇっー」

おんぶって…私がするんですか?



「日焼け止め持ってるなら私にも貸してくださいよ」
「残り少ないからオイラの分しかないと思う」
「えぇ〜。私のパーカー貸してあげたんだから日焼け止めなんか塗らなくったって大丈夫ですよぉ。
 むしろ私でしょ、塗らなきゃいけないのは」
「………」

『オマエはもう黒いから手遅れだよ』的な視線を感じたのは気のせいかしら?

「じゃ半分ずつな」

しぶしぶ私に日焼け止めの残りを渡してくれた矢口さん。
よく見ると手足のあちこちにすり傷ができている。
口にはしないけど痛いんだろうな。
とにかく皆のところに早く戻らなきゃ。

「じゃ行きますか」

短い休憩を終え、私たちはまた歩き出した。
矢口さんはすっかり落ち着きを取り戻してどこから拾ってきたのか
ちょっと曲がった木の枝を杖代わりにしてヒョコヒョコ歩いてる。

私はさっきまで軽いとはいえ人ひとりおぶっていた疲労から、矢口さんの後をトボトボとついていった。

「梨華ちゃん、大丈夫?」

なんとなくさっきまでとは違う雰囲気がして一瞬私はその質問の意味を図りかねた。

「なにがですか」
「さっきおんぶしてもらったから」
「あ。それならべつに平気です」

本音はけっこうしんどかった。
でも穴に落ちた彼女のほうが気の毒で正直に言うのは躊躇われた。
そのかわりもうひとつの意味を持った問いかけには、素直に答えた。

「ずっと泣けなかったんですよ。でも私はそれでもいいと思ってたんです。
 泣いたってなにもいいことないし、なにも解決しない。意味なんてないって。でも」

足場が悪い。
濡れた岩を避け慎重に歩く。
ちょっと息が切れてきた。

「泣くことで、涙を流すことで一緒に流れていくものもあるんですね。
 いっぱい泣いてから、それに気付きました」
「そっか」

ただの相槌にほのかな優しさを感じた。
だから私は先を続けた。

「先が見えないって言われたんです」
「オイラには先がないって言ってたな」
「まりっぺひどーい。そうゆうこと、普通私には黙ってるでしょ」
「まりっぺ言うな」

木陰が多くなってきた。
だいぶ涼しい気がする。
いつのまにか汗がひいていた。

「よっすぃーらしいな」
「え?」
「『ない』じゃなくて『見えない』って。変なとこ気遣うよな。どっちにしたって結果は同じなのに。
 でもアイツの精一杯の、優しさだったんだな」
「そんな優しさいらないのに」

けど、彼女らしい。

『見えない』じゃなくて『ない』。
たかだか数文字しか変わらないのに意味は全然違う。
でも矢口さんの言うように、結果は同じだ。
見えなくったって見えてたってよっすぃーにはなかったんだから。


私には?
私にはその先にあるものが見えていたの?


「ここさ、こんな傾斜あったっけ」
「そういえばもっと下ってたような…」
「それにさ、もうだいぶ歩いたのにまだ出ないよ森から」
「そういえば体キツイかも」

ハァハァと息が荒くなってることに気づいた。
これってもしかして…

「迷った?」

ですね。とりあえず休みません?





この数十分で体をかなり酷使している。
明日は絶対筋肉痛だろうな。ハァ。

「どっかで方向間違ったのかなー。オマエが余計な話するからだろっ」
「えー!そんなぁ。私のせいなの?そもそもまりっぺが穴に嵌ったから…」

言いかけて堪えきれず噴出す。
もうダメ。おかしくて仕方ない。なにこの状況。
穴に嵌って森を彷徨うモーニング娘。なんて。
なんかすっごいおかしい。

ひとしきり笑ってふと矢口さんを見た。
呆れたような表情。

「梨華ちゃんとうとう頭がおかしく…」
「矢口さんこそ」

不思議そうな顔でこちらをうかがう彼女。

「変な責任感じてるでしょ。そっちのがおかしいよ」
「いやそれは」
「嫌な言い方かもしれないけど、矢口さんには関係ないんだよ。
 二人には二人の事情があって、背中を押してもらっても足を引っ張られても
 そうなったのは二人なんだから。『はじまり』も『おわり』も二人が始めたことで
 うまく言えないけど責任は二人にしかないんだから。
 だから私たちの間にむりやり入ってこようとしないで下さいよー」

ずっと下を見ながら一気に喋った。
最後は茶化しちゃったけど伝わったよね?

「ったく、だれがいつ足引っ張ったんだよ」

長い沈黙のあといつもの口調で文句を言う彼女。
小さく笑って再び歩き出した。

汗と一緒に溜まっていたしこりみたいな、毒素みたいなものが出たのかな。
彼女の表情は穏やかで、ここ数日私より幸薄そうな顔だったのが
なんとなく彼女らしい表情に戻った気がする。

「オイラ感傷的になりすぎてたのかな」
「………」
「いつまでも子供じゃないんだよな、皆」
「………」
「もうちょっとだけ師匠として、人生の先輩として責任感じてたかったのかも」
「………」
「二人のことを見ていたかったのかも」

息が切れて返事ができないっていうのもあったけど、口を挟むのは憚られて黙って聞いていた。
淡々と話す矢口さんの目線の先にはあたしたちだけじゃなく
もうすぐ卒業する悪戯っ子たちも含まれているのだろう。

「ずっと私は、気づかない振りをしていたんだと思います」
「………」
「先が見えないって言われてその意味をわざと考えなかった」
「………」
「ただ、悲しむだけ」
「………」
「なんでかなぁ。ずっと笑っててほしい、って思ってたはずなのに」

私と同じようにやはり矢口さんは口を挟まなかった。
もしかしたら森を抜け出すこの旅は私たちに機会を与えてくれた神様の悪戯なのかもしれない。
そんな気がしてきた。

懺悔、とはちょっと違う。
自分を見つめ直す機会。

私たちが抜け出そうとしたのは森だけじゃない。
この短い時間に悟ったこと、気づかなきゃいけなかったこと。

私も矢口さんも体を追い込んだことで心の憑き物が取れたようだった。
矢口さんは腰を抜かし、すり傷をあちこちにつくり、
私は肌がヒリヒリしたけどその代償に得たものは大きかった。

具体的に何とはうまく口にできないけど、
少なくとも私はリビングで寝ることはもうない気がしていた。

久々の、自分のベッドの感触に思いを馳せる。



疲れきったボロボロの体でようやく森を抜けると、どこまでも澄んだ沖縄の空が私たちを迎えてくれた。










<了>


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