第五話  夜明けまで






涙は、まだでない。



仕事中ふとしたときによぎる、数々の景色。
場所はほとんど私の部屋。
四季は様々。
あるのは常にあなたの笑顔。
音はなく、写真のように切り取られたその瞬間が私を捉えて放さない。

どうしてこんなに。

ソファーにもたれて窓の外を見た。
とうに日付が変わり真っ黒な空に自分の顔が映し出される。
心とは裏腹に表情に悲壮感はない。
笑ってみる。うん、かわいい。

強くなったのかな。

昔の自分からは考えられないほど感情をコントロールできるようになった。
その術をどう身につけたのかはわからないけど今ほど助かったと思ったことはない。
仕事に支障がでるのは困る。
彼女に心配されるのは、もっと困る。

一日の終わりに月を見る。
あの夜の月光。
照らし出された彼女の横顔を、私はいつまで覚えていられるだろう。
いつかあっけなく終わったこの恋のことを思い出さなくなる日が来るのだろうか。

深夜にまで及んだ仕事を終え、帰宅してシャワーを浴びた。
あなたがいないことにはまだ慣れない。
冷蔵庫からペットボトルを取り出しグラスに注ぐ。
飲み口に直に口をつけて飲むあなたを思い出した。
私がいくら注意しても聞かなかったよね。

冷蔵庫に半分だけ残してあったポカリスエットは、もうない。

涙がでないのはなぜだろう。
昔はよく泣いていた。
なにかにつけて涙がこぼれた。

長かった片思い期間は毎日が涙との戦い。
あなたを想って枕を濡らした日々は、付き合うようになってからは笑い話になった。
こうなるってわかっていたらあんなに泣かなかったのに、なんて
ふくれる私を「こんこんみたーい」と笑い飛ばした彼女。

泣くことは意外に体力を消耗するし腫らした目で仕事に行くのはプロ失格だと言われた。
デメリットでしかないこの行為からいつしか卒業して最近はホント泣かなくなった。
自分の感情を殺しているわけじゃないのに。
もしかして涙が枯れちゃったのかも。

それならそれで構わない。
涙がでなくてもなにも困ることはない。

自分の部屋にあなたの痕跡を、あなたの幻を見つけるたびに
胸が締めつけられるのも今のうちだけだろう。
涙から卒業できたようにこの切ない痛みともいつか別れられるときがくる。
そう思うと少しだけど気が楽だった。
けど、その日がこなければいいと思う自分もたしかに存在していた。

眠るための部屋。ベッドルーム。
ここはあなたでいっぱいだ。
あなたの匂いや温もりが今もまだ色濃く残っている気がする。
激しく、甘く、時に痛々しく愛しあった思い出はさすがに簡単には色褪せない。

私がこの部屋で眠れなくなってから数日がたつ。
彼女に最後に愛された日からと、たぶん同じ数字。

今夜もベッドに入る気にはなれず、いつものように毛布と枕を持ってリビングへと向かう。
ズボラな私が毎朝きちんと毛布と枕をベッドに返すのは眠れぬ夜と戦う意志の表れ。
連敗続きだけどいつか勝利を収める日がやってくるはず。
ソファーに横たわって体の痛みに苦笑しながら、その日が早くきてほしいと切に願う。

あなたがいないことに慣れ、胸の痛みが消え、ベッドルームで安眠を得られる日がくることを。

考えながら静かに目を閉じた。



『私泣かなかったんですよー偉いでしょ?ほめて下さいよ、保田さーん』
『………』
『保田さん?』
『泣いたっていいのよ』
『えっ?』
『悲しいときには泣いたっていいのよ』
『保田さん…』
『感情を素直に出さなきゃ、そのうち嬉しいときにも笑えなくなるわよ』
『………』
『笑えなくなったらアイドル失格よ。アンタ路線変える気?
 無表情キャラなんて後藤だけで十分よ!あたしの笑顔を見習いなさい!!
 あたしの笑顔は紺野のお墨付きよ!!』
『や、保田さん?私泣けないんであって、まだ笑えてはいるんですけど……』



「ケメコのバカ」

目を開けて呟いた。
夢は深層心理を表しているなんて絶対に間違いだ。
前半はなかなかいい話だったのになぁ。
ちょっと気持ち悪いけど麗しい師弟愛になりかけたのに。
夢ってわけわかんない。

すっかり目が冴えてしまいキッチンで水を飲んだ。
窓から薄暗い空を覗く。
まだ夜は明けてないらしい。
ソファーに戻って目を瞑るが眠れない。

保田さんのせいだ。
起き上がりあたりを見回す。
立ち上がってうろうろしてみる。
なんかヒマだなー。ドラクエの続きでもしようかな。

彼女のプレステに目をやる。
彼女の、といっても半分は私のとも言える。
もともとゲームにはあまり興味がなかったのに彼女の影響ですっかりハマってしまった。
でも弟くんのをいつまでも借りてるのは悪いので、この際買ってしまおうということになり
私も半分お金をだした。

別れるときはどっちがプレステをもらう権利があるかなんて冗談で話したこともあった。
そんな時、私はいつもよっすぃーに譲った。
なんで?と不思議そうに言う彼女に「よっすぃーのがゲーマーだから」と答えてた。

『よっすぃーには大切なものをいっぱい貰ってるから』

なんて本心は言えずに。
私の答えを聞いて複雑な表情を浮かべていた彼女。
お互いに大切なことはあまり口にしなかったな。

だからこのプレステは彼女のもの。
彼女の痕跡のひとつ。
電源を入れ、コントローラーを手に持った。



ふと最後の夜のことが頭をよぎった。
最後に抱かれた夜。


『梨華ちゃんとは……でつながってる……。
 もっとべつの……。ようやく気……たんだ。……るよ』


まどろみの中で聞いた彼女の言葉。
よくは覚えてない。

最後のとき、私は何度も何度も彼女を求めた。
彼女との行為になにも考えず夢中になった。
夢中になることで現実から目を逸らした。逃れられない寂しい現実から。

そのせいだろう、意識が朦朧としていてよく聞こえなかったのは。
あるいは彼女の囁くようなその声からして最初から私に伝える意思はなかったのかもしれない。

何を言っていたのか知りたい気もするけれど今となってはもうそれもどうでもいいこと。
言葉は聞けなかったけどあの時の空気は、私を包み込むようなあの温かい空気は
はっきりと覚えているから。
だから聞こえなかった言葉もたぶん同じようなものだったんだろう。
あの温度さえ覚えてればいい。
十分に伝わってきた。
あの感触だけは、できれば忘れたくはない。



画面が起ちあがりスタートメニュー。

主人公はヨッスィ。
旅の仲間はリカ。
ヨッスィの後ろをリカがぴったりくっついて歩いていく。
ヨッスィがどこに進もうとも、二人の距離が遠ざかることはない。
宿屋にお城に銀行に、自由自在に動き回る。
常に二人は一緒。

十字キーをめちゃくちゃに動かしてみた。
ヨッスィが壁にぶつかったり人にぶつかったりしながらありえない動きを繰り返す。
でも、リカは離れない。



ヨッスィとリカは、決して離れない。



ふいに、それは本当に突然だった。

熱いものが頬を伝う。
自分の体の異変に戸惑う。
心の奥底にあった感情が一気に込み上げてくる。

ダメ、我慢できない。
声が漏れる。
鼻の奥がツーンとする。
久しぶりに聞く自分の嗚咽は、だれだかわからない他人のもののように感じた。

どうして一緒にいられないんだろう。
どうしてこんなに。

どうしてあっけなく終えてしまったんだろう。
どうしてこんなに。

どうして大切なことを言えなかったんだろう。
どうしてこんなに。

どうして涙が溢れてくるんだろう。
どうしてこんなに。

どうしてこんなに愛しいんだろう。
どうしてこんなに。

どうしてこんなに。



逢いたいの…?



夜が明けても私は泣き続けていた。

「ケメコのバカ」

喉の奥から絞りだしたこの言葉も、自らの涙に掻き消されていた。










<了>


第六話へ
その他ページへ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送