大学編 4






季節はいつのまにか秋になり、あたしは相変わらず週に何回かよっちゃんと飲みに行ったり
理不尽な接待に頭の血管をピクピクさせたりしていた。

とくにこれといってなにもない秋の日の午前中。
その訪問者に最初に応対したのは厄介なことに石川さんだった。

「11時に副理事とお会いする約束をしている口腔外科の飯田ですが」
「飯田先生ですね。承っております。少々お待ちいただけますか」

顔なんて見なくてもわかった。
飯田という名前とその声。まぎれもなく彼女はあのカオリだった。

石川さんの隣で書類を見るふりをしながら俯き続けるのももう限界。
あたしは思い切って顔を上げた。

「美貴?」
「久しぶり」

受話器を置いた石川さんが不思議そうな顔をしてる。
そう、この人は空気が読めない女。
だから遠慮なしに疑問に思ったことを聞いてくる。

「お二人ってお知り合いなんですかぁ?
 しかも飯田先生ってば『美貴』なんて呼び捨てにしちゃって」

急に気安くなった石川さんにびっくりしたもののカオリは正直に答えた。
もちろん余計なことは言わずに。

「ええ、そうなんです。昔からの友人で」
「でもまさかこんなとこで会うなんて思わなかった」
「私も驚いたよ」
「同じ職場だったなんてね」
「意外と気づかないものだね」

あたしとカオリの会話を口を挟まずに聞いてる石川さん。
きっと後でいろいろつっこまれるんだろうな。
彼女はこういうことにはやけに鼻が利くから。
それより副理事待ってんじゃないの?早く通してあげなよ。

「あっ、飯田先生。こちらへどうぞ」
「はい。じゃまた」
「うん。またね」

返事をして彼女とまた会う機会なんてあるのだろうかと考えた。
あたしからどうこうっていう気はない。
友達として気が合うわけでもないし飲みに行くといっても彼女は下戸だ。
だから会うとしてもきっと向こうから言ってこない限りその機会はないだろうと思っていた。

でもその機会が思わぬところから意外に早くやってくることになるなんて
このときのあたしはそんなことまるで想像もしていなかった。


ウズウズした顔で戻ってきた石川さんは期待を裏切ることなく
あたしとカオリの関係を追及してきた。
こういう勘の良さをもっとほかのことに活かせないものかと
あたしは半ば諦めた顔で彼女の質問に答えていた。

「飯田先生って素敵だね」
「あー。そうだね」
「付き合ってたの?」
「付き合ってないよ」
「ウソ。昔の恋人と思いがけず再会して動揺を隠せないって顔してたよ二人とも」
「はぁ〜。ペラペラ喋らないでね」
「やっぱり」
「昔のことだよ。学生時代」
「ふーん。なんで別れたの?」
「さあ。忘れちゃった」

タイミングよく電話が鳴ってあたしはしめたとばかりに受話器を取った。
いいとこだったのに、と口を尖らせ書類を片手に「経理に行ってきまーす」と
部屋を出て行く石川さんに目で頷いた。

「はい、秘書課です」
「入試課の吉澤ですが」
「なんだ、よっちゃん」
「美っ貴ちゅわーん!お昼受付?」
「ううん違う。2階でいい?」
「オッケー。じゃ昼に」
「うん」

よっちゃんから電話がかかってきてホッとしていた。
なにしろ石川さんはしつこい。
自分の気が済まなきゃ相手の迷惑なんてお構いなし。
基本的にはいい人なんだけど、こと恋愛話に関してはウザイくらいしつこい。
だからこのときはホントによっちゃんからの電話に救われたと思っていた。

そう、このときまでは。



お昼の時間になりいつものイタリアンレストランに行くと
入口の前でよっちゃんが手招きをしていた。
デカイ図体してこそこそとなにやってんのキミ。

「怪しすぎだよ」
「あのさ、上にしない?」
「べつにいいけどなんで」
「たまには中華もいいかな〜って…フガフゴッは、はなせ!」
「正直に言ったら放してあげる」
「ちょっと顔あわせづらい人が中にいまして」
「わかった。高橋さんでしょ」
「ち、ちげーよ。彼女は下に移ったから平気」
「平気ってまさかアンタ」
「うん。いただきました」
「…はぁ〜。大丈夫だったの?彼女」
「うん。意外にアッサリしてた。最近の若いコは貞操観念薄いよね〜」
「オマエが言うな」
「いひゃいいひゃい」
「で、中にいる顔あわせづらい人って誰なの?」

よっちゃんの頬をつかんだまま彼女の答えを待っていると
レストランの中からけっこうな美人が現れた。
そして驚いた顔をしてあたしたちに話しかけてきた。
正確にはよっちゃんに。

「ヒトミ?やっぱりヒトミじゃない!久しぶり〜」
「や、やあアヤカ。いつ日本に帰ったの?」

あたしに頬をつかまれたまま片手をあげてかっこつけるよっちゃん。
たぶん条件反射なんだろうけど頬つかまれたままじゃ様になってないよ。
でもこのアヤカって人どっかで見たことあるような…。

「先週。あたし来月からこっちに戻るのよ」
「えっ!そうなの?」
「そう。ね、立ち話もなんだからランチでも一緒にいかが?藤本さんも」
「えっと、失礼ですけど…」
「忘れちゃったの?まあ一度会っただけだから仕方ないか。
 ほら、5月に副理事に呼ばれて秘書課に行ったときにお世話になって」
「あー!木村先生?ロンドンクリニックの」
「そう。思い出してくれた?木村アヤカです。あの時はどうも」
「いえいえこちらこそ、って部屋に案内しただけじゃないですか」
「フフ。そうだったわね。今度飯田先生と入れ替わりで日本に戻ることになったの。
 またなにかあったらよろしくね」

そう言って木村先生はウインクした。
その姿があまりにも様になっていたからかもしれない。
彼女の口からでた思いがけない名前に一瞬気づかなかったのは。
さっき会ったばかりのその名前に。

「あの〜ご歓談中のところ申し訳ないんですけど、いいかげん頬放してもらえるかな藤本くん」
「あ、忘れてた」

頬から手を放して木村先生とレストランの中に入った。
後ろから諦めたような顔でよっちゃんがついてくる。
この様子だと木村先生と前になんかあったんだろうな。
大体想像つくけど。

「今ね、飯田先生と話してたら外が騒がしくてなにかしらって見てみたらあなたたちだったの」
「藤本くんが頬つかむから〜」

そんな二人の会話にあたしは何も口を挟めず
木村先生の指差す席に座っているロングヘアーの彼女を見つめていた。
もう何年も会ってなかったのに一日のうちに二度も会うことになるなんて。

もしかしてこのメンツでご飯食べるの?なんかヤダなぁ。
よっちゃんの言うとおり素直に中華に行けばよかった。
でもそんな後悔してももう遅い。
あたしたちに気づいたカオリは立ち上がって会釈なんかしている。
そしてあたしの顔を見てやっぱり驚いていた。
そりゃそうだよね。あたしもびっくりだもん。

「こちら秘書課のキュートなお二人。藤本さんと吉澤さん」
「あ、あたし今は入試課なんで」
「あらそうなの?いつから?」
「えっと6月かな」
「そうだったの。でもなんで急に」
「それはいろいろと…」

バツが悪そうな顔で苦笑してるよっちゃん。
木村先生は面白いものを見つけた子供のような表情で見ている。
まさか女に手を出しすぎて異動になったなんて言えないよね。

「ふーん。ま、それは今度じっくり聞かせてもらうわよ?こちら口腔外科の飯田先生。
 さっきも言ったけど来月からあたしと入れ替わりでロンドンクリニック勤務になるの」
「飯田です」
「吉澤です」
「藤本です」

お互い、さっき会ったことには触れなかった。
べつにたいしたことではなかったし口にするのが面倒だったっていうのもあった。
四人で楽しくご飯を食べて別れてそれで済むと思ってたから。

そう、このときまでは。


「飯田先生はロンドンに住んでたのよね?たしか」

ピザにとんでもないくらいタバスコをかけながら木村先生がカオリに話題を振った。
ピザが真っ赤になってるんですけど…それって食べられる物なんですか?

「ええ。ここに来る前はロンドンで働いていて。
 日本が恋しくなって戻ってきたのにまたロンドンでしょ?皮肉なものですよ」

なんかやっぱり居心地悪い。
こんな気分でご飯なんて美味しく食べれないよ。いっそのこと

「あたしたちロンドンで付き合ってたんですよー。もう別れて今はなんとも思ってないんですけどね」

って暴露したほうがよっぽど気が楽だ。
そうしたらなんの躊躇いもなく会話に入っていけるのに。

当たり前だけどカオリがあたしとのことを口にしない限りあたしが勝手に言うわけにはいかない。
かといってなんにも知らないふりして「へーそうなんですかぁ」なんて
バカみたいに話を合わせるのも性に合わなくてイライラする。

「それはお気の毒様。飯田先生には悪いけどやっぱり日本はいいわねー。ヒトミにも会えるし」

ゴホッとムセるよっちゃん。
ベタすぎだから、そのリアクション。

この様子だとよっちゃんにとって木村先生はただのスポーツの相手だけど
木村先生にとってはそれだけではなかったってことかな。
ロンドンに行くからって安心して手ぇだしたんだな、このエロ魔人。
まさか帰ってくるとは思わなかったんだね。読みが浅いよキミ。
よっちゃんもあたしと同じ気まずい思いをしながらのランチタイムなわけか。
だからさっきから口数少ないんだ。

「いや、あたし付き合ってる人いるんで」

チラッとこっちを見てからよっちゃんはテーブルの下で足をコツンと蹴ってきた。
まさかまさかあたしに彼女のふりしろって言いたいの?
その目は。その足は。まさかね。
ただでさえ複雑な心理戦のひとり相撲中なのにこれ以上の面倒は御免なんですけど。

「この人なんですけど」

フォークで人を指すなんてお行儀が悪い。
人の承諾なしで勝手に彼女にするのはもっと悪い。

懇願するような顔でこちらを見るから仕方なくあたしも同意した。
だってこの状況じゃそうするしかないでしょ。
もうこうなったら毒を食らわばだ。
ちょうど欲しい靴があったんだよね。
今回の報酬代わりによっちゃんに買ってもらおう。

「ええ。そうなんですよ実は」
「本当に?」

木村先生よりも早くあたしに確認してきたのはカオリだった。
ちょっとびっくりして3人とも思わずカオリを見た。
その中であたしが一番びっくりしていた。
でも聞かれたからには答えなきゃ。それが大人のマナーってもの。
とくに和やかなランチタイム中は。

「ホントですよ」

素っ気無くなってしまったのはこれ以上言うべき言葉が見つからなかったから。
だって即興の恋人ごっこに気の利いたセリフ期待されてもね。
あとはよっちゃんに任せてあたしは舞台からフェードアウトしよう。
もう会話に加わる気分では到底ない。

「飯田先生って藤本さんに興味アリ?」
「いえ、べつにそういうわけでは」
「えーホント?いまちょっと顔が真剣だったわよ?
 ヒトミよかったわね、ライバルになったかもしれない人が来月からロンドンで」
「いえ本当にそういうのではなくて。ただ少し驚いたというか」
「あたしと藤本くんが付き合ってることにですか?」
「失礼ですけど吉澤さんのまわりはかなり色々な噂が飛び交っているじゃないですか。
 女性絡みの派手なのが。ですから特定の人がいるとは思わなかったのでつい」
「ヒトミ相変わらず遊んでるのね」
「先程から聞いていると木村先生ともなにかあったようですし…
 藤本さんはそういうことに無関心なようには見えなかったものですから」
「初対面の人間に結構はっきりしたこと言うんですね、飯田先生。
 先生こそ噂を鵜呑みにして藤本さんの心配をするなんて、
 優しいのか藤本さんに気があるのかあたしが気に入らないだけなのかよくわかりませんね。
 ま、たぶんその全部だろうと思いますけど」
「ヒトミも言うわね」

基本的に人当たりのいいよっちゃんがこんなに敵意を剥きだしにしてるのを初めて見た。
なぜカオリはわざわざ波風を立てるようなことを言ったのだろう。
よっちゃんが言うような理由なのだろうか。
あたしにはカオリの真意がわからなかった。
それよりもとにかくこの場から一刻も早く立ち去りたいと思っていた。
もう勝手にやってろと言いたい気分。

「噂を鵜呑みにしたわけではないのですが…すみません。立ち入ったことを聞いてしまって」
「いえ、こちらこそ言い過ぎました」

一触即発の空気が一気に冷めていく。
さすがに二人とも職場のランチタイム中にケンカをするような
子供みたいな振る舞いはしないでくれるらしい。
顔で笑って思ってもないことを口にする大人のケンカは継続中みたいだけど。

もううんざりだ。
食欲なんてとっくに失せている。
早く秘書課に戻りたい。
こんなことなら後藤さんに受付代わってもらえばよかったな。

「じゃあ仲直りしたところでもう戻りましょう。
 ヒトミ、今度あたしの帰国祝いに飲みに行くわよ?藤本さんもね」

木村先生の一言で場がお開きになった。
帰ろうと席を立つとカオリが声には出さずに口の形だけで『ゴメン』と言った。
あたしは何も答えずにただ首を横にふり、よっちゃんの後について外に出た。


「美貴」

ずっと下を見て歩いていたから、声をかけられるまで
彼女があたしを見つめている視線に気づかなかった。

「ごめんね」
「なんでよっちゃんが謝るの?」
「あたしが変な芝居に付き合わせたせいでメシうまくなかったでしょ」
「ああ。うん、美味しくはなかったね」
「それに飯田先生にあんなにつっかかることもなかった」
「うん。らしくなかったね」
「ホントのこと言われてカチンときたのかも。ホントのことなのにね」
「よっちゃんが遊び人だからって彼女を作っちゃいけない理由にはならないよ。
 飯田先生はモラリストなんでしょ。気にすることないよ」
「飯田先生は美貴のこと心配してたのかな?」
「わからない」

何人もの騒がしい学生たちがあたしたちの横を通り抜ける。
階段の途中で立ち止まっているあたしたちを時々鬱陶しそうな目で見ながら
皆、次の講義にむけて移動をしている。
喋りながら携帯片手に高笑いをして。
こちらをチラリと見るものの、その歩みは止めない。


よっちゃんはきっと気づいている。カオリとのことを。
彼女の口調や雰囲気がそれを表している。
気づいている上でなにも言わない。
あたしが言うのを待っているのかそうでないのかはわからないけれど、
きっと気づいている。

もしかしたらあたしはよっちゃんにこそ知られたくないと思っていたのかもしれない。
昼食の席に彼女がいなければ、あたしは普通に木村先生にカオリのことを話していただろう。
それこそなんでもないことのように普通に。
実際もうなんでもないし。


…やっぱりあたしはよっちゃんにカオリと付き合っていたことを知られたくなかったんだ。
だからこんなにイライラしていた。
なんでかはわからない。
イライラの原因は知られたくないことを知られそうだったからに他ならないけど、
どうしてそこまで知られたくないと思ったのかはわからない。
ホントはわかってるのかもしれないけど。


わからない。
今はまだ、わからないままでいい。

とにかく、よっちゃんはあたしの願いとは裏腹に気づいてしまっている。
あたしとカオリとの間になにかしらのものを感じ取ったと思う。
でもそれはよっちゃんの想像でしかない。
彼女の頭の中ではあたしとカオリの知らない話が際限なくどんどん膨らんでいく。
ひょっとしたらとんでもないものにまで発展しているのかもしれない。

だからあたしはそれに歯止めをかけなければならない。
想像と真実の違いをあたしはあたしの口からよっちゃんに伝えなければ。
それはあたしにしかできないことだから。


よっちゃんには知られたくないのに、でも伝えなければならない矛盾。
なぜ知られたくないのかは、わからないままに。

「よっちゃん、今夜飲みに行こう」

あたしはなにを恐れているんだろう。
ただ昔カオリと付き合ってたことを告げるだけなのに。
一体なにを?

こんなに夜がこなければいいと思ったのは初めてだった。



カオリとはごく普通に知り合いごく普通に付き合ってごく普通に別れた、と思う。
普通ってなんだよ、思うってなんだよって自分でもツッコミたくなるけど
普通は普通なんだから仕方ない。
これといった他の言い方が見つからない。
しいて言うなら可もなく不可もなくといったところ。
記憶があやふやなのも本当にあまり覚えてないからで
付き合ってるときの印象が薄いのも仕方ない。
けっこうヒドイこと言ってるなって自分でも思う。

あの頃は今よりずっと子供で彼女はちょっとだけ大人で、
でも背伸びすることなく付き合えたのはロンドンという土地柄のせいだろうか。
あの街にいた自分はもしかしたら今の自分よりもずっと大人だったのかもしれない。

ミセスマクドーナンドのアパートメントに下宿していたカオリは
ヴィンセントとまったくと言っていいほど反りが合わなかった。
カオリはいつもヴィンセントを無視していたし、
ヴィンセントもまたカオリを毛嫌いして決して近づこうとしなかった。
あたしがいるときを除いては。

カオリと寄り添っているときヴィンセントは必ずあたしたちの間に割って入ってきた。
それはいつものかまってくんの仕草ではなくまるで二人の仲を裂こうとするかのように。
そんなヤキモチ妬きのヴィンセントがあたしは可愛かったけど
カオリにとっては鬱陶しい存在でしかなかったのだと思う。
だからカオリが引っ越しを決めたのはヴィンセントのせいだと今も思っている。
そしてそれはたぶん間違いではない。

あたしはカオリが引っ越したあともミセスマクドーナンドとヴィンセントに会いに行った。
そのうちあたしはカオリとは逆にミセスマクドーナンドのアパートメントに移り住んだ。
カオリがきっかけで知り合った一人と一匹だけどカオリと別れたあともあたしたちの交流は続いた。
そして数年経った今もそれは途切れることはない。

だからカオリのことを思い出そうとすると
ミセスマクドーナンドとヴィンセントが自然に出てきてしまって、
肝心のカオリの印象が薄くてぼやけてしまう。
それほどミセスマクドーナンドとヴィンセントがあたしにとって大切な存在だということで、
決してカオリ自身の印象が薄いというわけではないと思う。

あたしがこう思うくらいだからカオリのほうもそれは同じなわけで、
付き合ってるときも別れることになったときも彼女はそれほどあたしに執着した様子はなかった。
だから昼間、イタリアンレストランでよっちゃんにあんなことを言ったカオリが不思議だった。
今さら嫉妬するには遅すぎるしたとえ別れた直後だったとしても
彼女はあたしのことで嫉妬なんてしなかったと思う。

なんでなんだろう。
なんでカオリはよっちゃんにあんな嫌味を言ったのかな。


「飯田先生はおもいっきり派閥人間なんだよ」

あたしのカオリとの話を黙って聞いていたよっちゃんはビールを一口飲んでそう言った。

「どういうこと?」
「なんでアヤカが飯田先生と入れ替わりに日本に戻ってきたと思う?」
「さあ」
「理事長がね、飯田先生を遠ざけたかったんだ。病院長派の飯田先生を」
「派閥争いってこと?」
「そう。アヤカは派閥に無関心だからね、理事長としては都合がよかったんだよ」
「ふーん。飯田先生が病院長派でおもいっきり派閥人間だから
 理事長がロンドンに追いやったってのはなんとなくわかったけど…」
「飯田先生はたしかに藤本くんに未練なんてないと思うよ」
「わかる?」
「見てればね。昼間のアレは藤本くんを心配したってより
 むしろあたしに対する敵意がマンマンだったもん」
「なんでよっちゃんを?」
「普通に考えたら元カノの恋人にいい顔しなかったっていう心のちっちゃさの表れだけど…」
「よっちゃんも飯田先生のことキライでしょ」

フンとよっちゃんは鼻を鳴らして肯定の意思を示した。

「たぶん飯田先生は理事長に頭にきてたと思うんだよ。
 いきなりロンドン行けって言われて。それ以前に敵対する派閥のトップだし。
 でも反発するわけにはいかない。派閥人間は会社人間だからね。
 当たり所がなくてイライラしてるときにあたしっていう格好の理事長派の下っ端が現れたから
 思わずケンカ売るようなことを言っちゃったんじゃないかな。
 きっと普段はもっと冷静な人なんだろうな」
「よっちゃんは派閥人間とは対極の存在だと思うんだけど」
「あたしは権力の庇護を受けてそれを存分に活用してるだけであって、
 飯田先生に恨まれるのはまったくもって筋違いなんだけどなぁ」
「じゃ、あたしってもしかして…」
「そう。ダシにされたんだよ。あたしにケンカふっかけるのに都合よかったんじゃない?」

なんか怒りがこみあげてきた。
こんなことなら最初からなにもかも正直に喋ってればよかった。
あの気まずい思いはなんだったの?
あたしケンカに巻き込まれただけじゃん。
あたしのお昼とお昼休みと食欲を返せ。

「アヤカはきっと三角関係のもつれとか思ってるんだよ絶対。
 敵対する派閥に所属する者同士の争いだなんてこれっぽっちも思ってないよ。
 アイツも藤本くんと飯田先生の間になんかあったって勘づいてるっぽかったから」

なんだ。
じゃ結局全員が知ってたんじゃん。あたしとカオリのこと。
どっと疲れが肩にのしかかって来た。
ほんっとに馬鹿馬鹿しい小芝居を演じてたのね、あのランチタイムの四人は。
考えすぎて頭痛かったのに。
今夜は心なしかジョッキも重く感じる。

「そういえば木村先生とはなにがあったの?単にエッチに対する見解の相違じゃないでしょ」
「あぁ…あのさ、応接室でやったっつったじゃん?」
「うん。その相手がもしかして木村先生なの?!あれ石川さんあたりだと思ってた」
「それが理事長にバレてさ、こっぴどく怒られて出入り禁止にされたのね。
 それがもとであたし入試に飛ばされたの」
「そうだったんだ」
「そ。だからアヤカとのことはにが〜い思い出なわけでして」
「バッカじゃないの。そんなことのためにあたしに彼女のふりさせるな」

バコンッ

「イッテェ。なんだよ美貴なんて飯田先生とのこと必死に隠そうとしちゃってさ」
「………」
「寂しかった」

視線をあたしの手もとあたりに彷徨わせながらそんなことを言うよっちゃんは
いつもより全然小さく見えた。
情けなくてちょっとおかしかった。
拗ねたときのヴィンセントのようで。

「べつに隠してたわけじゃないもん。言うのが面倒だっただけで。
 それに結局は全部話したでしょうが」
「あたしが勘づかなかったら言わなかったんだろ?藤本くんはめんどくさがりだもんねー」

よっちゃんは吐き捨てるようにそう言ってグイッとビールをあおった。
その言い方にはかなりカチンときた。
今度はあたしとケンカしたいわけ?!

「よっちゃんにそんなこと言われる筋合いない!いちいち報告する義務なんてないでしょ!」
「あたしはいつもなんでも言うもん」
「アンタが誰と寝たとかよかったとかそんな話あたしが聞きたいとでも思ってるわけ?!」

いつのまにか怒鳴っていた。
勢いで言わなくてもいいことまで言ってしまっていた。

「思ってないよ。思ってるわけない。美貴に聞かせたいなんてホントは思ってないよ」
「じゃあなんで言うのよ」
「妬かせたいから」
「はぁ?」

焼くってなにを。イモかなんか?

「美貴に嫉妬してもらいたいからだよっ」

言ってる意味がよくわからなくてとりあえずビールを飲んだ。
いや、言ってる意味はわかる。わかった。
日本語だしある程度の理解力はあたしにだってある。

わからないのはよっちゃん。
目の前でやっぱりビールを飲んでいる彼女。あたしの友達。

この友達が言うにはあたしに嫉妬してもらいたくて
自らの女遊びをあたしにいちいち報告してたという。
てことはあたしに嫉妬してほしくて女遊びしてたってこと?まさか。
そんな、いくらなんでもそれはないだろう。
女遊びは彼女のライフスタイルだもん。
とりあえずこの疑問は置いといて、次。

あたしに嫉妬してほしいってどういうこと?
普通に考えたらあたしのことが好きってことだよね?
普通じゃない考えをしたら…普通じゃない考えってなによ。
どう考えたってあたしのことが好きってことじゃん。
いやでも待てよ、あたしのこと好きな人があたし以外の女と遊びまくる?普通。
そんなの普通じゃない。おかしい。
よっちゃんはおかしい。ってかそもそも普通ってなに?

「あの〜藤本くん?頭から煙でてるよ。なんかプスプスいってるよ。
 思考回路ショートしちゃった?」
「わかった」
「ふぇ?」
「よっちゃんはおかしいんだ」
「なんだよ急に。藤本くんほどじゃないよ」
「あたしはおかしくない」
「あたしからしたら十分おかしいよ」
「どこが」
「あたしをこんなに夢中にさせるんだもん。藤本くんがおかしいとしか考えられない」
「そういうセリフをサラッ言うかな」
「クラッときた?」

ガガンッバキッベチッ

「あたしのことが好きってこと?」
「はっきり言うとそういうことだね」
「あたしのことを好きな人があんなに毎日いろんな女と寝まくる?」
「毎日じゃないよ。だって寂しいんだもん」
「出張先でも先生や学生に手ぇ出して」
「自分とこの学生には出してないよ」
「それはさすがにご法度でしょうが」
「藤本くんとそういう関係にならないっていうかなれないフラストレーションが
 あたしを不特定多数の女に走らせたんだな、きっと」
「頭痛くなってきたかも」
「藤本くんが毎日一緒に寝てくれれば寂しくないんだけど」
「口調は控えめだけどすごい図々しいってわかってる?」
「藤本くんがあたしのこと好きじゃなきゃ
 あたしは藤本くんのこと好きになっちゃいけないって、そう思ってた」
「ちょっと待って。あたしがよっちゃんを好きじゃなきゃ
 よっちゃんはあたしのことを好きになっちゃいけない…?
 ややこしいけど言いたいことはわかった。でも意味わかんないよ」
「あたしだってギリギリのとこで頑張ってるんだから藤本くんもわかる努力をしてくれよ」
「ご、ごめん」

思わず謝っちゃったけどあたしが謝ることないじゃん!
混乱するようなこと言ってるコイツがどう考えても絶対悪い。
おかしい。とても口説かれてるとは思えない。

「つまりね、グダグダ言い訳じみたこと言っちゃったけど」
「言い訳じみたじゃなくて言い訳じゃん。認めなよ」
「うっさい。話の腰を折るな。言いたいこと忘れちゃうじゃんか」
「それが女を口説くときの言い方なわけ〜?なんかムカツク」

「だっから〜あたし本気でいっぱいいっぱいなんだよ。
 もうなにがなんだかわかんなくなってきた!!
 あたしは美貴が好きで、でも美貴があたしを好きじゃなきゃこんなこと言うつもりはなかった。
 ずっと友達のままでいるつもりだったしそれでもいいって、それがいいんだって思ってた。
 べつに美貴があたしのことを好きだってわかったわけじゃないけど、
 飯田先生とか出てきて美貴必死で隠すし、なんかムカついてイライラして混乱して。
 それであたし美貴のことがすっげー好きなんだって、
 たとえ美貴があたしを好きじゃなくても
 あたしはもう美貴が好きで好きで仕方なくなってるんだって、
 友達のままじゃイヤなんだって今さらながら気づいちゃったんだよ!わかれ!!」

よっちゃんはあたしの目を見ながら一気にそう捲くし立てた。
彼女の気持ちが、あたしの胸に深く突き刺さる。

理屈とか意味とかそんなこともうどうでもいいか。
この人があたしのこと本当に好きなんだって伝わってきた。
ちゃんとちゃんと伝わってきた。

不器用な告白。
いつもはもっとスマートに女の子を口説くだろうこの人がこんなに一生懸命に
顔を真っ赤にして、汗かいて、髪振り乱してあたしに好きだと伝えている。
本気で好きなんだと伝えている。

こんなに好きの想いを強く感じた告白は初めてだった。



わかったよ?
よっちゃんの気持ち、ちゃんとわかったよ?



「でもよっちゃんとは飲んで騒いでバカやってたい…」
「………わかった。バカやろう?」

涙声のあたしとは対照的にイヒッといつもの笑顔で
いつもと変わらぬトーンで彼女はあたしの頭を小突いてくれた。
それは彼女の精一杯の気遣いなんだろう。

涙の粒が手の甲に落ちた。



よっちゃん、物わかりよすぎだよ…



「おにーさーん!ここの美人に生いっちょヨロシク!もちろん大ね」
「ここの男前にも生よろしく〜」

おにーさんのハイ喜んで〜を聞きながらあたしたちは笑いあった。
けど、その笑いはもう昨日までのものとはどこか違っているような気がしていた。











5へ
カノトモページへ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送