大学編 3






最初はゆっくりと、控えめだった。

あたしの唇の形を確かめるようによっちゃんの唇が左右に上下に動いて
触れるか触れないかの距離で優しくなぞった。
上唇と下唇を続けてはむっと挟まれ舌で濡らされる。
いつのまにか彼女の舌が半開きになっていたあたしの口に入り込んで
口腔内をゆっくりと、でも激しく暴れまわった。

歯列をなめられ舌を絡み取られ唾液を飲み込む。
激しさを増していくあたしたちの赤い舌。
それ自体独立した生き物のように彼女のとあいまってお互いの中で動きまわり求めあう。
あたしはすでに彼女のなすがままになっていた。
そして徐々に襲いくる波に身を委ねた。

あたしを跨るようにして上になった彼女は首の下に顔を埋めチロチロと舐めまわした。
彼女の手がシャツの中に侵入し素肌のお腹をそっと撫でた。

「やぁん」

快感に思わず声が漏れる。
堪らなくて彼女の首に手をかけ自分のほうに引き寄せた。
二人の距離をゼロにして指を髪に絡めこれ以上ないくらい唇を欲しがった。

あたしは完全に彼女に、彼女の舌に夢中で朦朧とした頭でなにも考えられなくなっていた。
体をなぞる指や首筋に這わされた唇に酔いしれていて、
自分の中から熱いものが込み上げてきているのをおぼろげに感じていた。

彼女との熱いキスに、溺れきっていた。

「はぁんっ」
「美貴、美貴…」

彼女の手があたしの胸に伸びてきてゆっくりと弧を描くように優しく触れた。
ブラの上からだというのに直接触れられているかのような快感に体が痺れる。
もうあたしは目を開けるのも難しいくらい感じてしまっていて、
涙目の中から薄っすらと見えた先には今までに見たこともないような目で
あたしを見つめるよっちゃんがいた。
そのゾクゾクするような艶かしい視線に絡み取られなんの抵抗もなくシャツを脱がされた。

彼女の手がブラのホックにかかったその時、突然あたしの携帯が着信を知らせた。
そしてハッと我に返り慌てて彼女の腕から逃れ通話ボタンを押した。

「はいっ藤本です。い、いえとんでもないです。ええ、はい。
 明日は、たぶん大丈夫だと思います…その件でしたら昨日の夕方にメールが
 ええ…はい、そうです。そう仰ってました。ありがとうございます。それでは」

電話を終えてもあたしは彼女のほうを向けなかった。

今あたしたちなにしてた?
ねぇ、なにしてたの?
なんで?
なんで?
なんで?
なに考えてた?

よっちゃんと、あたしエッチしようとしてた…。
しかもあたし自分から…。

脱がされたシャツを頭からかぶり昂ぶる気持ちを必死で抑える。
頭の中が混乱していた。

よっちゃんのキスの上手さとか慣れた手つきとかがまだあたしの体に余韻として残っていて
それが余計にあたしから考える力を奪っていく。
彼女と一線を越えようとしていた自分にとにかく戸惑っていた。
課長からの電話がなかったらあのまま…ううん、今だって
振り向いて彼女の胸に飛び込んだらたぶん、わからない。

あたしはどうしたいんだろう。
…わからない。
体はもちろん欲していた。
…心は否定する。
でもそれ以上に頭は混乱していてあたしはしばらく動けずにいた。

「美貴…」
「…よ、よっちゃんやっぱりキス上手いね〜」
「美貴?」
「美貴も危うく本気になるとこだったよ。危ない危ない」

よっちゃんの顔が見れなかった。
わざと明るく軽く振る舞った。
できるだけシリアスにならないように、
重い空気がどこかにいくようにと今は望んでいた。

あたしの名前を呼ぶ彼女の声が思いのほか真剣だったことは無視して。

いつもの調子に戻りたかった。
いつもの二人でバカやりたかった。
こんな関係をあたしは…望んでいないはずだから。

知らないうちにシャツの裾をぎゅっとつかんでいた。

「だしょだしょ?オイラのテクに溺れちゃったのかい?美貴ちゅわん」
「ぶゎーか。なに言ってんのよエロ魔人」

数秒の後に彼女がいつもの調子で笑いかけてきて正直ホッとした。
彼女の普段と変わらない口調と空気のおかげであたしたちはあるべき場所に戻ってきた。
緊急不時着みたいな戻り方だったけどでもこれでいい。
あたしの選択は間違ってなんかない。
たぶん、絶対間違ってない。

枕でブン殴ってお腹空いたよーと叫んでみる。
ハイハイお姫様、なんて言って彼女はキッチンに向かう。
悔しいことに彼女の料理の腕前はキスよりも凄い。
ううん、やっぱりキスのが凄かったかな。
あたしをあんなに腰砕けにしちゃうんだもん。
でもあたしはこっちの関係を選んだ。
自ら望んでこちら側にきた。
だからいいんだ。


これでよかったんだ。


あのまま流されていたら
今頃こんな美味しいプレーンオムレツ食べれてないもん、きっと。


これでよかったんだ。


鼻の頭にケチャップをつけて美貴ちゅわん舐めて〜なんて言ってる
どうしようもないバカをニコニコしながら叩いて、そんなことを自分に言い聞かせていた。





大学の教職員の夏休みは長い。
学生ほどじゃないにしても普通の社会人よりはあるんじゃないかな。
数えたら今年は曜日の関係で18日もあった。

あたしは早々と夏休みはミセスマクドーナンドのところへ遊びに行く予定を立てていた。
だから課長から休日出勤を言われてもそんな急な接待なんて絶対ムリですと突っぱねた。

わがままとかじゃないよね?
だって海外だよ?
ロンドンだよ?
その日のためだけに帰るなんてバカバカしいこと絶対ムリ!
ちょっとそこまでの距離じゃないんだから。
それともロンドン行くなってこと?
アホじゃないかと。
課長も悪いと思うならそんなこと言わないでよね、まったくもう。

こんなあたしの心の声をもう少しマイルドにして課長に伝えたところあっさり却下された。
ありえないから。
どんな大切な接待だか知らないけどあたし一人いないくらいでダメになるようじゃ
元からダメだよそんな商談。

あたしの意見は至極もっともだと課長も言ってくれたけど
「いかんせん人手が足りないんだよ藤本くん」ってそんなよっちゃんみたいな口調で言われても。

人手が足りないとは言っても秘書課にはけっこう大勢の女の人がいる。
そりゃ石川さんはこないだ階段から派手に転がり落ちて足の骨を折って入院中だし
後藤さんは後藤さんでその日は弟さんの結婚式があるからもちろん無理なんだけど。

課長ははっきりとは言わなかったけど秘書課にいるちょっと若いとはいえない年代の
お姉さま方ではやはり格好がつかないらしく、一人でもあたしみたいな若いコがいないと
上にも下にも示しがつかないらしい。

といってもあたしももう言われるほど若くはないんだけどなぁ。
そりゃこの中では一番年下だけど。

泣きそうになりながら頭を下げる課長を見ていたら気の毒に思えて首を縦に振ってしまっていた。
ロンドンのミセスマクドーナンドの笑顔と手作りスコーンが遠のく。
あたし泣き落としとかに弱いのかなぁ。
よっちゃんにもこの手で唇奪われたし。

「あ、それから藤本くんの負担が大きいと思って入試課の吉澤くんに助っ人頼んでおいたから。
 彼女もすでに了承済みだよ」

課長、やっぱりムリです。
ロンドンに逃亡したらクビですか?


「ごめんね藤本さん。こんなときにうちの弟が結婚なんて」
「弟さんの結婚じゃ仕方ないよ。友達とかだったらムリして来てもらうけど」
「石川さんがあんなんじゃなければね〜」
「ホントだよ。夏休み前に骨とか折るかな普通」
「それはそれですごい可哀相だけど、なんでか彼女にはあまり同情できないんだよね〜」
「そうなんだよね〜。なんでもないとこで一人で転んで落ちただけだもんね〜」
「あんなところでね〜」
「なんにもないのにね〜」

あたしたちはお茶を飲みながら話を続けた。

「よしこも災難だね。貴重な夏休みの一日が接待で潰れて。しかももう秘書課じゃないのに」
「よっちゃんと言えばさ、酔っ払うとけっこうあれだよね」
「あれって」
「キス魔」
「そうなんだ。あたしよしこが酔っ払ってる姿って見たことないな、そういえば」
「そうなの?」
「うん。あまり酔ったところ人に見せないと思うよ。女の子酔わせてるのはよく見るけど」

あははと笑ってシュークリームにかぶりつく後藤さん。
かわいい顔してけっこう食べ方豪快だよね。

「じゃあ藤本さん大変だったんだ。キスだけじゃ済まなかったでしょ」
「ま、まさか。あたしの鉄拳で目ぇ覚まさしたから」
「ほぅ〜よしこも災難だねぇ」

指についたクリームをひと舐めしてティッシュを取る後藤さんを見てたけど
べつになんとも思わなかった。
指を舐める姿に欲情なんてしないよね。
やっぱりよっちゃんは万年発情中だからだ。きっとそうだ。

「よしこって本命いるのかなぁ」
「後藤さんてよっちゃんとエッチしたことある?」
「ないよ。あたしは石川さんみたいに割り切ってエッチできないから」
「へー意外。あたしてっきり応接室の相手は後藤さんだと思ってた」
「どうせ石川さんあたりじゃない?藤本さんはあるの?よしこと」
「あ、あたしもないよ。よっちゃんとはそういうんじゃないから」
「ふーん。なんか動揺してない?てか休憩中にする話題じゃないよね。ま、いっか。ヒマだし」

動揺は悟られたけどあまり興味がないのか後藤さんはシュークリームを食べ終えると
今度はクッキーに手を伸ばした。
どうでもいいけどよく食べるよね。

「なんであんなにいろんな女の子と普通にエッチできるのかなぁ。不思議で仕方ないよ」
「よっちゃんはスポーツみたいなもんだって言ってたけど」
「スポーツねぇ。健全な言葉に言いかえてるけどそれって歪んでるよね」
「うん?」
「よしこって本当に人を好きになったことあるのかな」

あたしもそれは思ったことがあった。
明るくていつもヘラヘラしてバカやってエロ魔人で、
呼ばなくても向こうから女の子が寄ってきて尚且つお金持ちのよっちゃん。

あたしという飲み仲間もいるし仕事にもそれなりに楽しみを、
と言ってもやっぱり女だけど、見出して深く考えるようなことなんてなさそうな彼女。

パッと見はストレスなんて言葉からは無縁で順風満帆な人生を送ってるような感じだけど
実際のところはどうなんだろう。
エッチをスポーツなんて割り切ってる人が本当に幸せなんだろうか。

「お調子者だけど実は繊細で傷つきやすいんじゃないかって気がする。勘だけど」

副理事が急なお客様を連れてきてあたしたちは仕事に戻った。
もう少し後藤さんの『よしこ分析』を聞いてみたい気がしていた。



いつのまにか夏休みに入りロンドン行きをやむなくキャンセルしたあたしは俄然ヒマだった。
この際ずっと先延ばしにしていた大掃除でもしようと思い立ち、とりあえずよっちゃんを呼んだ。

「で」
「で?」
「ほら、あたし一人じゃ家具とか動かせないし」
「……」
「ぶっちゃけ一人じゃ終わるかわかんないし」
「……」
「よっちゃん片付け上手だし」

その上目遣いで人のことジーッと見るのやめてくれないかな。
拗ねてる顔がやけに可愛いよ。
そりゃウソついて呼んだのは悪かったけどちょっとしたジョークじゃん。
なんだかんだ言ってもよっちゃんがちゃんと掃除を手伝ってくれること
あたしは知ってるんだから無言の抵抗はやめてよね。
いつものキミの悪ふざけにくらべたらたいしたことじゃないと思うんだけどな。

「あたしさー、理事長の客のちょっとした相手をしてたわけよ」
「それでスーツなんだ」
「日本に来たの初めてらしくていろいろ案内してやってくれって」
「外国のお客様なんだ」
「でも正直かったるかったからバックレる方法ないかなーとは考えていたんだよ」
「じゃあちょうどよかったじゃん」

サングラスから覗く目があたしを睨んだ。
なかなかの迫力だけどあたしにくらべたらまだまだ甘い。
かっこよさは文句なしだけど。

「すっげー心配したのよ。わかる?」
「ごめん」
「なんでくだらないウソつくかなぁ」
「だからほんの冗談のつもりで」
「でもメールに一言『助けて』はないだろ。電話してもつながんねーし。マジあせったっつーの」
「あー、もう本当にごめんって」
「……」
「まさかそんなに心配してくれるとは思わなかったんだよ〜」
「……」

はぁ〜、仕方ない。

「だって、よっちゃんに会いたかったんだもん…」
「みっきちゅわーん!!オイラもオイラもー!」

飛びついてくる単純バカを軽くよけてベランダに続く窓を開けた。
気持ちのいい風が入ってきて頬をくすぐる。
今日は珍しく涼しい。絶好の掃除日和だ。

「さて、やるか」

バカ大王はベッドにダイブしたまま枕に顔をこすりつけている。

「うーん。美貴のにほひ。ぐえぇっ」

その背中にどすんと腰かけながら腕まくりをして掃除の準備に取り掛かった。


「よっちゃん着替えたほうがよくない?」
「んじゃなんか貸してくれよ」

高そうなスーツをぽんぽん脱ぎ捨ててよっちゃんは手渡した古いジャージと
Tシャツに着替えて頭にタオルを巻いた。
あたしのではやっぱりというか当然丈が短くて、裾を折ってハーフパンツみたいにしている。
どこからどう見ても完璧な掃除スタイルだ。
もしかしてすごいやる気になってる?

「あたしさー、こういう大掃除とか引越しの手伝いとか実は好きなんだよ」
「へぇ。珍しいね」
「なんか楽しいじゃん。皆でひとつのことを為し遂げるのって」
「普段はめちゃめちゃ個人主義のくせによく言うよ」
「そうそう。そうなんだよ。仕事とかは絶対一人でやりたいって思うし
 実際なにもかもっつーか出来る限り一人でやってるんだけど、不思議だよなー」

喋りながらもキビキビ動いてテキパキ働くよっちゃん。
見る見るうちに雑誌の山がキレイに整頓されていく。

「よっちゃん手際いいね」
「慣れてるから」
「引越しのバイトでもしてたの?」
「つーか引越しが多かった」

考えてみたらこのお金持ちがバイトなんてするはずがないか。
それでも引越しの梱包は自分でやるんだね。

「キレイに並べてくれたのはありがたいんだけど」
「うん?」
「その雑誌全部いらないから」
「先に言えーっっ」

呆れて怒るよっちゃんにいるものといらないものを説明させられた。
ちょっとでも迷うと「迷った時点でいらないんだよ」と
いらないもののレッテルを貼られ次へと促される。
ひと通りの説明が終わるとよっちゃんは納得したようにすごい速さで片付けだした。
そしてあっという間にいらないものの山が築きあげられる。

あたしがお風呂とトイレを掃除している間に
よっちゃんはリビングとキッチンをピカピカに磨きあげてくれた。
ベッドを動かしキャビネットの位置を変え、
そう広くもない部屋の模様替えまでしたところでお腹が鳴った。

「よっちゃん、お腹空いたよー」
「オイラもー」
「なんか食べに行こうか」
「そうだね。あとはいらないものを捨てるだけだしこれだけキレイになれば十分っしょ」
「よっちゃんありがとね」
「おう。じゃなんか食いに行くかー」

結局掃除を手伝ってもらった上に(というかほとんどよっちゃんがやってくれた)
ゴハンまでご馳走になった。
退屈な夏休みの一日がよっちゃんのおかげで充実した日に様変わりした。
彼女といると楽しいし一日が過ぎるのがとても早く感じられる。
今日はいい日だったなーと思いつつも間近に迫った休日出勤のことを考えると
やっぱり少し気が重くなっていた。



接待とは言っても教授陣の間に座って和やかに談笑したり
カラオケを歌わされたりお酒を飲まされたり…つまりホステスみたいなものだ。
あたしは意外とこういう割り切りはできるほうなので
いつもの眼光を隠して愛想笑いなんて簡単に浮かべちゃったりできる。
あれ?向こうで課長が冷や汗かいてこっちを見てるのはなんでだろう。

肩を抱こうとするお偉い先生をするりとかわしてトイレに立つ。
ちょっと休憩しないと顔がもたないよ。
むりやり作る笑顔って本気疲れる。

トイレから出るとよっちゃんが通路のベンチに腰掛けて
ほっぺたをグリングリン回してこれでもかと揉んでいた。
彼女もまた貼り付けた笑顔の限界が近いらしい。

「これいつまで続くの?」
「ん〜。たぶんもうお開きだと思う。先生たちもうほとんど潰れてるから」
「よかった。もう顔もたないよ」
「今日はここに部屋取ってくれてあるみたい。もう遅いからね。うちら同部屋だって」
「それって会社持ちだよねぇ」
「当然。うちらの苦労を上はちゃんとわかってるんだねぇ。ここに泊まらしてくれるんだから」

そう。ここはけっこうというかかなりの高級ホテル。
値段ももちろん高級なわけで、仕事でもなければ絶対に、一生、まず間違いなく
足を踏み入れることができなかっただろうホテル。
ここに泊まれるんだから今日のことは大目にみてやろうかな、
と課長の顔を思い浮かべながら偉そうなことを呟いた。

「にしても藤本くんさぁ」
「なに?」
「ぶはっ。あの顔ってマジなの?」
「あの顔ってなによ」
「あの仏頂面。ものすごーいつまんないって顔してた」
「うっそぉ。あたしめちゃめちゃ笑顔じゃなかった?」
「じぇんじぇん。それ見て課長なんて冷や汗タラタラだったよ」
「あー、それでか…」
「部屋が薄暗かったし先生たちも酔ってて気づいてないとは思うけどね。
 でも、ぶははっ。ホントおかしかったー」
「だって楽しくもないのに愛想笑いなんかできないもん」

ちょっと拗ねた口調になってしまった。
自分では完璧にできてると思ってただけに指摘されてちょっと悔しかったから。
それにしてもそんなに仏頂面だったのかな。
課長も気が気じゃなかったろうなぁ。気の毒に。

「ウンウン。そこが美貴ちゅわんのいいとこだよ。
 美貴ちゅわんの笑顔はオイラが知ってるからいいのだ」

バーカと頭を一発殴ってから先生たちが潰れてる部屋に戻った。
いきなり恥ずかしくなるようなこと言われて顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。
よくああいうセリフをサラッと言えるよ。
こっちが照れくさくなるようなこと。
嬉しかったけど。


けっこうな時間が経過してヘロヘロになった先生たちを男性陣が部屋に送り届け
あたしは課長から今夜泊まる部屋のカードキーを受け取った。

それにしてもあんなダラシナイ格好のオジサンたちが普段偉そうに学生に講義したり
説教したりしてるのかと思うとなんだか学生が気の毒になってきた。
そりゃオジサンたちだってたまには羽目を外すだろうけどグチがひどすぎる。
やれあんな学生たちになに教えたって無駄だとか。
授業料をもっと上げて自分たちに還元すべきだとか。
完全に学生を見下している。

だれのおかげでメシが食えると思ってんだー!とあたしはずっと心の中で叫んでた。

まったく病んでいる。
腐っている。
学生が減っているのを社会情勢のせいになんてしないで自分たちの非を素直に認めるべきなんだ。
この大学は根本的に病んでいる。

でもきっとこういう状況はうちの大学だけじゃないんだろう。
全国の大学で似たようなことが起こっていて下っ端がなに叫んだってなにも変わらないから
あたしはこの環境に甘えてずるずるとこんな高級ホテルに泊まっちゃったりする。
この費用だって元を質せば学生から出てるお金なんだよねぇ。

そんなようなことを一緒に部屋に入ったよっちゃんにぶつけたら
ニッコリと笑ってなぜか嬉しそうに頭を撫でられた。

「クールなふりしてホントは熱いんだよね〜美貴ちゅわんは」
「うっさい」

なんとなくバカにされたような気がしてさっさとシャワーを浴びに行った。
普段バカなことばかり言ってるけどよっちゃんならわかってくれると思ったのにな。
シャワーを頭から浴びながら言いようのない孤独感を感じていた。


「おかえり〜。ねぇねぇベッドどっちがいい?やっぱ一緒に寝るのが一番だよね。
 イテ!って痛くない…あれ?殴らないの〜?美貴ちゅわーん。おーい」
「………」
「美貴ちゅわーん?」
「………」

あたしなんでこんな子供っぽいんだろ。
最近のよっちゃんとはギクシャクすることが多くて、だからなのかな?こんな行動しちゃうのは。
無言の抗議なんて馬鹿げてるのに。
よっちゃんはべつに悪くないのに。

あたしの本気を受け取ってもらえなかったからって。
なんであたしこんなに…。

やれやれって顔のよっちゃん。
やっぱり呆れてるよね。
いつもはあたしが呆れる側なのに立場が逆転しただけでこんなに居た堪れない気持ちになるなんて。
やっぱりあたしどうかしてる。

「藤本くんが思ってるほどうちの大学は腐っちゃいないよ」
「ほぇ?」
「気持ちはよくわかるし言ってることももっともだと思うよ。
 この現状に問題意識持ってる人だっていっぱいいるはずだし。
 若い先生たちの中には自らそれを打破しようって頑張ってる人も出てきている。
 上もね、そういう状況をまったく把握してないわけじゃないんだよ。
 ただ長年培ってきたものを変えるにはそれなりの痛みが伴うわけで…
 だからゆっくり時間をかけて、なるべくいろんなところに
 ダメージを与えないやり方で改革を進めようとしてるんだよ。
 あたしたちはやるべき仕事をやってればいいんじゃない?
 適材適所って言うでしょ。皆が自分の持ち場でやれることをやってれば
 自ずといい方向に進むんじゃないかなぁってあたしは思うよ」
「………」

口を挟む隙を与えずによっちゃんは一気に喋った。
正直、びっくりした。

チャランポランで会社に女の子に会いに来てるような人が言うことじゃない。
でもあたしの気持ちをないがしろにしたわけじゃないってわかって嬉しかった。
それになんか、なんかすごくかっこいい。

でもそれを素直に口にするのはやっぱり恥ずかしいわけで。

「よっちゃん、頭大丈夫?」
「ぬわーんだよそのセリフ!いますごいかっこいいとこだろっ」
「だってよっちゃんがそんな真面目なこと言うなんて…頭でも打ったとしか思えないよ」
「ひどいや美貴ちゅわん」

部屋の隅で背中を丸める姿が可愛くて、ホントはかっこいいって思ったんだよと伝えようとした。
伝えようとしてそんなのあたしたちらしくないなって思い直した。
だからタタタっと勢いよく走り寄って彼女の丸まった背中にダイブした。

「グエッ!お、おも〜」
「なんだとぉ!失礼な」

ゴチンッズンッ

「う、うそです。全然軽〜い。藤本くんもっと食ったほうがいいよ。マジで軽いから」

あたしをおんぶした状態で部屋の中を駆け回るよっちゃん。
あたしも頭の上から突撃ぃなんて掛け声だしちゃって騎馬戦ごっこで見えない敵と戦ってる。
よっちゃんもノリノリでウワーッて敵にやられたふりとかしちゃって。

いい歳して夜中に高級ホテルでバカ騒ぎしてるのなんてあたしたちくらいだよ。
でもこんなに楽しいのもきっとあたしたちくらいだよね。

ずっとこうしていたくてよっちゃんの背中にしっかりしがみついていた。
疲れきった彼女がベッドに倒れこむまで、ずっと。





結局ソフトボール大会は例年通り看護婦さんチームの優勝で終わった。
あたしたち事務員で編成されたチームは決勝で彼女たちに敗れ惜しくも準優勝。
モチベーションの有無が勝敗を分けた気がする。
あたしたちにはあそこまで必死にボールを追いかける理由がなかったから。

骨折が完治したばかりの石川さんは試合中やっぱりなにもしてないのに捻挫して
庶務課の矢口さんの失笑を買っていた。

よっちゃんは実行委員で、救護係も兼ねていたこともあって常に忙しそうに動き回っていた。
むしろ自分から進んで仕事を引き受けて忙しくしてるようにも思えた。
だからあたしが恋人のふりなんかしなくったってよっちゃんには逆ナンされる暇もなく
結局、彼女の心配は杞憂に終わった。

ひょっとするとこれが彼女の本当の作戦だったのかもしれない。

準優勝とはいえけっこうな賞金をもらったあたしたちはそれを全て打ち上げの費用に充てた。
大人数の飲みの席はそれはもうひっちゃかめっちゃかで、皆一様に普段のうっぷんを晴らしていた。

よっちゃんは相変わらずその社交性をいかんなく発揮して女の子たちの間を行ったり来たり。
バカやったり格好つけたりして楽しませてくれていた。

「よしこさー、ほんっとマメだよね。女の子に関しては」
「なになに、後藤さんもようやくオイラの魅力に気づいたの?今夜どう?」
「あたし遊びでエッチはしないから」
「そう言うと思ったよ」

隣の矢口さんのグチに飽き飽きしていたらちょうどよっちゃんと後藤さんの会話が
耳に入ってきて聞くともなしに聞いていた。

「これ美味し」
「どれどれ。お、ホントだ。後藤さんよく食うね」
「食べるよー。美味しいもの好きだし」
「オイラも美味しいよ。あ、でも後藤さんのが美味しそうだよね」
「コラコラ。ヤラシイ目で胸を見ない。よしこオッパイ星人だっけ?」
「うんにゃ。べつにそういうわけじゃないのだ。お尻も鎖骨も好き」

鎖骨に反応してちょっとムセた。
ていうか後藤さん、オッパイ星人って…。
隣の矢口さんが自分の身長のことについてグチりだす。
今さら牛乳飲んだって伸びませんよ。

「鎖骨ねー。なかなかイイ線ついてるじゃん」
「だしょ?鎖骨イイよなぁ」
「あたし昔スノボで鎖骨折ったことあるんだよね」
「へぇ〜」
「ほら、ここんとこちょっと形歪んでるでしょ」
「後藤さーん、その気もないのに誘うなよ。ヤバイから。オイラ本気モードになっちゃうよ?」
「フフン。よしこの本気は付き合う気のない本気だからね〜」
「なんだよそれ」
「エッチはスポーツで遊びなんでしょ?そういうのは本気って言わないの」
「なるほど。後藤さんとエッチするには本気で好きにならなきゃいけないわけね」
「そういうこと」
「じゃあオイラのこと本気で好きになってよ。したらオイラも好きになるから」
「なにそれ。自分のこと好きじゃない人じゃなきゃ好きになれないってわけ?」
「…そんな熱くなんなよ」
「バカにしてない?だれも見返り求めて人好きになんてならないよ」
「………」
「要するによしこは」
「知ってる。臆病なんだよ」

たぶん後藤さんが言おうとしたことをよっちゃんが先回りして後をつなげたんだろう。
二人が不穏な空気になってからなぜだか身動きが取れなかった。
体を固くしてずっと耳を傾けてた。
すでに矢口さんの話なんて聞こえてなくて申し訳程度に打っていた相槌も今はない。
視線は向けずに二人の状況を見守る。

「なんで」
「前にも言われたことあるから」

我慢できず二人の方に目を向けるとよっちゃんはトマトを口の中に放り込んでいて
後藤さんは言い過ぎたって顔をしていた。
少しの間沈黙が続いて気まずい雰囲気が漂っていた。
なにか話しかけるべきかと考えたけれどこの状態でどんな顔して
会話に入っていけばいいかわからず、浮かしかけた腰を結局は下ろした。
矢口さんのターゲットはすでに石川さんになっていたので
あたしは相変わらずよっちゃんと後藤さんの動向に注目していた。

「んな顔するなって」
「変なこと言ってごめん」
「だーから謝るくらいなら笑って笑って。楽しく飲もうよ。
 あ、許してあげるからオッパイ触らせて?」
「やっぱオッパイ星人なんじゃん」
「いいじゃーん。オッパイ触らせろよー」
「なんであたしがよしこにチチ揉ませなきゃいけないのよ」
「いや、揉ませろなんて言ってないから」
「触ったら揉むでしょ?」
「そりゃ揉むけど」
「揉むんじゃん」
「だって揉まずにはいられないでしょーが」

なんで揉む揉まないで揉めてんだろう。ああややこしい。
いつのまにか不穏な空気が一変していてあたしは内心かなりホッとしていた。
これもよっちゃんのキャラクターの為せる技か。

それにしてもキミたち、オッパイオッパイって…チチって…。

「あー!もうっしつこいな!じゃ触るだけだよ?」

えっ!後藤さんいいの?
べつに後藤さんがオッパイ触らせることはないんじゃないかと…。
よっちゃんはおもいっきりガッツポーズしてるし。粘り勝ちだね。
これもよっちゃんのキャラクターの為せる技か、ってそんなわけないか。
後藤さん遊びでエッチはできないって言ってたくせにオッパイはいいんだね。
まぁあたしもよっちゃんに押し切られてチュウしちゃったけど。

それにしてもよっちゃんてホント、エロ魔人。

嬉々として後藤さんの胸に手を伸ばす彼女の姿を横目で見ながら
ガックリ肩を落として戻ってきた矢口さんのグチを今度は聞いてあげることにした。
そりゃ石川さんになに言ったって無駄ですよ。

「揉むなっつったろー!!」

バゴーンッ

見ると後藤さんがよっちゃんにアッパーカットを食らわしていた。
うーん、あの角度とあの手つき。
後藤さんってあたしよりバイオレンスかも。


結局、後藤さんの『よしこ分析』はよっちゃん自らの発言でしめられたわけだけど
彼女は自分が臆病だと肯定したわけじゃない。
肯定も否定もしなかった。

でもあの時あたしは後藤さんと同じことを思っていた。
だってミセスマクドーナンドのところのヴィンセントがそうだったから。
このよく似た二匹、じゃなくて一人と一匹は人懐っこさの影に臆病さを隠し持っている。
だからどうだっていうことはないんだけど少しだけよっちゃんの本質に触れた気がして
あたしは嬉しく思っていた。











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