最終話  存在






あの時、もしあの日吉澤さんを窓の外に見つけなかったら?
もし球技大会の実行委員に選ばれなかったら?
風邪なんてひかずにピンピンしていたら?
もし彼女が腰を痛めなかったら?

もしもの話をすることは生きていく上でなんの意味もないことだし
そんなことをしてもなにも変わらないとは思うけど。
それでも、それでも思わずには、考えずにはいられない。



もし吉澤さんに出会わなかったら。
この世に生を受けなかったら。



それでもいつかどこかで二人は巡り会ってきっと存在を確かめ合っていたように思う。

「ね、そう思わない?」
「うーん、どうかなぁ」
「なんだとぉー」
「あはは。だって生まれなかったら出会えてないじゃん」
「来世で出会えてたもん」
「おぉ!前向き」
「私のことからかってるでしょ」
「わかる?」

膨れる私を吉澤さんが背中からそっと抱きしめてくれた。
冬の冷たい風を遮るものがない屋上で私のまわりだけは彼女の温もりに包まれていた。

「うちらはさ、きっと前世でもこうしていたんだろうね」
「えっ…」
「でもって今もこうしているじゃん?」
「うん」

私のお腹辺りに置かれた吉澤さんの手に自分の手を重ねた。

「来世もこうしていられるかどうかなんて、ていうかそもそも前世とか現世とか来世とか
 そんなあやふやなものがあるのかどうかなんてあたしにはさっぱりわからないけどさ」
「……」
「それでもあたしは後藤さんを見つけるよ。きっと、来世でもキミを見つけてみせる」
「ありがとう」
「だからそのときは後藤さんもちゃんとあたしを…」
「私が!私のほうが先に吉澤さんを見つけるんだから。絶対、先に見つけてみせる!」
「おぉ!前向き」

そうやって私をからかう吉澤さんの眼差しがいつも温かいことを知っている。
そんなふうに見つめられるたびにその瞳に吸い込まれそうになってなんの音も聞こえなくなる。
世界と私の意識が彼女の瞳によって遮断される。
そういう状態の私をやっぱり彼女はからかって、そして優しく抱きしめる。

「そうだよ、前向きだよ。悪い?」

くるっと後ろを振り向き私より背の高い吉澤さんの顔を下から覗き込んだ。

「全っ然悪くないよ。お互い前を向いて歩いていこう。だからあたしの隣にずっといてくれる?」
「ん〜どうしよっかなぁ」
「コラコラ。そこは素直にイエスでしょ」
「は〜い」

答えた私の唇が吉澤さんの唇で塞がれる。
もう何度目かのキスなのに、私はやっぱり緊張して彼女の制服の裾を掴んでしまう。
温かくて柔らかい彼女の唇に頭の芯が痺れそうな感覚に陥る。
体中の力が抜けて思わずその場にしゃがみこみそうになったところを彼女がしっかりと支えてくれた。

「吉澤さんはいつもあったかいね」
「そう?後藤さんだからだよ、きっと」
「そっか」
「そうだよー」

クスクスと笑いながら額をくっつけたまま話す私たちの声を風がさらってゆく。
二人だけの時の流れの中をゆったりと泳ぐように私たちは囁きあい、髪を撫で、幾度も唇を重ねた。
そして時折思い出したように背中にまわした腕に力が込められる。
その存在を、確かめ合う。

「こんなこと言うのはありきたりでありがちであんまり好きじゃないんだけど……
 でも、言わずにはいられないから言うけどさ」
「フフ。前置きが長いよ吉澤さん。言いたいの?言いたくないの?」
「言いたいのっ。伝えずにはいられないから」
「はーい。で、何?」
「うん。えっとぉ…」
「何?言いなよぉ」
「なんか照れくさくなっちゃったよ」
「ほらー前置き長くするから。照れずに言って?気になる」
「えーと…いや、その、あの、うん。つまりなんていうか…」

本当に恥ずかしいらしい。
頬がみるみるうちに赤く染まったその姿を見て、初めて一緒に帰った日のことを思い出した。
あのときも今も吉澤さんは夕焼けに照らされたように真っ赤だった。
キョロキョロと視線を彷徨わせて、あーとかうーとか声にならない声を出し、少し涙目で空を見上げている。

背伸びをして言いよどむ吉澤さんにキスをした。

「そんなに困らないで」

自然に言えるときが来たら言ってくれればいいんだよ。無理しないで。

そう心の中でつけ加え吉澤さんの瞳をじっと見つめた。
いきなりキスをされて少し驚いた様子の彼女は、私の視線を受け止めると目を細めて微笑んだ。

「無理なんてしてないよ」

私の心の声が聴こえたのか吉澤さんは穏やかな声でそう言うと背中にまわした腕をゆっくりと動かし、
腰に行き着くとぐいっと自分のほうに引き寄せて私たちの体をさっきよりもよりいっそう密着させた。

「無理じゃないから」

だからもう少し待ってて。

なんとなくそんな声が聴こえた気がした。
吉澤さんの胸に埋めていた顔を上げて私は耳元で「待ってるよ」とそっと囁いた。
そして再び彼女の胸に耳をつけた。
早い鼓動が振動として伝わってきて、そのスピードが徐々に自分の鼓動と重なる。
同じリズムで生を刻むふたつの心臓。



まるでひとつになったようだった。



「ずっとこうしているとどこからが自分の体で、どこからが後藤さんの体なのかわからなくなる」
「私も。吉澤さんの背中と自分の手の境がないような気がしてこのまま眠れそうな勢いだよ」
「ははっなんだそれ。立ったまま寝るなよー」
「だって気持ちいいんだもん」
「うん、そこは同感。寝ちゃってもいいよ。ちゃんと支えてるから」
「ありがとう…」

薄いまどろみの中で吉澤さんに出会ってからの数々の思い出が脳裏に蘇っていた。
制服姿でグラウンドを突っ切る彼女やジャージ姿で腰の痛みに顔を歪める彼女。
これ以上ないタイミングでオレンジの世界に私を誘ってくれた彼女。
イチョウの舞い散る中そっと私を抱き寄せた彼女。
新しい遊び道具を見つけた子供のようなキラキラした顔で私をからかう少し意地悪な彼女。

そんな出会ってから今日までのいろんな表情の中で
たったひとつだけ変わらないものがあった。

私を見つめる優しい瞳。

いろんな場面、いろんな吉澤さんがいる中でその瞳だけはいつもいつでも同じ輝きで
優しく温かい眼差しを私に向けてくれている。
その大きな瞳には微笑む私が映っていた。



「まさか本当に寝るなんてなぁ」

途切れ途切れの意識の中に吉澤さんの澄んだ声が流れ込んでくる。
呆れた口調でおかしさを噛み殺したような声。
でもどこか楽しそうで、柔らかくて、耳に心地よかった。

「それだけ安心してくれてるってことなのかな」

吉澤さんが声を漏らすたびに頬に伝わってくる振動。

「あたしは後藤さんに安心してもらえる存在なのかな」

ゆるやかなリズムで

「ずっとそういう存在でいられたらいいな」

綺麗なアルトの声が

「かわいい寝顔が見えないのは残念だけど、こういうのもいいもんだね」

私の頭の上よりもずっと遠く、遥か彼方の高みから

「うん、…いいね」

私の耳に流れ込み脳を伝わり心を揺らし意識に溶け込む。



安心だよ。
吉澤さんとこうして抱き合っているととても安心できる。





「う…ん…」
「お、起きた?」
「あー………」
「おーい。後藤さーん?」
「ふぁ〜起き…起きた。うん起きた」
「気持ちよさそうに寝るねぇ」
「だって本当に気持ちよかったんだもん、ここ」

吉澤さんの首と鎖骨の辺りに鼻をグリグリと押しつけた。

「ここは後藤さんの場所だからね」
「指定席?」
「そ。これから先ずっとキミの場所」
「来世も?」
「そ。来世も、そのまた先もそのまたまた先もずーっと永久に」
「私の場所なんだぁ」

永遠の居場所を見つけた。
きっとこの場所は、何があっても私を受け入れてくれる。
あの笑顔と優しい眼差しで私を見守ってくれるのだろう。
時々私をからかって遊ぶ意地悪な居場所。

「あ、今なら言えそう」
「さっきの?」
「うん」
「そういうの黙って言えばいいのに」
「うぁ、そっか」

しまったなぁ、と頭をポリポリ掻いて吉澤さんは口を尖らした。
こういう少し間抜けな彼女もかわいいから私は顔が緩みっぱなしになってしまう。
緩んだままに膨らんだ彼女の頬にキスをした。

みるみるうちに私以上に表情を緩ませた吉澤さんの顔が近づいてくる。
目を閉じキスを待った。
唇が近づいてくる気配に震えるまつげ。
そっと重ねられた唇の、柔らかな感触が降りたその先は瞼だった。

「自分よりも、誰よりも大切な存在を見つけたんだ。後藤さんがあたしのすべてだよ」

吉澤さんの想いが私の体を静かに満たしていく。

ふいに、ひとつのイメージが頭の中を掠めた。
それはどこかわからない真っ白い部屋の中。
日当たりのいい窓辺で寄り添う二つの背中。

何年後か、何十年後かはわからない。
いつか訪れるはずの未来。
そこに向かって私たちはゆっくりと歩いていく。
手を繋ぎ、前を向いて、一歩一歩。

そんなふうに生涯を共に歩んでいける愛しい人を見つけた。
寄り添いながら。
いつまでも、いつまでも。





これは私の生まれて初めての恋。





そして、最初で最後の恋のおはなし。










<了>


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