酔っ払いの背中






こんな時間に呼び出されるなんてどうせロクな理由じゃない。

「うぃー。ご苦労ご苦労」
「げげ。やっぱり」

吐きかけられる息からはぷんぷんとアルコールの匂いが漂ってくる。
こんな風のない蒸し暑い夜に一緒にいたくないランク1位の酔っ払い。
さっさと送り届けて一発か二発殴って寝かしつけよう。そうしよう。

「むにゅー。むにゅむにゅ」
「ばっ、ちょ、よしこどこ触ってん…あんっ」
「えへへ。やーらかーい」
「運転ちゅ、マジやめ、こらっ…」

酔っ払いに翻弄されて夜道を蛇行する車。
危険極まりない。一番危険なのは隣のこのオンナだけど。

「ごっちんはぁ、どうしてこんな酔っ払いの相手なんかしてくれるの〜?」
「はぁ?アンタが呼び出すからでしょうが」
「ん〜。なんで来てくれるのかなぁ。いつも」
「なんでって…」

なんでだろう。考えていたら信号を見落とした。

「あ、信号無視」
「うわぁ」
「タイホされちゃうぞ!」
「うっさい。アンタのせいなんだからね!」
「ほー、人のせいにするわけか」

相変わらず酒臭い酔っ払いがニヤっと笑って窓を全開にした。
まさか吐くつもりなんじゃ…と嫌な予感が頭をよぎる。
でもこの酔っ払いはあたしの予想をはるかに上まわることをやってのけた。

「世界で一番ごっちんが好きだーーーーっ!!!」
「な、なに?!」
「ごっちんが好きだーーっ!愛してるんだーーっ!!」
「ばっ!いっぺん死ね!!」
「ぐあはぁっ」

箱乗り状態でがら空きだった脇腹に一発お見舞いした。
一発じゃガマンならなくて二発、三発と頭も殴る。
片手運転のハンドルが右に左にぶれたって構ってられない。
窓全開で闇夜を疾走する車にはそれなりの理由があるんだから。

「もぅぅぅ〜ほんっとバカ!バカバカバカバカ!!この酔っ払い!」
「ごっひん…」
「ありえない。なんなの?なんなのアンタ。バカじゃない?てかバカ。絶対バカ」
「キモ…ち、わる、い…」
「げげ」

酔っ払いはかくあるべきという見本を今ここで見せてくれるわけだ。
殴った拍子に吐き出されたらたまらない。
とりあえずぶんぶん振り回していた手を止めて、それから車も止めた。

「オウエエェェェェ」

助手席から転がるように落ちた酔っ払いの早速の姿を、運転席からしばらくぼうっと眺めていた。
あつらえた様にちょうどそこにあった電柱に片手をついて、ゲロってる酔っ払いの背中を見て
あたしは一体、何を思う?

「どうせ吐くなら最初から飲まなきゃいいのに」

ドアは開いてるけどあっちとこっちじゃ世界が全然違っていて
空間は繋がっていてもあたしと酔っ払いのいる世界は決定的に違う。

「ご…っん…」

後ろ手に助けを求められてあたしはなぜだか少し、ホッとした。
運転席のドアを開け、車の後方をまわってその手を掴む。
その瞬間、違っていた世界がひとつになった。
固く握り返され、気持ちを見透かされたようでなんだか悔しかった。

「さっさと全部出しちゃいな」
「ううぅ…」
「ほらほら」
「ぶほっ…うぇ…」

どこからどう見ても『酔っ払いの介抱をしている人』の図、なあたし。
背中さすって、必要以上にうんざりした顔をして、でも手は握ったまま。
黒いタンクトップから伸びている白い首や腕に無性に腹が立つ。

「はぁっ…ふぅ〜」

あらかた吐き出して、酔っ払いの呼吸が段々と正常になった。
背中をさすっていた手を止めて、何の気なしにブラのホックを思いきり引っ張ってやった。
バチンといういい音に耳をすませる。

「んだよぉ」
「べつに」
「口ん中、チョー気持ち悪い」
「だろうね」
「チューしよっか」
「殺すよ?」
「死なばもろとも。ゲロもろとも。なんつって」

瞬間掠め取られた唇。ゲロや酒臭い息を感じる暇もなかった。

「最悪」
「うぐっ、またきた…」

第二陣が襲ってきたらしい。背中なんてもうさすってやるもんか。
丸まった背中にどかっと腰かけてばしっと頭を叩いた
何やってんだか、あたし。こんな夜中にこんな道の端っこで。

こんな酔っ払いの背中の上で。

「ぐぇ…ごっひん、重い…」
「っさい。早く全部吐いちゃえ」
「言わ、言われなくても。うぇぇえ…」
「最低」

下から聞こえてくる呻き声が誰もいない道路に頼りなげに響いている。
目の前の愛車に向かって腕を伸ばしたら中指の先だけが微かに届いた。
汚れた指を見ながら前に洗車したのっていつだっけ、と頭を巡らせる。

ああ、たしかあのときも酔っ払いがいた。あたしの隣に。この下のオンナが。



例によって突然呼び出されて迎えに行った先にはヘラヘラと笑う酔っ払いがいた。
友達なのか、恋人なのかわからないけど数人の男女に囲まれて笑っていた。
その様子を信号待ちの車内からじっと眺めていた。
ハグしたり頬にキスしたりして去っていく奴らに「ガイジンかよっ」とツッコミながら。

「飲みすぎた」
「さっさと乗れ、バカ」

飲みすぎて眠いのか酔っ払いは珍しく無口だった。
あたしもとくに喋ることなく淡々と車を走らせていた。
酔っ払いの住処まであともう少しというところだった。

「信じられない…」

何の前触れもなく酔っ払いが吐いた。
助手席で前かがみになったかと思ったら嫌な水音が聞こえた。
停車して外に出て助手席のドアを勢いよく開けて腕を引っ張った。
吐きながら崩れ落ちた酔っ払いはあたしの靴にまで被害を及ぼした。

無言で頭を殴り、吐き終わるまで蹴り続けた。
あたしの足に泣きながら縋りつく酔っ払いを、それでも置いていくことはできなかった。

「真希ちゃ〜ん」
「名前で呼ばないで」
「なんで、なんであたしに…オェッ、名前で呼ばせてくれないの…?」
「酔っ払いがあたしの名前呼ぶなんて百万年早い」
「じゃあ、じゃあひゃくまんえん経ったら…いいの?」

百万円じゃなくて百万年だよ、まったく。
呂律のまわらない酔っ払いはどうしてムリにでも喋ろうとするかね。
百万円もらったって、名前なんか呼ばせてやるもんか。

「酔っぱらってあたしを呼び出すのやめてくれたら、百万年待たなくてもいいよ」
「………」
「よしこ?」
「……ん…」
「このバカ、寝ちゃったよ」

翌日、徹底的に洗車をした。中も外もピカピカに磨き上げた。
酔っ払いの胃から流れ出たものが酒だけだったのは幸いだった。
いつもすきっ腹で酒を飲むのだろうか。それなら酔うのも当然だ。
酔っていないアイツを最後に見たのは、そういえばいつのことだったろう。
そんなどうでもいいことを考えながらワックスを塗った。



そう、あのとき以来だ。
洗車をしてからこっち、酔っ払いを送るのは随分と久しぶりだったんだ。
車も汚れるはずだ。こんなに真っ黒になっちゃって、ごめんよ。
汚れた指先を吐き続けている酔っ払いのタンクトップで拭った。

「真希ちゃ…重いよ…」
「………」
「苦しいんだけどなぁ。真希ちゃん、下りて」
「…いや」
「あたしの知らない間にもしかして百万年経ったの?」
「は?」
「だって、名前。呼んでも怒らないから」
「覚えてたんだ」
「酔っても記憶はちゃんとあるんだ、あたし」
「ゲロったことも?」
「ごめんごめん。あのときはホント悪かったよ」
「あのときだけじゃない。いつも、でしょ」

お尻の下の背中が揺れた。左右にぶれて、それからまたおとなしくなった。

「いつもいつも迷惑かけて悪いねぇ」
「ホントだよ。もういい加減にしてよね」
「でも、だからなんで迎えに来るのさ」

知らないよ。そんなこと知るもんか。

「真希ちゃんは優しいからな…」
「そうでもないと思うけど。酔っぱらってるからほっとけないんだと思う。たぶん」

うん、きっとそうだ。きっと…そうなんだと思うけど、自信はない。

「んじゃあたしは飲み続ける!真希ちゃんに来てもらうために毎日飲むぞー!」
「バカなこと言ってないでほら、行くよ」
「あ〜、やっと軽くなった。真希ちゃん重いよ〜」
「名前で呼ばないで」

さんざん吐いてすっきり顔の酔っ払いが立ち上がって腰を伸ばす。
その背中に一発蹴りを入れてから運転席のドアを開けた。
酔っ払いの背中には思いのほかくっきりと白い足跡が残った。
それがまるでシルシのようで気分がよかった。あたしのシルシのようで。

「送ってもらったついでに泊まってく?」
「バーカ。酔っ払いはさっさと寝ろ」

ニヤニヤしてる酔っ払いを乗せた闇の中。
あたしは再び車を走らせた。










<了>


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