基本形 2nd






ごっちんが飼いたいって言ったんだよ?元はといえばさ。





「ごっちんもたまには水槽掃除しろよー」
「忙しいから無理」
「忙しいって雑誌読んでお菓子食ってるだけじゃんかー」

冷たい水に手を赤くしながら愛亀の住処を洗ってあげてるあたし、吉澤ひとみ。
のほほんと部屋でまったりくつろいでるあたしのかわいい彼女、後藤真希ちゃん。
あたしたちは同じ大学に通う2年生。ついでに寮のルームメイトでもある。

「ごっちんのキャメ子なのにあたしばっかり面倒みてるじゃんかー」

あたしたちが住む寮は築15年とかなり年季の入った建物。
そのせいかは知らないけれどしょっちゅう湯沸かし器が壊れる。
だから木枯らしの吹く季節になって久しい今日も、出るのは冷たい水ばかり。

「うう〜さみ〜。この水槽無駄にデカすぎなんだよな、大体」

我が家?のもう一人、もといもう一匹の住人であるミドリガメのキャメ子。
百円玉ほどの小ささに似合わぬ巨大な住処を持つ彼女はごっちんのペットだ。
そしてなぜか彼女の世話を全面的にしてるのがあたしだったりする。

「よしこも一緒に買ったんだから二人のペットだよ〜」

一緒に買った?いま一緒に買ったとおっしゃいました?ごとーさん。
頭の血管をピクピクさせながらその巨大水槽をエイヤッとひっくり返す。
表側までゴシゴシ洗っちゃう完璧主義の自分が憎い。
横にはコップの中で不思議そうな顔でこちらを見るキャメ子。
彼女と初めて会った日のことを思い出す。



その日あたしたちは休日を利用して日用品の買いだめにホームセンターに来ていた。
カートを押すのはあたし。
中にいろんなものを放り込むのはごっちん。
放り込まれたものをいちいち棚に戻すのもあたし。
彼女に任せたら財布の中身がいくらあっても足りやしない。
第一なにを買うか把握しているのはあたしだけ。

だったら一人で買いに来ればいいものの、ごっちんにメロメロなあたしは
こんな些細な買い物も彼女といるだけで幸せなわけで。
ウキウキ気分でチャリンコの後ろに彼女を乗っけてやってきた。

だから彼女がどんなにめちゃくちゃにお菓子をカートに入れても、
アホみたいにたくさん芳香剤を棚から落としても
あたしは目尻を下げながらその都度お菓子を戻し、芳香剤を拾い、
その間に買いたいものをちゃんとチョイスする。
うーん、我ながら素晴らしいフットワークだ。

「よしこっよしこっよしこっよしこっよしこーーーーーっ」

特売のティッシュの山の前で、安いけど肌触りはたいしたことない普通のやつと
高いけどその触り心地がハンパなくいいやつとどちらを買おうか
財布の中身と相談しているとものすごい勢いでごっちんに呼ばれた。
こういう時はすぐに反応しないと途端に機嫌が悪くなる彼女だから
あたしも同じ勢いで名前を呼んであたりを見回した。

「なになになになんだよごっちーん」

そこには『\350』と黒いマジックで書かれた小さな白い紙の箱を持つ彼女がいた。
えっと、ごとーさん。なんですかね?それは。

「キャメ子」
「キャメ子さん?」
「たぶん」
「たぶん?」
「店員さんがたぶんメスだろうって」

メス?メスってオスメスのメスですか?あたしたちもメスだよねそういえば。
ニコニコ笑ってあたしにその箱を差し出す彼女にまたあたしはデレーッとなる。
この笑顔に弱いんだよな〜。はぁ〜たまんない。
ほっぺでもいいからチュウしたいなぁ。

「よしこっ」
「うあっ!なになに?」

いかんいかん、つい空想モードに入るところだった。
ごっちんがかわいすぎるのがいけないんだよな。
渡された箱を開けながらそんなことを考えてたから彼女がこっちを見てることに気付かなかった。
彼女、つまりキャメ子が。

「うわわわわわーっ」
「キャー。危ないっキャメ子!」

全く予想もしてなかった物体といきなり対面したら誰だってびっくりして投げ出してしまうと思う。
キャメ子には悪いけど。

「もうっよしこってばなにやってのよ」
「だ、だってまさかカメが出てくるなんて」
「カメじゃないの、キャ・メ・子。ねー飼ってもいいでしょー?」
「飼う?だ、だめだめ。誰が世話するのさ」
「あたしがやるよー。ねーお願い」

ぶはっ!そのお願いのポーズ、どこで覚えたのさごっちんヤバイって。
上目遣いにあたしの手を握りしめてこの至近距離は反則だよ〜。
あたしをノックアウする気ですか?はぅあっ!涙目ってそそるな〜。
でも生き物を飼うなんて絶対ダメ。ごっちんが世話するなんてとても思えないもん。
断固拒否。ここはずぇったい諦めてもらわなきゃ。

「ね、ごっちん」
「お・ね・が・い」

フゥと耳に息なんて吹きかけられちゃってあたしは完璧ダウン寸前。否、ダウン。

「しょーがないなー」

ありえないくらいニヤけながらキャメ子をカートの中に入れたのが後の祭りだった。

店員さんに教えられひと通りカメの飼育に必要なものを買い揃えた。
簡単なスターターキットにしようというあたしの提案をものの見事に却下して
彼女が持ってきたのは結構頑丈そうな水槽。
値段も結構なもので、なんだかんだで福沢さんがあたしの元から去っていった。
ああ諭吉さん、さよ〜なら〜。
遠い目をしてるあたしの横で終始嬉しそうなごっちん。

まあ彼女がこんなに喜んでるからよしとするか。
かわいい彼女の我侭をちゃんっと聞いてあげるのが恋人の務めってものでしょう。
これ基本だよね。恋人の基本。

そんなわけでティッシュは迷わず安いほうにした。



ある程度の予想はしてたけど、まさか本当にそのとおりになるなんて。
ごっちんは驚くほどキャメ子の世話をしなかった。
これがホントに笑っちゃうくらい。いや笑えないんだけど。

買ってきて1週間くらいでごっちんのキャメ子に対する興味は失せたようで、
すっかりその存在に見向きもしなくなった。
子供だ。まさに子供。
そのときのテンションで欲しいって言って結局これかよ!
たぶんキャメ子もびっくりしてることだろう。

ごっちんが世話をしないんだから残るあたしがするしかない。
世話といってもエサをやったり水槽を掃除するくらいだけど、これがけっこうな手間。
ほっといたらカメの水槽はすぐに汚れるしエサも1日2回。
キャメ子の体に見合った分だけあげてるけどこれが意外に忘れがちになる。

それでも慣れてくるとかわいいもので、あたしが横を通ると隠れ家から顔を出して首をひねる仕草をして。

「なんだキャメ子〜エサはまだだよーだ」

なんてすっかり愛亀家になってしまった自分にびっくりしたりもする。



「よしこ最近キャメ子と仲いいよね」
「仲がいい…って相手カメだよ?」
「でも仲いいじゃん。ゴハンあげたり話しかけたりなんかしちゃってさ」

ゴハンはキミがあげないからだろっとツッコミかけて口を閉じる。
彼女はちょっと機嫌が悪いくらいだからまだ大丈夫。
怒ったり泣いたりまではいかないはず。あたしの出方が正しければ。

「ゴハンはだって、あげないとキャメ子死んじゃうし、話しかけるのはなんつーか…」
「あたしよりキャメ子のが大切なんだ」

はっ?なに言ってんだろこのコ。もしかしてまさかありえないとは思うけど。
ごっちんてば嫉妬してんの?キャメ子に。カメに。

「よしこのバカーっ」
「うぐわぁっ」
「あんぽんたーん!!」

ニヤリと笑うあたしに飛んできた強烈な右ストレート。
視界の片隅に子供のような捨て台詞を残して去りゆくかわいいあのコの背中があった。

「ご、ごっち〜ん……」

左頬を押さえながら情けない声を出して、後を追おうとすぐさまドアに駆け出した。
あれ?まだドアに手かけてないのに勝手に開いたよ。
開いたっていうか向かってくる!やべーこりゃよけらんないわ。
予定通りというか予想通りというか顔面にヒット。鼻にモロだよ。イッター。

「キャメ子のバカーっ」
「あー!!」

戻ってきたかわいいあのコはあたしが知る限り初めてキャメ子にエサをあげた。
おそらく何年分かと思うくらいの量をいっぺんに。
あっという間にグレーの固形物で埋め尽くされたキャメ子の住処。

「よしこのバカチンーっ」

再び去りゆくごっちんを止めるのはやっぱり不可能だった。
とりあえず鼻を気にしながらキャメ子の様子を窺う。
水槽の中で嬉々として暴れまくる彼女。こんなに活発に動く姿を初めて見た。
ああ、ごっちん、キミはたった1回のエサやりでキャメ子の心を掴んだんだね。

なんだかとっても空しい気分だったけどこうしちゃいられない。
ごっちんの後を追わなきゃ。ちゃんとごっちんだけが好きなんだって伝えなきゃ。
生暖かいものが垂れてきた鼻にティッシュを詰めあたしは外に飛び出した。





何時間探しただろう。どこにもいない。ごっちんが見つからない。
彼女の行きそうな場所は全て探した。公園も川原もペットショップも。
携帯の電源は切ってるし謝りようがない。

そもそもあたしが謝る必要なんてないのかもしれないけど。
いや、愛しい彼女が怒ってるんだから非はきっとあたしにある。絶対あたしが悪い。
彼女に嫌な思いやもしかしたら寂しい思いもさせてたのかもしれない。
そんなの絶対ダメだ。こんなにも大好きな人を傷つけるなんてあたしはやっぱり大バカだ。

トボトボと寮の部屋に帰る。
ドアを開けるとキャメ子の水槽の横に佇んでなにやらブツブツ言ってる怪しい影。
電気もつけずになにかの作業に没頭しているその様子はちょっと不気味だった。

「グスン。ごめんねキャメ子。キャメ子は悪くないのにね」
「………」
「ひっく、ひっく、よ、よしこがキャメ子にばっかり話しかけるから、ふぇぇぇーん」
「………」

かわいすぎて言葉もなかった。
なんでこのコはこんなにもあたしのハートを鷲づかみするのか。
こんなにかわいいコがあたしの彼女なんて!あたしのことで涙してるなんて!
嬉しすぎて顔がとろけちゃいそうだったけどまだその前にやることが残っている。
でももうちょっと聞いていたいような…ダメだダメだ。早くごっちんを安心させてあげなきゃ。

「ごっちん」
「ふぇっ?」
「ごめんね、ごっちん」
「よしゅこは、わる、わる、わるくないもん」
「ううん。悪いよ。ごっちんのかわいい顔をこんな泣き顔なんかにしちゃったのはあたしだもん。
 でも、泣き顔のごっちんもかわいいけどね」
「かわ、かわいくなんかないっ。あたし、あたしエーン」
「ほら〜泣かないで。キャメ子が不思議そうに見てるよ」

キャメ子はぽっかーんと口を開けてこっちを見てた。
食べるだけ食べてご満悦な様子。
当分エサ抜きにしたほうがよさそうだ。

「よしゅこはよしゅこは、もうあたしのことしゅきじゃないんだもん」
「好きだよ。大好き。いつもごっちんばっかり見てる。
 ごっちんがいないときはごっちんのことしか考えてない。ホントだよ」
「ほ、ほんとに?」
「もちろん。だってこんなにかわいいんだもん。
 あたしの彼女はごっちんだって世界中に自慢したいくらいなんだから」
「あたしもよしゅこが、しゅきだよ。ふぇぇーん」

くぅ〜〜もう今すぐ抱きしめたい。キスしたい。
この腕の中に閉じ込めてどこにも出したくないよー。
こんなかわいくていいの?ねぇ。罪にならない?かわいすぎの刑とかで。

抑えきれないこの感情をなんとかしたくてそっとごっちんの肩を抱いた。
一瞬ビクッとしたけどごっちんはすぐに体を預けてきてくれた。
冷えた体にお互いの温もりが伝わってゆく。
あたしがごっちんを大好きだっていうこの気持ちも温もりと一緒に伝わるといいな。
だって彼女からこんなにも大好きっていう気持ちが伝わってきてるんだもん。

「あ、キャメ子の掃除…続きしなくちゃ……」
「ごっちんすごい!これほとんどキレイになってるじゃん」
「うん。さっきキャメ子にひどいことしちゃったから」
「こんなにキレイにしたんだからキャメ子もきっと許してくれるよ」
「えへへ。今度からあたしもキャメ子の世話ちゃんとするからね!」
「ホントかな」
「ほんとだよっ。だってまたよしこがキャメ子にかかりっきりになっちゃうのヤダもん」

やっべぇ。やばいよ。どうしよ。
ギュウしてしていい?チュウしていい?
ごっちんがかわいすぎるのがいけないんだよ。やっぱり罪だよ。

かわいくてかわいくて仕方ないあたしの彼女。
なかなか先に進ませてくれない彼女だけど今日はなんだかいい雰囲気。
これってもしかしておっけぃってやつですかぁ?

「ごっちん…」



チュッ



顔を真っ赤にしてトイレに駆け込んだ彼女。
あたしを突き飛ばすのを忘れないのはさすがだよね。
今どき珍しいくらい恥じらいの心を持ってるんだね。
そんなところもかわいいよ。かわいいけどね。





      なんでほっぺなんだよおぉぉぉぉぉお!!!





その後、相変わらずキャメ子の世話をあたしがしてるのは言うまでもない。グスン。










<了>


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