8teen with a bullet






夢を見ていた。

真っ白な闇の中。明るい、闇の中。

彼女はぽつんと立っていた。なにをするでもなく。

そんな彼女がなんだか堪らなくなり、駆け寄ろうと頭で考えてふと気づいた。

あたしはどこにいるんだろう。どこから彼女を見ている?

ただもどかしさだけが先行した。とにかく彼女に。彼女の元に、と。



頭の、もしくは心の片隅で声を感じていた。

でもそれは小さな小さな存在で、あたしの意識の中では無に等しかった。

だから、彼女を優先した。

なにより自分が彼女を欲していたから。



そしてあたしは目が覚めた。





「ぅおい!コラばかすけべよっすぃー起きろー!!」
「………」
「ほらめざましテレビやってるよ」
「………」
「今日のわんこだよ」
「………」
「あ、のど渇いてるんでしょ。はい、ポカリ」

渡されたポカリをゴクゴクと飲む。ふー。

「蝶ネクタイは?」
「終わったよ」
「蝶ネクタイのやつ」
「だから終わったって。だってほらこうしてるうちに今にもとくダネが…あっ始まった」
「なんでとくダネなんだよっ。7時半に起こせよー」
「起こしたよ。全然起きないんだけど手つきだけはヤラしいのよしこ。
 あれ絶対あたしってわかってやってるんじゃないよね?」
「やっぱ朝イチはポカリだな。起きぬけは声でねーよ。小倉さんまーた怒ってるし」

ごっちんの言葉は聞かなかったことにしてグーンと伸びをした。あ、裸だ。
ごっちんはいつのまにか服着てるし。ズルイなぁ。
憮然とした表情の彼女を置いてバスルームにむかう。
そんな顔もかわいいなーとか思いながら。

シャワーを浴びながらふと思った。
あたしどんな手つきしたんだろ?
うーん、考えたくない。



携帯を片手に背中を丸める彼女を見て、
シャワーあがりの半乾きの髪のままあたしも携帯を探した。

ない…。

「つーかさ、メールチェックするか普通」
「するでしょ普通」
「しねえよ!…せめてあたしが寝てるときにしてよ」
「した。このミキティの『やればいいじゃん』ってホントだよねー。
 確信ついてる。会ったことないけどさすがミキティって感じ」
「そうなんだよ。アイツはいつも確信ついてる…ってもう見たならいいじゃん」
「まだダメ。さっき別のメール入ったから返事してあげようと思って」
「ほーかほーか優しいなぁってバカか!あたしの携帯だっつーの」
「ほらあたしのものはあたしのもの。よしこのものはあたしのものじゃん?」
「ジャイアンかよ。あたしのものひとつもないじゃん」
「あるよ。あたしがよしこのもの」

そう言いながら彼女が覆い被さる。
押し倒されるのは嫌いじゃない。
でもなんだか今は悔しい気がしてすかさず反転した。

あーあ、まーたシャワー浴びなきゃ。

そうしてあたしは彼女に夢中になった。



あ、気持ちぃ〜。



「で、なんなのかなこれは」

ひと汗かいてすっきりしたのにまたあたしの携帯をいじりだす彼女。
本当に自分の物みたいに扱うよね。ま、いいけどね。

「これってどれさ」
「このメールよ」


『こないだはありがとうでした。本当に楽しかったよ。またね』


んん〜。これはちょい面倒なことになるかも。

「たまたま帰りが一緒でさ、ふつーにそのへんでメシ食ったのよ」

実際それだけだった。
べつに奢ったわけでもないし世間話した程度でわざわざこんなメールしてくるなんて、
アイツも律儀だなぁ。
ま、そこが彼女らしいっちゃー彼女らしいんだけど。

なんでもないような顔でごっちんのキレイな背中を撫でる。

「それよか、余韻をもっと、楽しもうよ」

撫でた場所を唇でなぞってごまかす。
時々息を吹きかけながら、触れるか触れないかの微妙なライン。
あんっって反応がかわいくてしめしめとほくそ笑む。

「はぁっ、もうっ話は、まだ終わってないんだからっ。やめて」
「やーだよ」
「ダメ、だってばぁ」
「チュチュチュ」
「ダメだっ………つってんだろ!」
「は、はひぃ」

すげーこえー。涙目になっちったよ。
藤本ばりに睨み利かせてるし。
でもそんな怒った顔の彼女にもそそられる自分が憎い。
やっぱ好きだなぁと思う。

「大体さ、部活やってるまつーらと帰りが一緒になるわけないじゃん。
 胡散臭いにもほどがある。くさいくさい!」
「や、だからぁ」
「仮に一緒になったとしてゴハン食べにいく神経が信じらんない。ありえないし」

やっべ。すげー怒ってる?もしかして。
こりゃ厄介なことにならないうちに誤解を解かないと。

…ていうか誤解?
うん、誤解。だよな?もちろん誤解だ。うんうん。

「ほんとに偶然会ってメシ食っただけだって。食ってすぐに別れたもん。
 ウソじゃないよ。なんだったらあたしの携帯使って藤本に聞いてみなって。
 亜弥、帰りに美貴たんちに寄るんですぅって言ってたから」
「そうゆうことじゃないでしょ。それに似てないから」

伏し目がちに声が小さくなる彼女。
あ、やば。まわりくどい言い訳しないで素直に謝るべきだった。
今からでも間に合うかなぁ。
ていうか一部では似てるって評判なんだけどな、亜弥の真似。

「ごめん。別れたとはいえ元カノとメシ食うなんて軽率だった。
 変な誤解させてほんっとごめんなさい。もうしません」

頭を下げて数秒、彼女からの返答を待つ。
応答はなし。
上目遣いに様子をうかがう。

「まだまつーらのこと…なんでもない」

意を決したようにガバッと顔を上げた彼女。
言いかけた言葉を呑み込んで再び俯く。
何を言おうとしたのか大体の察しはついていたので、
フォローする言葉を探してしばらくはお互いに無言のままだった。

「ごっちんだけだよ」

精一杯考えた言葉がこれかよ、と自分でも呆れる。
うまく言えないけどうまく伝わるといいな、と希望的観測。
目で会話できるのが自慢のあたしたちだけど、肝心の目と目が合ってなきゃ
それも役には立たない。
だからこっち向いてよごっちん。

そんなあたしの心の声が聞こえたのか、彼女はやっと顔を上げてくれた。

「当たり前じゃん」
「ですよね」

ありゃ?通じてたみたいだ。
ふたりの視線は絡まなかったけど、とりあえず変な空気は消え去ったから
あたしたちはベッドの上で仲良く並んでテレビを見だした。



「で、まつーらどんな迫りかたしたの?」



あたしは、飲んでいたポカリを豪快に噴き出した。





 ◇◇◇





学校から帰るとアパートのドアの前に人の影。
怪しいことこの上ないけど、あのサイズ、あのまわりを包むオーラからして
この不審な人物の見当はついている。

「珍しい」

いつもなら、あたしが留守のときは管理人さんに妹だとか今さらバレバレの嘘を言って
鍵をあけてもらうか、そのまま管理人室で管理人さんと二人、お茶とお菓子を囲んで
ありえないくらいマッタリしてるのに。

ドアの前で佇んでる姿なんて初めてみた。あんな顔も。
あれ、でもどっかで見たことあるかも、あの顔。あの焦点があってないような虚ろな目。
いつだったかなぁとか考えてると向こうのほうから声をかけてきた。

「おかえり」
「ただいま」



「部屋で待ってればよかったのに。寒かったでしょ」
「全然。それに今来たとこだから」

なんとなくだいぶ前から亜弥ちゃんがそこにいたような気がしてたから、その答えに少し驚いた。
でもなんでそんなこと思ったんだろう。べつに根拠なんてなにもないのに。

冷たい風に頬を赤くして帰ってきたあたしとは違って、彼女の顔は真っ白だった。
たしかに全然寒さを感じさせない。
顔だけじゃなく、スカートからのびる足もココアを受け取る手も、雪のように白かった。
そしてその白さは自然とアイツを連想させた。

二人が別れた理由は知らないけれど、付き合うことになったきっかけは
あたしにもあったから、その事実を初めて聞いたときは少し寂しかった。
時間が経って、片方に新しい恋人ができたと聞いたときはなぜか腹が立った。
自分が怒る筋合いは全くないというのに。

「そうだ、亜弥ちゃんこないだマフラー忘れてったでしょ。
 よっちゃんとゴハン食べたって言ってた日。
 かわいかったから勝手に使わせてもらってた。ハイ、返すね」

マフラーを片手に、お腹が空いたから何か作ろうと腰を浮かせたけど
相手は一向に受け取る気配がない。
中腰はちょっと、マジでキツイから早く取ってよー。

「それ美貴たんにあげる」
「いいの?」
「うん。ちょっと早いけどお誕生日プレゼントってことで」
「使い古しかよ。でもかわいいからいいや。ラッキー」
「美貴たーん、ラッキーじゃないでしょ!お誕生日プレゼントなんだから。それに使い古しって…」
「あ、そっか。ごめんごめん。それにアリガト。
 じゃ亜弥ちゃんの誕生日にも美貴の使い古しなんかあげるね」

なにがいいかな〜とたいして広くもない部屋を見渡す。

「だから使い古しって、美貴たん…」

彼女の呆れた顔が目に入った。



「なんか作るけど亜弥ちゃんも食べる?」
「ううん。いい。あんまりお腹空いてないから」
「あ、そう?」

そういえばココアにも手をつけてない。何かあったのかな。
ドアの前で物憂げな表情をしていた彼女を思い出す。

何かあれば彼女のほうから言うはずだ。
いつもこっちの予定などお構いなしに、一方的に喋るだけ喋ってから帰るのが彼女のペースだから。
今日はまだ口数が少ないけどそのうちいつもの彼女に戻るのかな。
頭の中で言いたいことを整理でもしてるのかも。
勝手にそう判断して台所に立った。

野菜を切る合間になんとなく亜弥ちゃんを見ると、携帯を持ってやけに真剣な顔をしていた。
指が動く気配はない。不思議に思って声をかけた。

「メール?」
「うん」
「にしては難しい顔してるねぇ」
「なんて伝えたらいいかなってちょっと迷っちゃった」

こちらを振り向いた彼女の眉毛が八の字になって困ってることが分かった。
少し心配になったからさらに聞いた。

「そっか。深刻な内容?」
「うーん。ていうか相手はよっちゃんなんだけどね」
「なんだ」

相手がよっちゃんというだけで心配も吹き飛んだ。
どうせアイツがおかしなメールでもしてきたのだろう。
なにが言いたいのか理解に苦しむようなやつを。
自分のところに送られてきたアホメールを思い出して笑った。



亜弥ちゃんのお腹が空くのを見越して多めに作ったけど失敗だったなぁ。
すっかり冷めてしまった鍋焼きうどんの残りを横目に見る。

「あー食べた食べた。もう限界。これ以上なんも食べれない」
「美貴たん作りすぎだよー。それに食べすぎ」
「だって亜弥ちゃん食べるかと思ってさ。
 いつも美貴がなんか食べてると『私も食べるー』とか言って横から奪ってくじゃん」
「今日はホントにお腹空いてないんだって」
「あーこないだ食べすぎたって言ってたよね?もしかしてダイエットしてるとか」

この細い体でダイエットもなにもないだろうけど、ちょっとからかいたくて
思ってもないことを口にしてみた。

「まさか。こないだはよっちゃんに付き合ってたらつい食べすぎちゃったんだもん」
「あーアイツ馬鹿みたいに食べるからね」
「そうそう。それにすごい美味しそうに食べるの。こっちまでつられちゃう」

一人暮らしを始めてすぐの頃
アイツに一週間分の食料を残らず食べ尽くされたことを思い出す。
あの時誓った。もう家に呼ぶのはよそうと。

「美味しいものに目がないからね。うちに来た時だってすごい勢いで食べてったよ。
 美貴なんてずっと料理しっぱなしだったよ」
「美貴たん料理うまいからねー」
「そんなの慣れだよ。一人暮らししてたら嫌でもうまくなるって」
「でも美貴たんもとから料理うまかったんでしょ?」
「まあね」

一人暮らしじゃなくてもうまい人はうまいよね。
そうつけ加えようとして慌てて言葉を飲み込んだ。
馬鹿みたいに食べるアイツの彼女を連想させてしまうから。
彼女の料理の腕前は、アイツから嫌ってほど聞かされている。
亜弥ちゃんだって一度くらい耳にしたことがあるかもしれないし。

アイツの話は大丈夫だけど、ここらへんからはさすがにタブーな気がしていた。
と言ってもあたしが一方的に思ってるだけだから、実際のところ
亜弥ちゃんがどこまで気にしてるのか、あたしが気を使ってることに気づいているのか
なんてのは知らない。

こうしてアイツ抜きで彼女と話すようになってからもう数ヶ月が経つけれど、
最初の頃はそこらへんのつっこんだ話をしていいものかどうかだいぶ迷った。
人の気持ちにズカズカ入り込んでいくのはあたしのポリシーに反するし
なにより亜弥ちゃんと他愛のない会話をしてるだけで、寂しい一人暮らしに花が咲いたような、
ポッと灯りがともったような優しい雰囲気になったから、その居心地の良さを壊したくなくて
会話を選ぶときがあった。

「よっちゃんはいろんな美味しい店を知ってるよねー」

きっといろんな店に連れていってもらったのだろう。
そのときのことを思い出しているのか彼女は遠い目をしていた。

「よっちゃんが小学生のときに給食を残して先生にこっぴどく怒られた話知ってる?」
「ううん。知らないと思う。よっちゃんが給食残すってなんかイメージ違うね」



それはたしかに美味しいとは言えなかった。
はっきり言ってマズイ。
これならうちの猫の缶詰のがまだ食べれる、とあたしは子供心に思っていた。
でも給食を残すと担任に怒られるのは目に見えてるし、
下手したら鉄拳だって食らうかもしれない。

作ってくれた人にも悪い気がしたし、食べ物を粗末にするのはよくない、
といろんな理由をつけてエイッと一気に食べた。
吐きそうだった。
でも我慢した。
まわりもたぶん、自分と同じようなことを考えたのだろう。
皆一様に渋い顔をして食べていた。

でも、よっちゃんだけは違った。
そのマズイ何か(不味さが印象的でそのモノがなんだったのかは覚えてない)だけを残し、
あとはキレイに平らげていた。
それだけを残してあとは胃に収めていたことから具合が悪くて食べれないとか、
そういう理由で食べないんじゃないんだと誰もがわかった。

烈火の如く、担任は怒った。
あんなに怒鳴る大人をそのとき初めて見たと思う。
とにかく怖くて自分が怒られてるわけじゃないのに涙が出そうになった。
実際泣いているコも数人いたと思う。

なのにアイツは、あんな鬼のような顔をしている担任に平然と言ってのけた。



『食べるものにこだわらずして人生にこだわりを持てるか』



今思えばマセたガキだったと思う。
でも、アイツはその一言で一躍クラスのヒーローになった。
じゃなくてヒロインか。
まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう、
呆然とする担任を残しアイツはスタスタとその不味いモノを捨てに行った。
その後ろ姿が妙にカッコよかったことは今でも忘れない。



その後の話で、アイツの母親は家庭訪問の際に
担任からそのときの一部始終を告げられてこう答えたらしい。



『それがうちの家訓ですから』



この親にしてこの子ありだ。あ、逆か。

それ以来アイツが美味い美味いと馬鹿みたいに食べてるシーンに出くわすといつも
この吉澤家の家訓を思い出す。
そしてちょっとでも口に合わないものは絶対に食べないのを見ると
相変わらずこだわってるなぁと感心する。

アイツが食べ物にこだわるように人生に、人にこだわるにつけて
自分が彼女に選ばれた人間のような錯覚に陥ることがあった。
でも彼女にあたし以外に小学校時代から続いている友人がいないことからして
それはあながち錯覚ではないと思う。



アイツにとって亜弥ちゃんは、もうこだわりを持てない存在なのかな。



あたしには分からなかった。





 ◇◇◇





「いつ恋に落ちたの?」
「ストレートに聞くねぇ」

彼女の物言いにあたしは苦笑した。
ごっちんは亜弥を誤解してるよ、なんて元カノの肩を持ったのがいけなかったのか、
それともやっぱり一緒にメシを食ったのがいけなかったのか、
あたしは今カノに元カノとの馴れ初めを尋問されている。

「いいなって思った瞬間は?」
「うーん、いいなっていうのに当てはまるかどうかわかんないけど…
 ショックを受けたときの顔かな」
「ほえ?」
「なんかね、忘れちゃったけどアイツにとってショックなことがあったんだよ。
 その時にすっごいショックな顔したの。これぞショック!まさにショック!って顔を」
「へ、へぇ〜」
「マジでね、なんかこう『ガーン』って効果音が聴こえてきそうなくらいのショック顔で。
 それがすっごい面白くてあたしその場で笑い転げたもん」
「そ、それで好きになったの?」
「さあ」
「さあって」
「これって恋かも、なんて思わなかったことはたしかだね。
 でも面白かったからその顔で当分思い出し笑いしてた」

こんなにぶっちゃけて亜弥のことを人に話すのって初めてだな。
それも自分の恋人になんて。

「何度も思い出すうちに自己暗示にかかっちゃったのかもね〜」
「いや、それはないでしょ」
「そんなに笑える?」
「うん。今思い出してもププー。あれは傑作だった。だから亜弥は初対面の時の印象が強いのかも」
「ふーん」

全然馴れ初めじゃないのが不満なのか、それとも今の話にヤキモチでも妬いているのか(どこに?)
ごっちんは機嫌が悪いときによくそうするように下を向いて爪をいじりだした。

「あの〜後藤さん」
「………」
「どうしたら機嫌直してくれる?」
「あたしと初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「はいぃぃ?」
「あたしといつ、どこで、どんな風に出会ってそのとき誰が一緒にいたのか。
 あとそのときどう思ったのか」
「えーと、春休み、渋谷、逆ナン、梨華ちゃん、同じ学校なんだぁ、へーって思った」
「バカー!!もっとまつーらの時みたいに心から……感情込めて言えー!!このバカ女!」

イッテェ。
グーで殴るか普通。
だってごっちんが一問一答みたいな聞き方するから、
あたしもクイズに答えるみたいに素っ気無くなっちゃったんだよ。トホホ。

「逆ナンしたのは梨華ちゃんで、あたしはよしこになんか全っ然興味なかった」
「えっそうなの?」
「うん」
「うわぁ、ちょっとそれ、ショックかも」

さっきの右ストレートとでダブルパンチだ。
これはキツイ。これはヤパイ。あたし自惚れてたんだね。
興味ないって言葉、けっこうくるなぁ。こっちはバシバシ興味あったのに。

シーツを引っ張ったり伸ばしたりしながらブツブツそんなことをこぼしてたら、
ふんわりといい匂いに包まれた。
あ、ごっちんの胸の中だ。

「そんな顔しないの。興味がなかったってのはなんていうか…よしこ学校で有名じゃん?」
「そうかな」
「そうなの。梨華ちゃんミーハーだから、偶然街でよしこを見かけて
 テンション上がったらしくて話かけてみようよって、勝手に走ってっちゃうんだもん。
 あたしそういうの好きじゃないし、それに知らない人と話すの面倒くさかったんだよね。
 だから興味がないっていうのはそういう意味」
「はぁ〜なるほど。梨華ちゃんってたしかにミーハーだよね」
「そこはどうでもいいよ」

たしかにどうでもいいね、と二人で笑い合った。

三年に進級して同じクラスになったあたしたちがお互いに惹かれあうのにそう時間はかからなかったけど、
きっかけを作ってくれた梨華ちゃんには感謝しないといけないのかな。
ん?てことはごっちんはあたしの内面を知った上で好きになってくれたってこと?
これってかなり嬉しいな。

「あ、もちろんよしこの目も、鼻も、ほっぺも、おでこも、唇も、全部好きだよ」

そう言いながら順々にキスを落としてくれる彼女。
ニヤケ顔が止まらない。
お返しにあたしも同じ順番で口づけた。
このままベッドに押し倒して…とか考えてたらごっちんの携帯が鳴った。
くっそぅ〜いいところだったのに。


『もぅ〜!!なんっで二人とも政経来なかったの?!
 グループ発表できなくて私ひとり先生に怒られたんだから!
 しかも二人が来ないことまで怒られたんだよ?
 グループなのになんで石川しかいないんだ!って。もぅ〜どういうことなのよぉ』


ごっちんが着信ボタンを押した途端にキンキン声が聞こえてきた。
鼓膜が破れそうな大声に思わず携帯を床に落とすごっちん。
それでも十分聞こえるから、スピーカーみたいだと変に感心した。

「だって発表の準備間に合わなかったから皆でバックレようってメールしたじゃーん」
『携帯、昨日トイレに落とした』
「…返事がないからおかしいとは思ったけどさ、さすが梨華ちゃんだね」

ため息とともに出たごっちんの言葉に、あたしは深く頷いていた。

梨華ちゃんのグチはいつも長い。その上話に筋が通っていないためわかりにくい。
おまけにそういうときの梨華ちゃんの声はいつも以上に甲高いから耳が痛くなる。
ごっちんも大変だ。うんざりしながらいつも聞き役をこなしてる。
でもこの二人は長い付き合いだから、梨華ちゃんのグチがどんなに厄介でも心配はしないけど。


そんなことを思いながらまたポカリを飲んだ。
自然と自分にとって一番古い付き合いの彼女のことを思い出していた。
同時に、亜弥と初めて会った日のことも。



あたしと藤本は二人してサバサバした性格のせいか付き合いの長さのわりには
お互いのことをあまり知らなかったし、知ろうとしなかった。
それでも中学校、高校と学校が違っても定期的にどちらかから連絡を取り合っては
とくに何をするでもなく街をブラついたりしたりした。
それはお互いに執着したり依存したりするようなものではないし、この関係が途切れることは今もない。

特に気が合うわけでもなく、共通の趣味があるわけでもないのに二人でいるとなぜかしっくりきた。
あるべきものがあるべきところに落ちついてる感じというか。
たぶん向こうもそんなようなことを思ってるんじゃないかな。


その日は数週間ぶりに会う約束をして、やっぱり街をブラつきながらお茶をしていた。

「あのさ〜今度一人暮らしするんだ」
「うっそ。マジで?いいなぁ。女連れ込み放題じゃん」
「アンタじゃないんだからするか!んなこと」
「まま、それはいいとしてなんで急に?」
「あーなんか親が仕事で海外とかで。美貴は言葉が通じない所なんて住めないから」
「そりゃそうだな。やっぱ日本だろ。なんつったってメシがうまい!」
「はぁ、よっちゃんはほんっと食べ物なんだね〜。
 それよか携帯買うことになるかもしれないんだよ。心配だから親が持てって」
「今時携帯持ってない高校生なんてオマエくらいだよ。
 そっかそっかついにミキたんも現代っ子の仲間入りをするわけねー」
「キモッ。たんはやめて。携帯なんて必要ないよ。邪魔なだけ。
 あんなの持ち歩くなんてありえない」

当時の藤本は極端な携帯嫌いだった。
電車で使っている奴を見れば誰だろうと注意したし相手が何人いようがお構いなしだった。
まるでケンカをふっかけるようなそのやり方があまりにも危なっかしいので
せめて無言で睨むだけにしろ、それだけで十分効き目あるからと
助言のつもりで言ったら逆に怒られた。

でもいつからか、電車の中で藤本が他人に注意するのを見なくなった。
携帯で喋ってる奴がいても無言で睨むだけだ。
口にはしなかったけどきっとなにか面倒なことでもあったのだろう。
それでも十分闘争本能丸出しだったけど、やたらと怒鳴りちらされるよりはマシだった。
それに女の子が無駄に人の恨みを買うことはない。

でも電車で怒る藤本の姿は、けっこうカッコよかった。

そんな彼女が携帯を持つっていうからあたしはおかしくて仕方なくて、
だから調子に乗りすぎていることに気づかなかったのかもしれない。

「やっぱりさ〜そのうちミキたんも電車でふっつーに話したりメールしたりするんだよきっと」
「しないっつーの。たんはやめて」
「意外にゲームにハマって授業中とかやるんじゃねえの?ミキたん」
「だからしないっつってんだろ!たんもやめろ!」
「お〜こわっ。でも真面目な話、一人で暮らすんだから携帯は必要だよな」
「いらないよ。家に一台あれば事足りるもん」
「もしもの時困るべ。世の中物騒だし」
「もしもの時っていつよ」
「ん〜、例えば……誘拐されたときとか!あと夜道で襲われたときも!」
「はぁ?それ一人暮らし関係ないじゃん。それにそんなこと滅多ないっしょ」
「何があるかなんてわっかんねーだろ。とにかく持て!携帯。今スグ買え」
「い〜や〜だ。絶っっっ対買わない」

あたしのからかいが度を過ぎていたのか藤本もかなり意地になっていてどちらも譲らなかった。
そして気づいたら取っ組み合いのケンカになっていた。
しかもスタバで。

たまたま隣の席でココアかなんかを飲んでいた亜弥は、あたしたちの話を聞くともなしに聞いていて
雰囲気が怪しくなってきたからケンカになるのも時間の問題だろうなとか思ってたらしい。
それでもまさか美人二人組がグーで殴りあったり頭突きしたり、目潰ししようとしたり、
相手に跨ったりするとは想像もしてなかったらしく、かなりショックだったと後に語っていた。
そういえばスタバの店員も凄い形相であたしたちを止めていたっけ。

そこまで争えばもちろん被害も相当なもので、
終わる頃にはお互いの服や顔や手足はコーヒーと血でボロボロになっていた。
そしてなぜか逃げ遅れた亜弥も同様に、かなりの有様になっていた。
おそらく藤本のコーヒーぶっかけ攻撃の巻き添えを食ったのだろう。
血は、腰が抜けた亜弥を助け起こしたときについたのかもしれない。

とりあえず三人でその場を逃げるように去って、あたしの家で順番にシャワーを浴びた。
コーヒーと血で汚れた服を洗濯機に放り込んで、Tシャツや短パンなんかを引っ張り出した。
ケンカしたことなどすっかり忘れて和やかにお茶なんかを飲んでるあたしたちを見て、
シャワーから出てきた亜弥はかなりショックを受けたようだった。
あんなに派手にやりあったあたしたちが呑気にお茶なんか飲んでたことに、
ちょっと腹が立ったとも後で言っていた。
シャワー中もまた殴り合ってるんじゃないかって不安だったのにと。


そうだ。
その時の亜弥の顔がおかしくて、あたしは笑い転げたんだ。


なんでケンカになったのか二人ともすっかり忘れていて、
亜弥に携帯でしょと言われてからお互いハッとして顔を見合わせた。
でもどうせ蒸し返したところで話が平行線を辿るのは目に見えていたので、
あたしたちは何事もなかったようにまたお茶を飲みだした。
そこで亜弥が言ったんだ。

「ミキたん、よっちゃんもご両親も心配してくれてるんだよ?
 無理に使わなくてもいいけど、一応持つだけ持ったほうがいいよ、携帯」
「めっちゃ人の話聞いてんじゃん」

すかさずつっこんだ藤本と違って、あたしは唖然としていた。
亜弥が完璧に話の内容を熟知してたことに。
でも文句を言いながらも「そうだね」と、しぶしぶ携帯を持つことを了承した藤本を見て
もっと唖然とした。
あたしがあんなに言っても聞かなかったのに…。
無駄な血を流したなぁ。

「ていうかさ、キミだれ?」
「えっ藤本の知り合いじゃないの?」
「よっちゃんの知り合いでもないの?」

そして二人して唖然とした。このコ誰なの?と。
それからあたしと同じ学校だと聞いて、あたしはこの日何度目だっただろう。


また、唖然としたんだ。


携帯を持ち出した藤本は、授業中はもちろんのこと電車の中でも常に電源を切っていた。
おかげで持ってしばらくの間は、『圏外の女』という不名誉な称号がつきまとっていたらしい。



そんなことをぼんやりと思い出していたら、いつのまにかテレビの中では
グラサンがマイク片手に踊っていた。
ごっちんはまだ梨華ちゃんのグチを聞いている。

こっちを向けてる彼女の背中に『ご苦労様です』と声を出さずに頭を下げて
ゴロンとベッドに寝転んだ。





 ◇◇◇





携帯がメールを知らせた。
携帯ってやつは邪魔だしウザイしめんどくさくていまだに好きになれないけど、
このメール機能だけは悔しいけど便利だと思う。

『明日政経の発表なんだよ〜。全然やってねぇ(泣)』
『やればいいじゃん』
『ごっちんと相談した結果、皆でバックレることになった』

呆れて今度は返事をしなかった。
まったく、こんなんで卒業できんのかなアイツ。うちの学校だったら絶対ダブりだよ。
あたしは毎日家事と両立させながら勉強に励んでいるってのに。
そんなことを考えていたらふいに亜弥ちゃんが口を開いた。

「私あのCDが欲しいな」
「なんの?」
「あれ、なんて言ったけ?あの美貴たんのお気に入りのやつ。ほら、よく部屋で聴いてた…」
「ああ、サントラのやつでしょ。ちょっと待って探してみる」

コタツから出てあたしがCDを探している間、彼女も立ち上がって
カーテンの隙間からボーッと窓の外を眺めていた。特に何を発するでもなく。
窓際は風が入り込んで少し寒いというのに彼女はただまっすぐそこに立っていた。
何も映し出さない真っ暗闇の中に、彼女は何を見出しているのだろう。
今、彼女の瞳の中には何があるのだろう。

なにげなくあたしが隣に立つと彼女はコタツに戻った。
窓に手をついてカーテンの隙間に目をやる。
真っ暗闇の中に映し出された自分の顔がそこにあった。



それにしてもやっぱりおかしい。
いつもの快活さや饒舌な口調がどこにも見当たらない。元気がない、とはちょっと違う。
こんな彼女は今までに見たことがなかった。あの時を除いては。

でも…あの時ともちょっと違う気がする。
なんていうか、今日の亜弥ちゃんには口には表せない微妙な違和感がずっとつきまとっている。
もうちょっとでつかめそうな、でも決してつかめなさそうな違和感が。

そんなに物を置いてない部屋だから目当てのCDを見つけるのは簡単だった。
これでしょ、と彼女に手渡すとそうそうコレと言って嬉しそうに目を細めた。
コタツに入って冷えた手を温める。

せっかくだから聴いてもいいよねと、ブックレット片手にCDをプレーヤーにセットする亜弥ちゃん。
何がせっかくなのかわからなかったけどあたしは曖昧に頷いてその様子をじっと見つめていた。

激しい音楽が聴こえてきた。
その曲調とは全然合っていないのに、なぜだかあの日の彼女の表情が頭をよぎった。





「フラれちゃった」
「フラれた?」
「フッたのかな」
「どっちだよ」

そう話す亜弥ちゃんの表情があまりにも晴れやかだったから、
最初は面白くない冗談かなにかだと思った。
犬かなんかに邪険にされたのかと。
結局はよっちゃんのことだったんだけど、まあアイツも犬みたいなもんだ。
でも彼女にとっては恋人なわけで、あたしはどう対処していいものか、正直なところ困っていた。

「破局ってやつ?」
「そっか」
「ついさっきね」
「そっか」
「美貴たん、そっかしか言ってないよー」

彼女はふにゃっと笑った。
話の内容とそのかわいい表情があまりにもアンバランスで、あたしは戸惑った。
どんな言葉をかけてあげればいいのか。
そもそも彼女はあたしにどんな言葉をかけてほしいのか。
考えたけど答えは見つからず、とりあえずその乾いた笑いに付き合っておかしくもないのに笑った。

「お腹空いたよー美貴たん」
「はいはい。なんか作るね」

あたしが作った豚肉とアスパラのみそ炒めと明太子のポテトサラダを
すごい勢いで胃に収めていく彼女を見ながら、付き合いだすと恋人同士が似てくるって
ホントなんだな、とか思っていた。
でもすぐに別れたんだっけ、口にしなくてよかったとホッとした。

目の前でニコニコする彼女を見てるうちに自分が何を期待されているかなんて考えるのはやめた。
きっと何も期待はされていない。期待も要求も。

彼女はいつも学校終わりにここに寄って、夕食をあたしと共にし少し喋って歩いて帰る。
その一日のパターンは滅多に崩れない。
だから恋人との別れ、といういわゆる打撃を受けてもいつものようにここに来た。
ここに来て何事もなかった顔でゴハンを食べ、いつもと変わらぬ他愛のない会話をし
なんでもないように帰ってく。
その変わらぬ過程に付き合うことがあたしにできるすべてなんだろう。
少なくとも彼女は、そのこと以外を望んではいないみたいだった。

だからあたしは努めていつも通りに過ごした。
特に歩み寄るでもなく、突き放すでもなく。

帰り際、玄関で靴を履きながらあたしの顔を見て『オヤスミ』と言った亜弥ちゃんの顔が
本当にいつも通りだったから、それまで平静を装っていたあたしは逆に動揺してしまった。
そしてそんな動揺と一緒に浮かび上がってきたある感情に気づかないフリをして、
素早く固く封印して心の奥底に沈めた。

数秒後、俯いていたあたしは顔を上げ、いつも通りの表情で彼女に『おやすみ』を言えた。





CDに耳を傾けてる亜弥ちゃんがぼやける。
そこにいるのに消えてしまいそうなほど亜弥ちゃんの姿ははっきりしなかった。
輪郭が滲んでいた。
一瞬自分が泣いてるのかと思い慌てて目の辺りを拭ったけど、そこに涙はなかった。

「あ、私この曲一番好きなんだぁ」
「え、これ?」
「うん。このエイティーンなんとかってやつ。なんか聴いていると切なくなる」
「たしかにどことなく懐かしい感じするよね」
「美貴たん、訳して」
「美貴、日本語以外話せないから」
「私もー。歌詞の意味はわからないけどでも…これなんかいいんだよねぇ」

亜弥ちゃんがいいと言ったその曲は語るような歌われ方で、スキャットもけっこうあって
とても一緒に口ずさむようなことはできない歌だったけど、その曲を聴くといつも
胸の奥に何かが突き刺さるような切ない痛みを感じていた。
だから彼女が気に入っていてくれたことは正直嬉しかった。

「ねぇ亜弥ちゃん、今日なんか変だよね」
「美貴たんにヘンって言われたくないなぁ」

そう言って彼女は頬を膨らませて口を尖らした。
でもそのおどけた表情も、今夜はなぜか寂しいとしか思えない。
寂しいとしか。

「でも美貴たんならやっぱりわかっちゃうか」

その一言であたしはハッとして亜弥ちゃんを見た。

あたしはずっと考えないようにしていた。
今日亜弥ちゃんに会ってからずっと。
あたしは何も感じないようにしていた。
亜弥ちゃんがおかしいと思い始めたときから本能的にそうしていた。

あたしはずっと、考えないようにしていた。
今言われた言葉の意味だけでなく今日の彼女の言動すべてについて。
あたしはずっとずっと考えないようにしていた。
今思えば考えないようにしていることすら意識しないようにしてたのかもしれない。
でも頭が拒否しても心の中に湧き起こるのは止められなかった。

あたしは彼女の異変にいつから気づいていた?ドアの前に立ってるのを見たとき?
ココアも鍋焼きうどんも、お茶さえも口にしない今夜の彼女にまとわりつく違和感を
どうして見ないフリしていたの?気づいても考えないようにしていたの?
真っ暗な窓に映し出されるべき彼女の顔がそこにないのを、なんであたしは見て見ぬフリしたの?
彼女のありえないほどの肌の白さに、目が眩みそうになったのはなぜ?



あたしにはわからない。
――あたしにはわからない。
――――あたしにはわからない。

わかるはずがない。



あたしには―――――――――――――



わからない。



頭で、心で否定する。





ねぇ亜弥ちゃん
なんでここに来たときから
そんな寂しそうな顔をしてるの?





 ◇◇◇





夢を見ていた。

真っ白な闇の中。明るい、闇の中。

彼女はぽつんと座っていた。なにをするでもなく。

そんな彼女がなんだか堪らなくなり、駆け寄ろうと頭で考えてふと気づいた。

あたしはどこにいるんだろう。どこから彼女を見ている?

あたしはとにかく走った。とにかく彼女に。彼女の元に、と。



頭の、もしくは心の片隅で声を感じていた。

それは小さな小さな存在であったけど、あたしの意識の中では無に等しかったけど、
その声から伝わる温度はとても温かかった。

心地よかった。いい匂いがした。

だから彼女と一緒にそれに触れようとした。

彼女にも、触れてほしかったから。



そしてあたしは目が覚めた。





あ、あたしまた寝てたんだ。
横を見るとごっちんの優しい顔があり、彼女の指はあたしの髪の先を弄んでいた。

「梨華ちゃんはもういいの?」
「うん。喋るだけ喋ったら満足したみたい。あたしたちがいなくてつまんないからもう帰るって」
「あ、午後から行こうとしてたのに。言わなかったの?」
「だってよしこ今何時だと思ってんの」
「え…一時くらい?って三時かよっ!うわっそんなに寝てたんだ」
「すごく気持ちよさそうだったよ。いい夢でも見てた?」
「うーんよく覚えてないけどいい夢だったと思う。なんか胸のあたりがあったかくなったよ」

珍しくいつもの寝起きの悪さがなかった。
よっぽど夢見がよかったのかな。覚えてないのがちょっと悔しいかも。

「ねぇごっちん、亜弥はね…」
「もういいよ。なんかあたしもオトナゲナイこと言ったし」

あたしの言葉を遮って大人みたいなことを言う彼女がおかしくて吹き出した。

「なんでそこで笑うかなー」
「だってごっちん、似合わないよそんなセリフ」
「そう?やっぱりあたしにはまだ早いのかな」
「かもね」

なんだとーと言ってまたごっちんは怒った。
でも今度はかわいい笑顔つきで。

「ね、ごっちん、やっぱ言わせて。亜弥はごっちんが思ってるようなコじゃないよ」
「知ってるよ。まさか本気でまつーらのこと悪く言うわけないじゃん」
「やっぱり?」
「うん。ねぇあとひとつだけ聞かせて。まつーらとなんで別れたの?」
「ごっちんに出会ったからだよ」

即答していた。
あたしはごっちんに会った瞬間、柄にもなく一目惚れってやつをしたんだ。

一瞬で、恋に落ちた。
彼女のこと以外なにも考えられなくなった。
亜弥のことも。

亜弥は勘がよくて、察しがよくて、引き際もよかった。
あたしが告げる前に彼女は去ろうとした。
しかもあたしの新しい恋へのエールつきで。

そんな亜弥だから、あたしは彼女を好きになったんだ。
ホントに、ホントに好きだった。



だからこそあたしは、自分の口で亜弥に別れを告げなきゃいけないって思ったんだ。





 ◇◇◇





また、亜弥ちゃんの形がぼやけた。
今度も涙のせいではなかった。

あたしはすでに思考能力がストップしていてなにも考えられなかったけど、
心の片隅であるひとつの事実がムクムクと大きくなっているのを感じていた。

脳が警報を鳴らしている。
そんなことありえない。
そんなことありえないって。

でも、彼女の耳の上の生え際にはドス黒い血の塊のようなものが
さっきからはっきり見えていて、CDを手渡したときの普通でない冷えた手の感触や
とにかくいろんな証拠が情け容赦なくあたしにあるひとつの事実をつきつけていた。



亜弥ちゃんはもう、昨日までの亜弥ちゃんじゃない。



相変わらず脳がうるさいくらいに警報を鳴らしている。
やかましい。
自分の頭をガンガン殴った。
認めたくなかった。
そんなわけがないんだ。
なに考えてんだこの野郎。
そんなわけが、あってたまるか。

でも現実は無情で、彼女はそのかわいい顔であっさりと言ってのけた。

「もう美貴たんとは会えないんだ」
「どうして…」
「ごめんね」
「どうして亜弥ちゃん…っん、っんぐ」

また、視界がぼやける。
今度は涙のせいだった。
熱いものが溢れ出す。
指で拭ってあとからあとから込み上げてくるものを堪えた。
堪えながら必死に彼女を見据えた。
それでもやっぱり彼女の姿を見ると涙が止め処なく零れ落ちた。
彼女の笑顔が今まで見た中で一番かわいくて胸が痛んだ。

あたしはどこかで終わりのときが迫っているのを感じていた。
だから一瞬たりとも彼女の姿を逃さないようにと、
溢れ出る涙を無視して、こぼれ出る嗚咽を飲み込んで彼女をずっと見つめていた。
彼女の笑顔から目を離さなかった。
離すことができなかった。

「美貴たんありがとう。なんかこんな言葉しか思いつかないよ」
「亜弥ちゃん、あ、あたし」
「美貴たんの料理美味しかったなぁ。もっと食べたかったよ」
「…っく…っんぐ…もっと、もっと食べてよ」
「よっちゃんともう殴り合いなんてしちゃダメだよ。二人ともこんなに綺麗な顔なんだから」
「んっ…アイツの、ところに、な、なんでっ、行かなかったの?」
「よっちゃんには後藤さんがいるから大丈夫。それに…最後は美貴たんに会いたかったの」



もう、ダメだった。
その瞬間自分の中でなにかが切れるのがわかった。



我慢できずぶわっと声をあげて泣いた。
わんわん泣き喚いた。
体を折り曲げ、髪を振り乱し、子供が駄々をこねるみたいに嫌だ嫌だと泣き叫んでいた。
頭を殴った。
机を、壁を蹴り上げた。
必死だった。
とにかく必死で、自分がおかしくなることでこの哀しい事実がなくなればいいと思っていた。
むしろ自分がおかしいんだと、この亜弥ちゃんは自分が見ている幻想なんだと思いたくて。
いろんなものをメチャクチャにした。
部屋中を暴れ回った。
壊しまくった。
でも亜弥ちゃんはただ笑顔のままだった。
あたしに優しい眼差しを向けていてその目がすべてを物語っていた。
だから悲しくて悲しくて、座り込んで声が枯れても泣き叫んだ。
亜弥ちゃん、行かないで。
お願いだから、行かないで。
なんでもするから。





お願い…亜弥ちゃん。





「行かっ…んぐっ…行かないで…ないでっ」
「美貴たん」
「お願いだからっ」
「美貴たん泣かないで」
「亜弥、ちゃん、のことが、あたし…あたしはっ」
「うん。わかってる。わかってたよ」
「亜、弥ちゃん、あ、あたし、あたしずっと…ずっと前からっ」
「美貴たんの気持ち、本当に嬉しいよ」





どれくらい時間がたったのだろう。
気づくとあたしは床に倒れ伏していた。

頬に残る涙を拭った感触が、亜弥ちゃんの指の感触がただ愛しかった。

亜弥ちゃんの残したマフラーが、ただ愛しかった。

亜弥ちゃんの最後の言葉が、ただ愛しかった。

亜弥ちゃんが愛しくて、亜弥ちゃんに会いたくて、あたしはまた泣いた。泣きつづけた。



まわりっぱなしのCDプレーヤーが、彼女が好きだと言った曲を流していた。

彼女の、そしてあたしの胸をいつも切なくさせる『18 WITH A BULLET』

まわりっぱなしのCDプレーヤーが、まるで彼女を悼むようにその曲を奏でていた。

彼女の、そしてあたしの胸にいつまでも響いている『18 WITH A BULLET』





 ◇◇◇





目を丸くしているごっちん。
そりゃそうだよな、こんなこと言ったの初めてだもん。驚くのも無理ない。

「ひゃー。あたしそんなによしこに愛されてるなんて知らなかったな」
「うんうん。愛してるよ」
「それにまつーらのことも」
「うん?」
「あたしホントならまつーらに嫌われてもおかしくないんだよね?
 なのにあのコね、あたしにすっごい優しいんだよ。
 廊下とかですれ違うといつも挨拶してくれて柔らかい笑顔見せてくれるの。
 だからあたし…実はまつーらと顔合わすのちょっと好きなんだ。いいコだなぁっていつも思う。」
「うんうん。亜弥はそういうコだよ。ごっちんのことだってよくかわいいねって言ってくれるんだ」
「そうなの?えへへ。でもあたしよっちゃんの元カノってことでみっともないくらい気にしちゃって。
 まつーらの笑顔はいつもあんなにまっすぐで正直なのにね」
「うんうん。わかってくれて嬉しいよ」

だから言ったでしょ?ごっちんは亜弥を誤解してるって。
あんないいコなかなかいないんだから。
それにごっちんもね。オイラ女の子見る目あるよね?我ながら。

「今度まつーらとミキティと四人でどっか行こうよー」
「うん、行こう!藤本もごっちんに会いたがってたし。明日学校終わったら皆で藤本んち行こうか」
「あ、梨華ちゃんにも一応声かける?」
「そうだね…またキンキン声で電話かかってきちゃうもんねぇ」
「まつーらのびっくりする顔が目に浮かぶなぁ」

ベッドの上で二人して笑い転げた。
子犬のようにじゃれあいながら。

四人、じゃなかった五人でゴハン食べたり遊園地で遊んだり、なんてのを計画しながら。
梨華ちゃんにつっこみまくる藤本とかごっちんと一緒にあたしの変な癖とかを暴露しちゃってる
亜弥、なんてのを想像しながら。
五人の笑顔を思い浮かべるだけで楽しくて、早く明日にならないかなぁとワクワクしながら。





あたしたちはずっと笑っていた。










<了>


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