前夜






「梨華ちゃんいーい?『緊張』とか『あがる』とかは禁句だよ?」

一応、卒業したとはいえ5年間モーニングの仲間としてやってきたわけだから
彼女の性格というか突拍子のない考え方やノリやテンションの激しさとか
気分次第で言ってることがコロコロ変わるところとか十分によく把握しているつもり。

もちろんちょっとどころじゃなくおバカなところも。

「絶対言わないでね。『緊張』とか『あがる』とか」
「よっすぃ…」
「あと『負ける』とか『失点』とか『ミス』とか『疲れた』とか…」
「よっすぃってば!!」
「ん?なーに?梨華ちゃん」
「全部自分で言ってるよ」
「全部って?」
「だから『緊張』とか『ミス』とかって」
「あー!梨華ちゃん言っちゃダメじゃんか!!」

ピキッ。

こめかみのあたりの血管がピキピキしたけどこんなのいつものことだもん。
べつに私を引っ掛けようとかそういうつもりじゃないんだよね?よっすぃは。
本気で自分の言ってることがわかってなくて、本気で私の言ってることもわかってない。
ぷりぷり怒っているけど頬を膨らませたその顔はやっぱり反則よね。
洗い立てのクルンクルンした茶色の毛先は輪をかけて反則。

「ごめんごめん。ていうかよっすぃちょっと落ち着きなよ」
「なーに言ってんの梨華ちゃん。どっからどう見ても落ち着いてるっしょい!」

あー、また『しょい』の使い方間違ってるし。しかも得意げなのよね。
モーニングの子たちはなんで誰も突っ込まないんだろう。
突っ込んだところでわけのわからない答えが返ってくるのは目に見えてるけど。

「あのね、よっすぃ」
「うん、なに?梨華ちゃん」
「ここが部屋の中なのは知ってるよね?」
「むう〜。あたしをバカにしてるな。それくらいわかるに決まってるっしょい」
「よっすぃ『しょい』は……まぁ、それはいいわ。じゃあ走るのやめてくれるかな?」

走り回りたくなるほど興奮してるよっすぃの気持ちはね、よくわかるの。
私だって明日のことを考えたらぐっすり眠れるかどうかなんて微妙なところだもん。
でもね、よっすぃ。ついさっきまで近所中を走ってきたのよね?
帰ってきてお風呂入ってから髪も乾かさずにどうしてまた走ってるの?
水滴がポタポタ零れるから私が後ろから拭きながら追いかけてるの、絶対わかってないよね。
わかってたらよっすぃじゃないもんね。

ううん、水滴はいいのよ。放っておけばいずれ蒸発するんだし。どうせ水だし。
私が言いたいのは普通に生活していたらとっくに寝ているだろうこの夜中の時間に、
ドタバタと、しかも『緊張』とか『〜っしょい』とか連呼しながら走り回るのは
階下の人に迷惑なんじゃないかな〜ってことなの。
ただでさえこういう不規則な時間帯のお仕事で、夜中に帰ってきたりすることが多くて
迷惑かけてるかもしれないのに。

「ね、よっすぃ。いいかげん走るのやめようね」
「へ?なんで?」
「……今からそんなに走ったら疲れちゃうでしょ?」
「あ、そっか。そだね。じゃあやめよう〜」

たとえ自分の言い分が正しいと思ってもそのまま伝えればいいってものじゃない。
私だってこの5年でいろいろ学んできたんだから。
だてに長く付き合ってないんだから。

「よし、リフティングでもするか!」

ピキキッ。

「よっすぃぃぃぃーーーーっ!!!」
「うわぁっ」
「もう〜我慢できない!出てって!自分の家に帰りなさいよ!!」
「なんだよ梨華ちゃん。突然どしたの?頭ダイジョーブ?」
「キィィィィーーーーッ!!!」
「うわー!梨華ちゃんがキレたー!!」
「ちょっと、待ちなさい!よっすぃ!!!」

ニヤニヤ笑いながら逃げるよっすぃ。
腕を振り回してひたすら追いかける私。
逃げる途中でリフティングなんてしちゃって挑発されるから余計に頭に血が上る。
ドタンバタン、音をさせながらボールがいろんなところに飛んでいく。
パーマの髪を引っ張って、足を引っ掛けて、派手に転んだところで息が限界。

「はぁはぁはぁ…」
「ふひー。疲れたー」

絶対怒ってるよね、下の人。怒らないわけがないもん。あー、私のバカバカバカ。
今度顔を合わせたときイヤミとか言われちゃうかな。
夜中に騒いで変な誤解されたりしないかな。
管理人さんから電話が来て「出ていけ」とか言われたらどうしよう。家なき子になっちゃうよ〜。

「梨華ちゃん」
「………」
「梨華ちゃーん」
「………」
「梨華ちゃんってばー」
「………」
「梨華ちゃんのばーか」
「なんですってぇ!」
「あはは。こっち見た」

悔しい。こんなはずじゃなかったのに。
途中まではクールに大人の態度をキープしてたのに。
よっすぃのペースにいつのまにかハマって一緒になって騒いだり叫んだり。
悔しい。綺麗な顔をしているくせにいつまでも子供みたいなことばかりするんだから。

「ほら!いしかー!パスパス」
「よっすぃ〜」
「カモーン!」
「もう〜仕方ないなぁ。ほら」
「すとらいぃぃぃっく!ってバカかよ!なんで投げるんだよ!!」
「だって蹴って窓でも割れたら大変じゃない」
「ちっ。これだから顎の出てる女は…」
「ふんっ。これだからホクロの多い女は…」

明日は大事な大事なフットサルの大会がある。絶対に負けられないし負けたくない。
この日のために忙しいスケジュールの合間に皆で頑張って練習してきた。
前回の悔しさをバネにして、明日は持てる限りの力を尽くすつもり。

それなのに私たち何やってるんだろう。しかも皆を引っ張っていくキャプテンが。
夜中に私の部屋でボールと相手の文句を投げ合って、キャッチしている。
バカのひとつ覚え(ていうか完璧にバカなんだけど)みたいに『緊張』を連呼するこの人。
もしかして本気で緊張しているの?だからいつもよりわけわからないバカやってるの?

「明日晴れるかなぁ」
「お天気は関係ないでしょ。室内なんだから」
「でもほら、太陽が出てるほうがなんとなくいいじゃん」
「試合夜だよ」
「じゃあお月様だ。そだ!今のうちにお祈りしとこう〜」
「ちょ、ちょっとよっすぃ?」

グイっと腕を掴まれて引っ張り上げてくれるかと思いきやそのままズルズル引きずられた。
「早く早く」なんて急かすくらいなら立ち上がる時間を与えてほしい。
あー、そういえばここのところ床掃除してなかったよね…ホコリ溜まってたよね…。
振り返ると私の体が通った跡がうっすらと違った色に見えちゃってる。
私を使って結果的に拭き掃除をしてくれたよっすぃが嬉々としてベランダの戸を開けた。

「月ないや」
「隠れてるんだよ」
「どっかにあるよね?」
「当然でしょ」
「んじゃ、お祈りするか」

立ち上がってジャージを軽く払ったら…なんか白いものがものすごく舞い上がるんですけど。
トホホな気分でよっすぃを見ていたら「すぅ〜っ」と息を大きく吸い込んでいた。
まさかこのバカ。まさかまさか…まさかだよね?!

「ぐあっ…!」

試合中、当たり負けをしないように練習に励んだ成果がこんなところで発揮されるなんて。
けものみたいに大きな口を開けて叫ぼうとしたよっすぃにごめんとも思わずにタックル。
もつれ合いながら部屋の中に倒れこんだらよっすぃの頭が拭きたての床にダイブして鈍い音をさせた。
今のでちょっとはバカが治るといいんだけど…と淡い期待をしてみる。
もう下の人に怒られるのも引越しの覚悟もできているからそっちの心配はやめにした。

「ちなみに」
「あ、あたまがぐわんぐわんして…る…」
「なに叫ぼうとしたの?」
「が、がったすゆうしょー…」

息も絶え絶えによっすぃはそう答えてガクッと力尽きた。
パーマ頭を膝の上に引き寄せて、クルクルの髪の毛をかき分けて後頭部の具合を確認。
だらんと脱力した人間は重いけどこんなこと日常茶飯事な私はもう慣れたもの。
床にぶつけただろうあたりを指でそっと触ってみたけど腫れてはいなかった。
少し安心してからよっすぃの寝息も確認。
スースーと穏やかに眠っている。

「ようやくおとなしくなってくれた…」

よっすぃはいつもいつも勝手なことばかりやって(主に)私に面倒をかけるけど、
それでも今日みたいにいつまでもテンションがMAXなままなんてことは滅多にない。
私の卒業のときは…あれはあれでおかしかったし大変だったけど今日は少し違う。

「バカなりにプレッシャーなのかな…」

リーダーに、キャプテン。
目に見えない責任の重さはバカにでもならなきゃ耐えられないのかも。
例えば私以外にこの暴走バカなやんちゃっ子を一体誰が面倒見切れるんだろう。
やっぱり私しかいないのかな。
私の言うことなんてちっとも聞いてくれないけど、でも私しかいないよね。
人の意見も聞かずにクルクルパーマにしちゃうような子だし。
でもこれはこれで見慣れるとかっこよく思えるから不思議。
最初はあんなにバカにしてたけど。美形ってズルイ。

「がったすゆうひょー…むにゃみゅにゃ…」
「頑張ろうね、キャプテン」
「ま…かしぇなしゃい…」



ゆっくり眠って明日に備えよう。
雲に隠れた月にお祈りしよう。

明日、晴れるといいな。










<了>


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