吸殻に指輪






帰宅してまず電気もつけずに携帯を確認しようとした。
焦ってハンパに脱ぎかけたジャケットが、蛇のように片腕に絡んであたしをイラつかせる。
うっかり携帯を忘れて出かけてしまったため、一日じゅう気になって仕方なかった。
いくつかの予想できる着信やメールに対してすでに頭の中で返信文章を作っていた。

ようやく脱げたジャケットを床に落として受信ボックスを開き中身を見る。
ひとつだけ予想と違う内容のメールがあった。

いや、あたしはある意味予感していたのかもしれない。
だからきっと一日じゅう携帯が気になったしジャケットもうまく脱げなかったんだ。

暗い部屋の中でぼんやりと浮かび上がる待受画面に並ぶ簡単な文章。
そこには恋人からの言葉があった。


『もうしんどいねん。ごめんな、よっちゃん』


恋人だった、人からの言葉が。


*****


足もとに落ちたジャケットを無造作に蹴り上げてキャッチしようとするも、むなしく空を切った。
勢いが足りなかったかともう一度、今度はおもいきりシュートする気分で蹴りこんだ。
あたしは馬鹿か。何がしたいんだ。
ぼふっと音を立てて舞い上がったジャケットはテレビの上に落ちていた。

座り、さっきから握り締めていた携帯を見る。
力を入れすぎて指が白くなっていた。
また壊してしまう前に早く指を解かなければ。
そう思ってもあたしの指はあたしの指のくせに言うことを聞いてくれない。
仕方なく反対の指で一本一本広げてやった。携帯は無事だった。

返信画面の上でカーソルが一定のリズムで点滅している。
他人事のようなその無機質なリズムを見ていたら、段々と腹が立ってきた。
はじめは単調なリズムに。そしてすぐに自分にも。

別れを告げた恋人に一体あたしは何と返信しようとしているのか。
もう何も言うことはないのに。何も言えないというのに。

『よっちゃんのこと好きやねん』

思えば、はじまりもメールからだった。
携帯をスクロールさせて過去の受信を探る。
するとそのメールは簡単に目の前に現れた。
うっかり消さないように保護をして、大切に保存していた自分に苦笑する。
うっかり逃がしてしまわないように、ずっと彼女を抱きしめていればよかったのに。

会えない時間や不安なんてものに負けないようにと頑張ってきたはずだった。
あたしは、本当に大切にしなければならないものをはき違えていたのか。
ちょとずつすれ違い始めたお互いの気持ちに気づかぬフリをして何を守ってきたのだろう。
保護したままのメールを消せない自分が滑稽で仕方なかった。

しばらくそのメールを見つめたまま情けなくうなだれているとどこかから音がした。
ぽと、と何かが床に落ちたような音がして顔を上げてみる。
見るとテレビの前に煙草があった。
ジャケットのポケットから落ちたのだろう。
四つんばいで近づいて手に取り一本を抜いた。
だらんとテレビにかかったままのジャケットをまさぐりライターを探す。
シュポっといい音をさせて煙草に火をつけた。

『よっちゃんの煙草、強すぎるわ』
『未成年が吸ってんじゃねーよ』
『ちょっとくらいええやん。煙草のにおい好きやねんもん』
『なんで?変わってんね』
『煙草のにおいはよっちゃんのにおいだから』

あ、ヤバイ…かも。油断するな、あたし。
鼻をズズっとすって息を吐く。スーハースーハー。
腰を上げて灰皿に煙草を押しつけようとしたとき、妙なものに気づいた。
シケモクに何かが通されていた。

『これ安物だけど』
『ホンマに安そうやな』
『そこは嘘でもいいからそんなの全然気にならないよとかなんとか言うとこだろー』
『あいぼんな、嘘はキライやねん』
『へいへい。そうですか』
『ありがとう』
『へっ?』
『むっちゃ嬉しいわ。ありがとう』
『お、おう…』
『よっちゃんのこと世界で一番大好き』
『ほ、ほんとに?』
『嘘はキライって言ったやん』

そう言って笑いながらあいぼんはあたしの首にしがみついてきた。
あれは付き合い始めてまもなく…まだ1ヶ月も経たない頃。
なんとなく衝動買いした安物の指輪をあげたときのことだ。
あんなに喜んでもらえるなんて思ってもみなかったあたしは、あげたことをひそかに後悔した。
もっといいものを買ってあげればよかったと。
あんな安物じゃなく、衝動で買ったものじゃなく、真剣に選んだものをプレゼントすればよかったと。
「よっちゃんからの初めてのプレゼントや」と喜ぶあいぼんの笑顔に少しだけ胸が痛んだ。

でもそれは今現在の痛みには到底及ばないほどの小さな痛みだ。

「なんでこれがここに…」

吸殻に通された指輪が出会った頃の記憶を蘇らせる。彼女の記憶を。
生意気で、イタズラ好きで、でもふいに見せる表情がハッとさせられるほど大人っぽい。
口が達者で、意外と機転が利いて、人懐っこく、その容貌の可愛さに誰もが心を開いた。
あいぼんといると年上のあたしのほうがまるで子供のようだった。
たまにする口げんかでも勝てる見込みはなかったし、笑顔にはもっと敵わなかった。

『もしあいぼんたちが別れることになっても…この指輪、返さんでもええ?』
『別れるとか…んなことあるわけないじゃん。なに言ってんだ』
『だからもしもの話しやん。ifやんか』
『もしももクソもねーよ』
『クソは関係ないやろ』
『クソに反応するなよ』
『先に言ったのはよっちゃんやん』
『なにおぅ!』
『なんやねん!』
『やるかぁ?!』
『やったるわ!!』
『………』
『…いきなりキスするんは卑怯や』
『へへ。嬉しいくせに』
『嬉しくなんてないわ!』
『ほーお?あいぼんさんはいつだったか嘘がキライだって言うてはりましたやんなぁ?』
『ぐっ……けったいな関西弁がむかつくわ』
『素直になりなさいって』
『…嬉しいに、決まってるやん』

あのときの、あいぼんのはにかんだような笑顔をあたしは一生忘れないと思った。
現に今だって、こんなにまざまざと思い出せる。

素直になるべきはあたしのほうだった。
体ばかりが無駄に成長しても中身は子供のまま。
大人のフリをして会いたいときに会いたいと言えず、それがカッコイイんだと勘違いしてた。

会いたいよ、あいぼん。
たまらなく、会いたい。

ついに堪えきれずあたしは涙を落とした。
あいぼんの前では一度も見せることのなかった涙の雫が指輪を伝う。
もの言わぬ指輪があたしに何かを訴えかける。



『煙草のにおいはよっちゃんのにおいだから』

『別れることになっても…この指輪、返さんでもええ?』

『あいぼんな、嘘はキライやねん』



別れることになっても返さないといった指輪が今ここにある。
それがどういうことかわからないほどあたしはまだ落ちぶれちゃいない。

吸殻に通されていた指輪が流れ落ちた涙に洗われてピカピカしている。
嘘がキライなあいぼんが残したそのメッセージにわずかな希望を見い出し、そして望みを繋ぐ。

指輪を吸殻から抜き取ってあたしは立ち上がった。
携帯を手に取り、リダイヤルを探る。
なかなか見つからない番号。
あたしが最後にあいぼんに電話したのはいつだったのだろう。
こんなところでも素直にならないことと、大人になることをはき違えていた自分がいたことに気づく。

履歴から目当ての番号を見つけて迷わずコールした。
テレビにかかったままのジャケットを左手で取り、脇に挟んで家の鍵を掴む。
こんなにドキドキする電話は初めてだった。

まず好きだと伝えよう。
今度はあたしから付き合ってくださいと告白しよう。
みっともなくてもいい、途中で泣きそうになったら素直に泣こう。
もう絶対に離さないと誓う。
握りしめた指輪に思いを込めて。



「もしもし…あ、あたしだけど…」










<了>


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