時間






投げ出された右手首に唇を寄せかけて、止めた。
もぐりこんだ左手首を引っ張り出して、触れた。

そこに時計はない。



「ん…亜弥?」
「まつうらあやで〜す」

左手首を持ったまま『私の真似をする彼女』の真似をしてみた。

「起き抜けに素敵な笑顔をありがとう」
「すっごい棒読みなんですけど」
「だって、どう反応しろってのよ」

目をこすりこすりしながら掠れた声で彼女はそう言った。
それから大あくびをひとつ。
私もつられてひとつ。
二人一緒にもうひとつ。

口の中、喉の奥まで曝け出して自分では見たことのない暗い部分までお互い丸見え。
なんかえっちだ。


ところでアイドルなんだよねぇ…私たちって。


「今日のご予定は?」
「ひーちゃんと一緒」
「あれっ?休み?」
「うん」
「なんだよ、そんなこと一言も言ってなかったじゃん」
「びっくりさせたくて。びっくりした?」
「びっくりした」

まだ少し眠そうだった瞳が一気に開いた。
それからもう一度「びっくりした」と呟いた彼女の口調は少し不満げだった。

「びっくりとかそんなんよりさ、大事なことあるっしょ」
「んー?」
「せっかく二人休みなんだよ?こうもうちょっとさ、プラン的なものとか…」

適当に相槌を打ちながら長い指をふにふにと弄ぶ。
自分の指を絡ませたり大きな爪を撫でたり。
どう見ても聞く耳を持っていない私に、彼女はそれでも続ける。

「休みだって分かってたら行きたいとことか考えたりさ。映画とか今なにやってたっけ…」

長い指は無抵抗なまま。
サラっとした触り心地。

昨夜のことを思いだすと不思議な気分になる。
それは昨夜だけではなくいつもいつも思うことだった。

どうしてあの瞬間は、何もかもがどうでもよくなるほど気持ちいいのだろう。
彼女や、自分ですらどうでもよくなるほどに。
そして次の瞬間には彼女や、自分がたまらなく愛しくなり抱きしめる。

「二人の休みが重なるなんていつ以来だっけ?」
「さぁ〜。全然覚えてないな〜い」
「初めてだよ、初めて」
「えぇ?そ〜う?」
「そうだよ。丸々一日ってのは初」
「そうだったんだぁ」

わざとらしく小首を傾げて白い肩に視線を向ける。
頭をガシガシとかきながら彼女は薄いため息を吐いた。

「白々しい」
「ん?」
「なに、計画とかそういうの嫌いだっけ?」
「そんなことない」
「休み一緒で浮かれてるのあたしだけ?」
「ちがうよ!」

指を弄る手を止めて私は思わず彼女の顔を見た。
すると彼女は特有の唇の端だけあげる表情をしてみせた。

引っかかった。彼女の言葉にまんまと。

小憎たらしいような可愛いような薄い笑い。
彼女特有の余裕な表情。
悔しいけれど私には絶対に真似できない顔だった。

「なんで休みのこと黙ってた?なんかあった?」

一転、穏やかな表情と落ち着いた声で私に問いかけてくる。
優しく包み込むような大人の余裕。
普段は意識したことなんてないけれど、こういうときやけに年上な彼女を実感する。
あるいはグループをまとめあげてきた責任とか風格のようなものがそう思わせるのか。
私には到底想像もつかないところで頑張ってきた彼女のそれは経験値なのかもしれない。

「だってひーちゃん…」
「あたしがどうした?」
「休みが一緒なんてわかったらきっといろいろやろうとしたでしょ?」
「いろいろ?」
「その、プラン立てたりとかイベント調べたりとか…私のために。そういうのマメだから」
「まあ…しただろうねぇ。亜弥と一緒にどっか行くなんてこと滅多にないし」
「わたしのこと楽しませようってがんばっちゃうでしょ」
「そりゃがんばっちゃいますよー。好きだし。てかカノジョだし」

さりげなさを装って彼女は視線をそらす。
好き、なんて何度も言ってるし聞いてるのに今さら急に照れないで。
そう心の中で思う私もまた彼女とは反対方向に視線をそらしていた。

「で、亜弥的にはあたしががんばっちゃうのはダメなの?」
「休みの日までがんばらなくていいじゃん」
「は?」
「休みの日はやすもやすも」
「なんだそれ。あたしのこと心配してくれてんの?もしかして」
「………」

彼女の手がすっと伸びてきて私の頬に触れた。
突然、どうしようもないほどの切なさに襲われた。
触れられた先から切なさがものすごいスピードで滲み出て私の体を覆いつくす。
声をあげないように歯をくいしばる暇もないほど、それはあっという間だった。

だいそれた何かを深く考えていたわけではない。
お互い忙しい体だからタイミングなんて合いそうでいて合わない。
一日じゅう休めることなんて月にほとんどないし、まして二人同時なんてもっとない。

だからたまにはゆっくり過ごすのもいいんじゃないかって、ふとそう思っただけ。
一日を家でまったりと二人の時間を過ごすのに使いたいって思っただけ。
何もしなくてもいい。ただそこにいれば、いてくれればいいと思っただけ。

「ひーちゃん」

頬を撫でつづけてる手を掴む。
細い右手首。
時計をしてない剥きだしのそこに唇を寄せる。

やっぱり心配だったのかもしれない。
彼女はいつも走りすぎるから。
最近はずっと走りっぱなしで、それどころかますます加速して誰も止められないほど。
私以外には誰にも。彼女自身にも、きっと。

ちょっとは休んでいいのに。立ち止まってひと息ついても遅れにはならないのに。

どうしてそんなに走るの?走り続けるの?
走ってるの?逃げてるの?何から?どこへ?

置いていかないで。
私をまるで置き去りにするかのように走らないで。

…そんなにやみくもに走って転んでも知らないんだから。

「あたしは亜弥が思うほどヤワじゃないよ」
「わかってる…でもきっと体は休みたがってる」
「なんでわかるのさ」

笑いながら私のおでこを指でつつく。

「わかるよ。だってわたしを誰だと思ってんの?」
「あやや様?」
「そう、あやや様だよ?」
「あははは。まあいっか。あやや様とゆっくり過ごせるなんて最高の贅沢ですよね」
「うんっ」

再び、彼女は私の頬に触れて手の甲でそっと撫で上げた。
間近で揺れる白い手首に目を細める。
永遠とも思える長いような短い時間。
このまま、一日が終わってもいいくらい。
やがて手が止まり、両手が顔を柔らかく包み込んだ。

真正面からじっと見つめられて、見つめかえしてそのうち涙が滲んできた。
これはもう条件反射のようなもので、彼女に見つめられると泣きたくなる。
良くも悪くも私を泣かせられるのは彼女だけ。

「大変ひーちゃん」
「どうした?」

見つめあったまま、微妙な距離で話しかける。

「今日起きてからまだちゅーしてない」

私が真剣な顔でそう言うと彼女はおもいっきり噴き出した。

「真面目な顔でなに言ってんだおめー」
「にゃはは」

それから私のリクエストどおり今日初めてのキスをした。
はじめは軽く形をなぞるように丁寧に。
すっと入り込んだ舌先もはじめは浅く、徐々に深く。
そして熱い舌がどこまでも潜ってくる。
抱きしめる腕にも自然と力が入り、髪をめちゃくちゃにするほど引き寄せた。

でもキスはどこまでもやさしい。
舌と唇で慈しむようなキスにまた涙が出た。


甘い時間?ちがうちがう。
時間なんてない。時計ももちろんない。
ここに在るのは二人だけ。
唇を重ねる少しの音と息遣いと。
ただの二人だけ。


「これじゃ“休み”になんねーなぁ」
「ひーちゃんはそんなヤワじゃない、でしょ?」


私の上に覆いかぶさった彼女が一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに笑った。












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