背伸び






背伸びをして唇を寄せるあなたの仕草が愛らしくて、可愛くて、ずっと見ていたくて
あたしはいつだって袖を引っ張られるまで腰を落とさなかった。
足をぎゅっと踏まれるまで膝を曲げなかった。
あなたの怒ったような、それでいて誘うような顔を見るのが大好きだったから。





「矢口さんかわいい〜」
「コルァよっすぃ〜!」

可愛いから可愛いって言ってるだけなのにあたしの馬鹿にしたようなフザけた口調が
いつも誤解を招いてしまうらしい。
そんなつもりは全然ないのに、片手を振り上げて追いかけてくるあなたがやっぱり可愛いから
知らずニヤける表情がさらに誤解を招く。

「ちっこいからってバカにすんなー!!」
「その『かわいい』じゃないですよ〜」

まいったなぁ。

ぴょんぴょん飛び跳ねながら一生懸命にあたしの頭をポカポカと叩くあなたは
とにかく可愛いとしか言いようがない。
叩かれたって、蹴られたってその姿を見ていれば痛みなんて感じない。
あたしはただひたすらあなたの可愛さに目を奪われるだけ。
なんでそんなに可愛いんですか、矢口さん。

「うわっ!よしこ、殴られてんのになにそのニヤケ顔。キモイよ」
「だってさ〜矢口さんが可愛いんだもん。ほら」

ぴょんぴょんジャンプしてあたしの頭を叩き続ける矢口さんを指し示す。
小さな口をぐわっと大きく開けて、矢口さんはあたしの指に噛み付く素振りを見せる。
おおっと。危ない危ない。
でもそんな姿さえも可愛くて仕方ないから、もっと見ていたくて
あたしは上手くタイミングを合わせて指を差したり引っ込めたり。
矢口さんはあたしの指めがけてぐわっ、パク、ぐわっ、パクを繰り返す。
ああ、楽しい。それに可愛い。
可愛いなんて言葉じゃ足りないくらい。

呆れて肩をすくめるごっちんを横目で見つつも矢口さんから目を離さない。
可愛さにぼうぅっとなりそうだ。
可愛くて可愛くて仕方ないから、一瞬だって目を離したくない。
いつだってそう思う。

それなのに矢口さんは楽屋で皆がいるときや仕事中、仕事の合間の休憩中でさえも
自分の決めたスタンスを絶対に崩さない。
つまりあたしに愛情表現をすることを許してくれない。
もちろん応えてもくれない。
それがけじめだとわかっていても、あたしは物足りなさから
抱きしめようと腕を伸ばしたり誘うような熱い視線を送ってみたりする。
けれど矢口さんはあたしの伸ばした腕を振り解き、送った視線を簡単に交わしてしまう。

矢口さんは、決して揺るがない。

寂しいと思う反面、そんな矢口さんの固い意志や仕事とプライベートをきちんと分ける
真摯な姿勢がさらに好きだから、あたしはせいぜい口を尖らして床を踵で打ち鳴らして
「ちぇっ」と拗ねてみせるだけでそれ以上のことは言わないし、しない。

加入したばかりの年下のメンバーたちがそんなあたしの姿を見てどう思っているのか
大体想像はつくけど(格好悪ぃんだろうなぁ)二人きりのときに矢口さんが言ってくれた
「拗ねた表情が可愛い」という言葉が嬉しかったから、馬鹿のひとつ覚えみたいに
あたしは矢口さんにちょっかいを出しては怒られ拗ねてみせる。

あたしが矢口さんをそう思うように、矢口さんに可愛いと思ってほしいから。
あたしの顔を見ていてほしいから。
二人きりのときにその言葉が聞きたいから。

「矢口さーん、ぎゅうぅぅ」
「ば、ばかっ!なにすんだコノヤロ」
「じゃあ、ちゅうぅぅ」
「じゃあってなんだよ!じゃあって。なにげにエスカレートしてるだろっ」
「ちぇっ」

あたしはたぶん、この人の前だととんでもなく子供になってしまうんだろう。
身長はぐんぐん伸びて体ばっかり大きくても、両腕で矢口さんをすっぽり包み込むことができても
その存在ごと、心ごとをあたしに預けてもらうにはまだ心許ない子供。
薄々気づき始めているその事実を手をこまねいて見ていることしかできない、そんな子供。

望めばなんだって手に入るし自分から手放さない限り失うものはないと信じていた。
相手の気持ちを勝手に想像して
都合のいいように解釈して
わかったような気になって
傲慢な、子供そのものだった。



「今日はどうしたの?ちょっと、なんか微妙に違ったね」

ベッドの中で薄っすら汗をかいた矢口さんはあたしの耳もとでそっと囁いた。
無造作にだらんと投げ出されたその小さな手を握る。
額に張りついた前髪をそっと梳いてそこに唇を落とした。

「矢口さんが可愛いから」
「オマエそればっかだな〜」

矢口さんは笑いながらあたしの額をペシっと叩く。
その手をまたしっかりと握って頭の下に腕を通す。
矢口さんはびっくりするほど軽いから、朝まで腕枕をしていたってあたしは辛くない。
ちっとも嫌じゃない。
朝、目覚めたときにあたしの腰にしがみつくようにして眠る矢口さんを見るのが
楽しみだから、ちっとも辛くなんてないんだ。

「不安なんですよ」
「不安?なにが?」

シーツの中にはまだ少し冷めやらぬ熱が充満していて熱さがこもる。
でも体を離したくはなくて、矢口さんが逃げないように
するっとこの腕の中から抜け出さないようにしっかりと抱きしめる。

「よっすぃーはなにが不安なの?」
「ん〜、それはわからないんですけど」

矢口さんの唇の動きが可愛くて(あたし本当にそればっかだな)キスをしようとしたら
突然矢口さんが視界から消えて真っ暗な世界が広がった。
目の前にかざされた小さな手が創りだす闇のせいでなにも見えない。
瞬きをしているのかすらもよくわからなかった。

「よっすぃーはさ、オイラのこと好き?」
「可愛い矢口さんが見えないよ〜」
「好き?」
「…好きです」

好きだなんてもう何度となく口にしてきた言葉なのになぜだかこのときは妙に気恥ずかしくて
顔が一瞬で熱くなるのを感じた。
なにも見えない状態で口にするべき言葉ではないのかもしれない。
ちゃんと相手の目を見て、表情の変化を目の当たりにしながら言いたい。

小さな、掠れるようなあたしの声に矢口さんはどう思ったのか。
ふいに唇を塞がれて聞きそびれた。
舌をからませ息もつかせぬ激しいキス。キス。キス。
このまま食べられてしまんじゃないかと思うほどの、それは刺激的で攻撃的なキス。
矢口さんと体を重ねるようになってそれなりの時間がたった今でも彼女からのこのキスは
いつだってあたしの頭の中を真っ白にして、なにかを考えることを許さない。
手足から力が抜けて、下半身がじんと痺れる。

「不安、消えた?」

つやつやした唇が離れてしまったことが不満で、答えずにあたしは矢口さんに覆いかぶさった。
もっと欲しい。
もっともっと。

いっそ自分の体で矢口さんを丸ごと包み込んで、閉じ込めて外の世界に決して出したくない。
二人きりの世界に誰も入らせないように、抜け出すことも許さず過ごしていたい。
そう思った。





「よしこ?」
「あぁ、ごっちんか」
「ごっちんかじゃないでしょ。どうした?」
「どうしたってなにが?」

撮影の合間の待ち時間。
あらゆる人がひっきりなしに出入りする騒々しい楽屋から少し離れた廊下の隅っこで
ひとりぼぅっとしていたあたしを見つけたごっちんが心配そうに顔を覗き込んだ。

「こんなとこで黄昏ちゃってさ」

膝を抱えて座り込んでいたあたしの隣に同じように腰を下ろすと
あたしが口を開くまでごっちんはそれ以上なにも言わなかった。
加入したばかりの5期メンバーがオドオドしながらあたりを窺い、
休んでいるつもりなのかカチコチに固まった体を持て余し気味に、背筋をぴんと伸ばしていた。
強張った表情をしているのが遠目にも見える。

あれじゃ逆に疲れちゃうだろうな。
今となっては遠い昔のような自分の姿と重ね合わせる。

「あたしにもあんなときがあったなぁ」
「ごっちんがぁ?!またまた〜。よく言うよ」

四人に目を向けたままあたしは久々に口を開いた。
するとすかさずごっちんが言い返してくる。

「見てきたように言うね〜。よしこは知らないじゃん」

体中の筋肉を緊張させている四人を見かねたのか、どこからか現われた梨華ちゃんが
オーバーアクションでなにかを話し出した。
リラックスさせてあげようという梨華ちゃんの気持ちはあたしたちには十分伝わるけど
ビビりまくってるあの四人にそれがわかるかな。
自分のときと照らし合わせて無理だろうなと少し思った。

「もしかしてやぐっつぁんに聞いた?」
「ううん。大体想像つくから」

四人の表情が徐々に柔らかいものに変化していく。
呆れている、とも言えなくもない顔だけど緊張をほぐすという意味では
梨華ちゃんの試みも成功と言える。
空まわったり寒かったりもするけどできたばかりの後輩を想う梨華ちゃんの気遣いが
少なからず四人に伝わったみたいだ。

やるなぁ梨華ちゃん。
あたしにはまだできそうもないや。

「おお!梨華ちゃんも先輩らしくなったねぇ」

あたしたちの視線に気づいたのか、こちらを向いた梨華ちゃんは
一瞬なにかを考える素振りをして再び四人に顔を向けて話し出した。
時折こちらを指差しながら楽しそうに。
四人は興味深そうに身を乗り出して、感心したように頷いたり笑ったりしている。

「あれきっとろくなこと言ってないよね」
「うん。よしこの失敗談でも暴露してんだよきっと」
「ごっちんのもでしょ。梨華ちゃん自身が一番ネタのホウコなのにね」
「ホウコってなに?」
「わかんない。この前矢口さんが言ってた」

すっかり後輩をリラックスさせることに成功した梨華ちゃんが得意満面の顔でこちらに近づいてきた。
「ざっとこんなもんよ」と言わんばかりに。

「よしこ」
「うん?」
「なんか悔しいからさ、梨華ちゃんの話もしてやろうよ」
「そだね」

立ち上がりかけたあたしの腕をごっちんが力強く引っ張りあげる。

「よしこ」
「うん?」
「なんかあったら言いなよ?」
「おう。さんきゅ」

スキップをしながら微笑を浮かべている梨華ちゃんに向かって二人でダッシュした。
驚いたように立ち止まりオロオロと困惑する梨華ちゃんの両側から腕を取る。
ごっちんとニヤりと顔を見合わせ、そのままの勢いで梨華ちゃんをズルズルと引きずった。

「ちょ、ちょっとぉ!」

一瞬きょとんとした梨華ちゃんはすぐにキンキン声をあげたけど無視無視。
後ろ向きのままあたしたちに引っ張られて、梨華ちゃんは見る見るうちに眉毛を八の字にした。
そんな顔も無視してあたしたちは問答無用に突き進む。

まるで金魚みたいにポカンと口を開けてこちらを見ている四人に梨華ちゃんの話を教えてあげよう。
梨華ちゃんだけじゃない、辻や加護やおそらく恐くて声をかけることもできないだろう先輩たちの話も。
そして矢口さんがどんなに素敵な先輩かも。

自然と自分がこの世界に入ったばかりの頃のことを思い出した。
矢口さんに強く憧れていたことを。
その感情がいつしか恋心に変わっていったことを。

初めて矢口さんとキスをしたとき、やっぱり矢口さんは背伸びをしていた。
あたしは憧れていた、ずっと恋心を抱いていた先輩とそんな状況になったことで
もういっぱいいっぱいだったから、背中に手をまわしたり腰を支えたりなんてことは
全く思いつかなくて、まぶたが変に痙攣しないようにと思いながらドキドキして唇を待った。

恋に不慣れなあたしを矢口さんはいつもさりげなくリードしてくれた。
「可愛い」と言う以外に気の利いた口説き文句を言えないあたしに
「可愛いのはよっすぃーだよ」なんてふいにセクシーな表情をして。
いつもあたしをいっそうドキドキさせた。

仕事でうまくいかないことや辛いことがあっても矢口さんがいつも一緒にいてくれたから
あたしはなんとかやってこられた。
矢口さんが背伸びをしてやさしいキスをしてくれるからあたしはいつでも笑っていられた。
矢口さんからはたくさんたくさん元気をもらった。



あたしは?
あたしは矢口さんになにを与えられた?





「5期もそんなとこに固まってないでこっち来いよ〜」
「じゃあお言葉に甘えて…」
「いや、よっすぃーには言ってないから」
「ヒ、ヒドイ!矢口さんのことをこんなに愛してる吉澤にむかっ…イダイイダイ」
「バカッ!な、なに言ってんだこんなとこで!」
「慌てる矢口さんも可愛いな〜」

いつもようにぴょんぴょん飛び跳ねてあたしの頭をぽかぽか叩く矢口さん。
ああ、幸せ。
この時間が一生続けばいい。
ずっとこうして矢口さんとフザケあって、キスしたりエッチしたりしていられたらどんなに幸せだろう。
なにも考えずにこうしていられたら…。





「よっすぃーの笑顔が好きだったよ」
「やめてください…」
「かっこよくて可愛いよっすぃーがずっと好きだよ」
「やめてください、矢口さん」

突然訪れた別れを、あたしはどこかで予感していた。
いつか矢口さんが「オイラの役目はもう終わったね」と言って
あたしの元から去っていってしまう気がして、あたしはずっと怯えていた。
そして怯えていることに気づかぬ振りをしてただただ「可愛い」と連呼することしかできなかった。
矢口さんからもらった何分の一も返せずに、あたしたちの関係は静かに終わりを告げた。

背伸びをしていたのは自分だった。

矢口さんのようになりたくて。
矢口さんに追いつきたくて。
矢口さんに愛されたくて。

頼りがいがあって明るく元気で、そこにいるだけで皆を安心させるような存在。
そんな人間にあたしはなりたかった。
矢口さんに憧れて、その気持ちが恋しいものになることに少し抵抗して、でも結局抗えなくて。

憧れていた矢口さんをこの手に抱いてあたしは勘違いをしていたのかもしれない。
世界が自分のものになったかのように余裕ぶっこいて矢口さんに追いついたのだと錯覚した。

キスしたってエッチしたって、あたしはただ必死で背伸びをしていただけなんだと気づかずに。
あなたが対等でいたいと思っていたこともわからずに。

いつかあたしが無理することなく背伸びをせずにあなたといることが自然に思えるようになったら、
そのときは…そのときはまたあたしと――――





「ぼやぼやすんなっサブ!」
「サブ呼ばわりはやめてくださいよー。リーダー」
「サブはサブだろっ。ほら、行くよ」

差し出される小さな手をしっかりとつかみ、勢いをつけてあたしは立ち上がった。
そして思いついてそのまま走り出した。
もつれそうな足を必死に回転させながらあなたはあたしの手を強く握り直した。

「うわー!やめろよっすぃー!!」

あなたの手をつかんだまま、あたしは駆ける。
あの頃の自分を置き去りにして。
背伸びをしていた幼い自分にサヨナラを言う。

「まだまだ行きますよー!矢口さーん」
「うわぁー」

そこらじゅうを走り回りテンションを上げていく。
アドレナリンってやつがふつふつと湧き出るのがわかる。
これはヤバイ。
これは気持ちいい。

スピードはぐんぐん増して通り過ぎる風が髪を揺らす。
あたしにつかまれたままの矢口さんは必死でついてくる。
「バカ」とか「やめろ」とか叫んではいたけれどあたしの腕を振り解こうとはしない。
欲目かもしれないけれどその様子はどこか楽しげで
いや楽しんでいるのは自分だけれど、今なら言える気がした。

ひとしきり走り終わってから二人でゼーゼーと息を切らし、肩を揺らす。

「ふはっ。ふははは。いきなりこんな走るなよ、よっすぃー」
「あははは。なんかこう、ムショーに走りたくなったんですよ」

笑いながらあたしはゆっくりとあなたを振り返った。
あなたが好きだと言ってくれた、あの笑顔で。

背伸びをするあなたを想像しながら、ゆっくりと言葉を告げた。










<了>


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