ジュリオとロミエット






白い浴槽の中にゆっくりと身を沈めた美貴はふうと息を吐いた。
膝を抱え、その上に顎を置き、やたらチカチカする壁のタイルを見つめた。
足を伸ばしかけて舌打ちをする。ホテルの浴槽は狭くて好きではなかった。

「学校がちがうふーたーりーはー」

そっと歌った声が思いのほか反響した。

「ロミオとジュリエットー」

歌いながら片手を湯の上に滑らせて意味なく音を立ててみる。
ちゃぽんちゃぽんとリズミカルな音とともに湯が跳ねる。
面白くなり両手に力を込めて下からすくい上げた。
一段と大きな音がして、美貴は笑った。
その動作をしばらく繰り返しているとふいに浴室のドアが開いた。

「なみだぁとまらないぃわー」
「なに遊んでんのさ」
「ふふ〜。見てこれ、楽しくない?」

浴室のドアから抜け出した湯気がひとみの足もとを通り抜けていく。
じゃぼじゃぼと湯の中で遊ぶ美貴を見て、ひとみは呆れたように腕を組んだ。

「風邪ひかないようにちゃんとあったまりなよ」
「よっちゃんも入ろうよ〜」
「あたしはさっき入ったの」
「いいじゃん、もう一回入ったって」
「メンドクサイもん」
「いいから〜」

ひとみは組んでいた腕をほどき頭の後ろにまわした。
少し迷う素振りをして、美貴の機嫌を損ねない言い訳を考える。

「よっちゃ〜ん」
「ん〜」

考えたが何も思いつかない。
疲れてるから、なんて言ったら殺されそうだ。
美貴を見ると両手を広げて早く来いと手招きしている。
ちらちらと見える胸がひとみの背中を押したものの、理性が踏み止まる。

「ゆっくりあったまらないと風邪ひくから、これでガマンして」

浴室の床に膝をつくと右手を伸ばし、美貴の頭を引き寄せた。
湿った唇に口づけると美貴の両手がひとみの髪に絡まる。
そのまましばらくお互いの舌を味わってから唇を離した。
美貴が名残惜しそうに舌を出していた。

「おしまい」
「あぁん。よっちゃん、もっと〜」
「だーめ」
「けち」
「けち?」
「はいはい。体洗うから出てって」
「拗ねちゃって。可愛い」
「美貴は可愛いよ。当たり前じゃん。よっちゃんってホントけち」
「けちけち言うなよ〜」
「もう知らない」

じゃぼん、と大きな音を立てて美貴は立ち上がった。
ひとみに背を向けてシャワーを手に取ると振り返り、軽く睨んだ。
湯が跳ね、ひとみの服を濡らす。

「美貴ちゃーん」

ひとみを無視して美貴はシャワーを浴びた。
長い髪がたちまちのうちに肌に張りつく。
ライトの光が美貴の艶かしい背中を照らし出す。
髪、背中、腰、そしてすっと伸びた長い足をシャワーの湯が伝う。
ひとみは少しだけ後悔しながら浴室を出た。

「ばか…」

美貴の声はシャワーの水流にかき消され、ひとみの耳には届かなかった。



濡れた髪をタオルで拭きながら浴室から出るとひとみの話し声が聞こえた。
備え付けのテーブルに片肘をつきながらノートパソコンの画面を覗き込んでいる。
片手に持った携帯をパタンと折り畳むと横に置き、振り返った。

「まいちんだった」
「まだ聞いてないんだけど」
「どうせ聞くでしょ?先まわりしてみた」

そう言いながらひとみは無邪気に笑った。
自分の行動を読まれてることに、美貴は嬉しいような悔しいような複雑な気持ちになる。

「なに話してたの?」

バスタオルを体に巻きつけたまま美貴は化粧水を手に取った。
鏡を見たが自分の顔よりもひとみに目を向けてしまう。
ひとみはパソコンを見ながら美貴の問いに答える。

「ディナーショーのことでいろいろ。あと練習のこととか」
「こっち見ろ。ばか」

化粧水を持ったまま美貴は小さく毒づいた。

「ん?なんか言った?」
「なんでもない」

相変わらずパソコンを凝視してるひとみを美貴は鏡越しに見つめる。
ふぅと息を吐くと同時にひとみから視線を逸らし、自分を見つめた。
鏡の中の自分としばし見つめ合い、腰に手をあてる。
なんとなく腹が立ち、上から下までじっくりと眺めてから強めに睨んでみた。

「ぶははっ」

美貴が振り向くとひとみがこちらを見ながら笑っていた。

「なん、なんで自分に、ケンカ売ってんの…わははっ。美貴、こえー」
「うっさいなぁ。笑わないでよ」
「だって、美貴。腰に手あてて、超睨んでるし、うはっ何やってんのさ」
「あー、もう!」

美貴は笑い続けるひとみの背中を軽く蹴った。
それでも涙を流しながら、美貴を指差して笑うひとみ。
あまりにも笑われて美貴は少し恥ずかしくなった。
赤い顔を見られないようにひとみの背中にのしかかる。

「そんな笑うことないじゃーん」
「いやぁ、ツボにきたわ。うんうん、美貴ちゃんやっぱ最高」
「なんだそれ」
「マジで最高」

いまだ揺れる背中の上で美貴も笑った。
ひとみの髪に顔を埋めてぐりぐりと鼻をこする。

「うあっ、美貴くすぐったいって」
「うりゃうりゃ〜」
「ばっ、やめ、ちょっと待っ」
「よっちゃんのにほひ〜」
「うはははっ、くすぐって〜」

ひとみが普段よりも高い声を出して身をよじったが美貴はやめない。
ベッドでのときのようなその声をもっと聴きたくて、ひとみの肌に唇をおしつけた。
邪魔なシャツをめくりあげてブラの紐に沿って唇を這わす。

「あ!美貴だめ!!キスマーク絶対やめろよ!!」
「なんで?」

美貴の唇はすでにひとみの肩甲骨あたりを捕らえていた。
軽く吸ったり、歯を立てたりして濡らしていく。

「ここなら大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないって。ディナーショーの衣装で丸見え。背中ばっくりなんだから」
「むぅ〜」

美貴はしぶしぶ唇を離すとシャツを元に戻した。
ひとみの表情は見えなかったが明らかにホッとしているのがわかる。

「衣装って赤だっけ?」
「そ。まいちんは白」
「背中ばっくり?」
「けっこうね」
「鎖骨も?」
「そりゃあね」
「むかつく」
「は?!…ってイッテェェエ」

美貴がひとみの肩にがぶりと噛みついた。
唾液がシャツを濡らす。

「美貴!!」

ひとみは素早く振り返ると美貴の腰を両手で抱え、持ち上げた。
肩から引き離された美貴の唇から糸状の唾液が伸びて消える。
美貴は正面から向かい合うような形でひとみの腿に座った。
バスタオルが落ちかけ、谷間が覗く。

「噛むなよ〜」
「だって、むかついたんだもん」
「何に?ていうかけっこう前から機嫌悪かったよね、最近」
「そんなこと…」
「あるでしょ」
「気づいてたんだ」
「なんとなくだけどね。なんで?あたしなんかした?」
「したっていうかしないっていうか…」
「はあ?」

ちらちらと視界に入る谷間を気にしつつ、ひとみは肩を撫でた。
ずり落ちてきたバスタオルを心持ち少し上げてから美貴は答えた。

「よっちゃんが背中ばっくりドレスとかさー、なんで着るかな」
「なんでって衣装じゃん」
「美貴がしたいときにキスできないなんてありえない。キスマークつけたいのに」
「あのね〜」
「それに相手まいちゃんだし。なんで美貴じゃないわけ?ありえない」
「美貴ちゃ〜ん」
「むかつく」

ひとみの両手が美貴の背中を撫でる。
困ったような表情で、でも嬉しさを堪えきれないそんな顔に美貴はまた腹を立てる。

「なんで笑ってるわけ?人が真剣に話してるときに」
「えぇー?笑ってないよぉ」
「口もと、めっちゃ笑ってるんですけど」
「いやいや、だってねぇ。美貴ちゃんがめっちゃ可愛いんだもん」

再び「むかつく」と呟いて美貴は唇を尖らした。
そこにそっとキスを落とすひとみ。
口づけて、そしてまた笑った。

「あと他にもあるんだけど」
「まだあるのか〜なになに?」

言いながらひとみは美貴の顔を興味津々に覗きこんだ。
美貴の唇が動き、ひとみの唇に重なる。
両手をひとみの首にまわして引き寄せると音を立ててキスをした。

「キス、さけるんだもん」
「へ?あたし?」

コクリと頷く美貴。
ひとみが不思議そうに首を捻った。

「いつ〜?」
「ライブんとき」
「ライブ?」
「ピース」

数秒、考えてからひとみは納得したように「あぁ」と声を出した。
美貴はそんなひとみを上目遣いで見つめ、無意識にキスをねだっている。

「そんな顔されたら堪らないね」
「じゃあしてよ」
「もちろん」

二人の手がお互いを引き寄せ、そして顔を近づける。
首を傾げ、舌を覗かせ、たどり着いた先で渇きを潤すようにお互いを貪った。
美貴の手がだいぶ伸びてきたひとみの髪を掴み、
ひとみの指が美貴の首もとを這い鎖骨を撫でる。
存分に舌を絡ませ、唾液を飲み込むと美貴は満足そうに目を開けた。

「こういうのしろとは言わないけどさ、ちゅってしたってよくない?」
「………」
「よっちゃん直前でさけるんだもん。けち」
「…ふぇ?なんだっけ」
「だからピースのとき!」
「あぁ、忘れてた。美貴ちゃんのキスすっげーんだもん」
「もう…」

そう言われては悪い気のしない美貴。
目をきらきらさせながら唇を近づけてくるひとみに軽いキスをして話を戻す。

「だからね、美貴は…えっと、なんだっけ?」
「ピースじゃなかった?」
「そそ。ピースだった。もうっ、よっちゃんのせいで話が進まないじゃん」
「うぇー、あたしのせい?」
「美貴のせいじゃないでしょ」
「そうかぁ?そうかなぁ?うーん」
「そういうことにしておこうよ」
「うーん、わかった」
「よっちゃんって本当にバカ…」
「バカって言う人がバカなんでっす」

にやにやと笑うひとみ。
バカだと思いつつもこんなバカが好きな自分も相当なバカだ、と美貴は思う。

「二人ともバカだね」
「おそろいだね」
「ハタチこえたうちらがたぶん一番バカだよね、メンバーの中で」
「美貴ちゃんと一緒ならそれもまたヨシ」

ひとみは嬉しそうに美貴の剥き出しの肩に口づけた。

「ピースのときにさぁ」
「あ、戻るんだ」
「戻るよ。もちろん」

当たり前のように話しを戻す美貴に、ひとみは苦笑する。
せっかく甘いムードなのにと、目の前の長い髪を弄びながら思った。

「よっちゃんなんでさけるわけ?美貴のキス」
「あんね〜美貴ちゃん。うちら一応ハタチこえてるんだよ?バカだけど」
「いいじゃんバカならしたって」

顎に手をあててひとみは考え込む。
大体にしてライブ中にキスをするという発想自体がおかしい。
だがそれを否定したり常識的に考えろと言ってもおそらく美貴には通じないだろう。
このモーニング娘。という特殊な間柄ではライブ中に
キスという行為もありえないことではないから。
仕方なく、ひとみは本音を吐くことにした。

「あのね、美貴ちゃん」
「なーに?よっちゃん」

わざと小首を傾げて可愛い素振りをする美貴。
わかってやってるからタチが悪いとひとみはいつも思う。

「美貴ちゃんにちゅってされたらあたしの理性ね、飛んじゃうの」
「うんうん、それで?」
「まずいでしょ。仮にもリーダーが。いやリーダーじゃなくてもまずいけど」
「飛ぶとどうなるの?」
「それは…美貴ちゃんが一番よく知ってるでしょー」
「うん、知ってる」
「だからね、ちゅってできないの。したいけどね、必死にガマンしてるの」
「ガマンしてるんだ」
「そ、ガマンガマン。美貴ちゃんあんまあたしを誘惑しないでよ。ライブのとき以外はいいけど」

ひとみの切実な声に美貴は思わず噴き出した。
目に涙を浮べ、ひとみの肩をばしばしと叩きながら爆笑する。

「んな笑うなよぉ」
「よ、よっちゃんが面白くて、可愛いんだもん…あぁ、苦しい。おなかイタイ」
「ちぇっ」

ひとしきり笑ったあと美貴は指で涙を拭った。

「もうねー、よっちゃんが可愛すぎて持って帰りたいよ。連れ去りたい」
「持って帰りたいって…一緒にいるじゃん」
「ううん。今だけじゃなくていつも家にいてほしい。一家に一台ヨシザワヒトミ」
「台かよっ」
「あははは」

また笑い出した美貴に呆れつつもそれも悪くないなとひとみは思っていた。
一家に一台。藤本家にヨシザワヒトミ。うん、悪くない。

「そういやこないだ言ってたね『連れ去りたい』って」
「ああ、大阪だっけ?MCのときだったかな」
「ロミオとジュリエットみたいだって思わず言っちゃったけどあれよく考えたら…」
「二人って死んじゃうんだよね。よっちゃん縁起わるいよー」
「やっぱり?」
「相変わらずロマンチックだけどね」
「えへへへ」
「でも美貴がロミオってちょっと納得いかないんですけどー。ちゃっかりジュリエットとっちゃって」
「だって美貴が『連れ去りたい』なんて言うから。それにあたしのが女の子っぽいじゃん」
「あーたしかに。よっちゃん女の子女の子してるときあるもんね」
「ま、美貴ちゃんも女の子だけどね。女の子っつかセクシーな女性だけど」
「背中ばっくりドレス着てる人に言われたくなーい」
「それまだ言うか。けっこしつこいね美貴ちゃん」
「とーぜん!」

向き合いながら二人は同時に噴きだした。
時計の針はとっくに深夜を指している。
ホテルの部屋でぴったりとくっつきながら大笑いをするハタチを過ぎた二人。
他のメンバーはすっかり寝静まっているだろう時間帯にくだらないことを話しながら笑い続ける。

「あたしたちバカだなー。こんな時間に大爆笑しちゃってるよ」
「バカだねー。ありえないよこんなバカ」
「ジュリエットっつーかジュリオだよ」
「ぶっ!ぶあっははっはは!!ジュリオ!!いい!それいい!」
「美貴ちゃんはロミエットね」
「ロミエット〜!!美貴ロミエットなんだ?!なんだそれー。バカ丸出し!あははは」
「おぉ〜ロミエット!」
「ジュリオ〜愛してる〜」

真夜中にこだまする笑い声。
美貴の心にあった少しの寂しさや少しの不満、少しの嫉妬はもう消えていた。
ひとみが笑い、美貴が笑う。
そうしてヘタクソな、コントのような芝居を夜が更けるまで続けていた。

「伸びた髪がセクシーだよ、ジュリオ〜」
「キスが上手いのね、ロミエット〜」
「ジュリオのほくろを数えるよ〜」
「ロミエットのパットの数よりは少ないわよ〜」
「………」
「あ、いや冗談です。じょうだ…ぐあっ」
「ジュリオどうしたの〜」
「な、なんでもないわロミエット…あなたが恋しくて頬が、じゃなかった胸が痛いの〜」





翌日。

案の定、集合時間にそろって遅刻したハタチを過ぎた二人を
メンバーたちが呆れたように迎えていた。










<了>


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