酔いどれInitiation






「どうしたものかね」
「どうもこうもないでしょ」

よっちゃんに答えるフリをして、実は自分に言い聞かせていた。
コイツが3秒で落ちるような恋を何度も繰り返すたびに、そして破れるたびに。


美貴とよっちゃんは友達。もっと言うなら親友。
落ち込んだ顔をいつもの明るいものにするために励まし、ときに叱って、さりげなく慰める。
もしかしたら、なんていう期待を胸の奥深くもう手が届かない場所に押し込めて。
何度も言いかけた言葉を飲み込んで、美貴は言う。

「好きな人が幸せならそれでいいじゃん」

そう、よっちゃんが幸せならそれで。
たとえ美貴と恋に落ちなくても二人はこれからも友達だし親友。
ダメになってしまうかもしれない恋人よりもずっと、一緒にいられる保証がある。
だから美貴は、よっちゃんがいつまでも頼ってきてくれる親友でいると決めた。

ただの言い訳じゃん…ダサ。

自分に言い聞かせるための臆病な論理にもすっかり慣れてしまっていた。
告白して今の関係が崩れることを恐れている自分の、情けない論理。

この店に来るまでのよっちゃんはひどい顔をしていた。
待ち合わせの改札でぽつんと、地図かなんかをぼんやり眺めている姿は痛ましかった。
心ここにあらずで美貴が呼びかけても頭を殴るまでピクリとも反応しなかった。




◇◇◇




「よっちゃん」
「………」
「よーっちゃん!」
「………」

いくら混雑している駅の改札口とはいえこんな至近距離から声が届かないはずがない。
軽くため息をついて、えいとチョップをかました。

「あ、美貴おはよ」
「おはよじゃないよ。夕方だよ?もう」
「じゃあこんばんは」
「時間けっこうあるね。どっかでお茶してく?」
「ん〜…」
「なに?嫌なの?」
「嫌じゃないんだけど…」
「じゃあなんなのよ」
「どっか寄ったら、あたしそのままそこにいたくなるかもしんない。動けなくなるかも」
「はぁ…?」
「早く行かないと…あ、店にね。インドネシアの。あたしくじけそうっていうか逃げちゃうかも」
「………」
「行っても時間だいぶ余るけど、それでもいい?」
「え〜ヤダよ」
「頼むよ〜美貴ちゃ〜ん」
「だったら待ち合わせ時間もっと遅くすればよかったのに」
「だって家で一人でいても…なんか手持ち無沙汰で。誰かといたかったんだもん」

誰か、か…。
じゃあ誰でもよかったの?美貴じゃなくても。

一人になりたくないって気持ちはよくわかる。
友達なんかに恋しちゃってる美貴だからそういうことはよくあるもん。
美貴の場合、寂しさの原因は大抵というかほとんどよっちゃん、アンタだよ。
そういうとき一緒にいてほしい相手もよっちゃん。
誰か、ではなく。よっちゃんに傍にいてほしい。
でも寂しくもなるから、いないでほしかったりも実はする。
そんな矛盾に腕組みして考え込んでるとよっちゃんにはいつも怖いよって言われる。

『人の気も知らないで』
『はぁ〜?』

のんきな顔して美貴を見ないで。心配なんてしないで。
よっちゃんに見つめられると泣きたくなるほど切なくなるんだから。
気づかれないようぐっと歯をくいしばって涙を堪えるから余計に怖い顔になるんだろうな。

「美貴?」
「あ、ごめん。ちょっと違うこと考えてた」
「ひどっ」
「はいはい。誰かといたかったのね」
「うん」
「それで、とにかく店に直行したいと」
「うん」
「逃げ出しちゃう前に早く着きたいと」
「そのとおり!」
「じゃ、お茶してこうか」
「おい!人の話聞いてたのかよ」
「聞いてたよ。うっさいなぁ。いいから行くよ」
「え、ちょっ、あたしダメだってば」
「大丈夫大丈夫。よっちゃんが逃げ出しそうになったら美貴が捕まえるから」
「え゛マジ?」
「首に縄つけてでも引っ張ってくよ。鎖とか」
「…うわぁ、美貴それ似合いすぎて怖いよ。てかエロいよ」
「バカなこと言ってないでさっさと歩け!」
「あんだよぅ、美貴ちゃん優しくしてくれよぅ」
「付き合ってあげるんだから優しいでしょ、美貴」
「うん…優しいね。ねぇ、インドネシア料理って美味しいのかなぁ」

よっちゃんはバカだ。
このまま店に行ったってまだ早い時間なんだから他の客なんて来てるはずがない。
それどころかパーティーを仕切っている先輩たちに早すぎると怒られるかもしれない。

もっと肝心なのはかなりの高確率で亜弥ちゃんと亜弥ちゃんの旦那になる人がいるということだ。
あの完璧主義の亜弥ちゃんのことだ。
絶対に先に来て打ち合わせかなんかをしてるだろう。
先輩たちとともに入念にチェックしてる姿が目に浮かぶ。

「ほら、コーヒー飲むよ」
「べつに喉なんて渇いてねぇよ〜」
「ホットココアとバナナジュースください」
「コーヒーじゃないのかよ!!」

そんなところに行ってよっちゃんは何をする気?どんな顔をするの?
取り繕った笑顔でおめでとうを言って、新婚旅行どこに行くのとか聞くの?
わざわざ自分を苦しめるような気まずい時間を過ごすために早く行くことなんてない。
パーティーが始まってしまえば他の客に紛れて喧騒の中でじっと過ごしていればいいんだから。
自ら傷口を広げることなんてないんだから。
よっちゃんがそんな想いをする必要なんて絶対にないんだから。

「でもあれだよね、亜弥さ、あたしのことちょっとは好きだったよね」
「知らないよ、んなこと」
「なんか聞いてない?亜弥から」
「だから知らないって。よっちゃんはどう思うのよ」
「さあ。よくわかんない。聞く勇気もなかったし」
「…バナナ、一口ちょうだい」
「ん?あぁ…全部飲んでいいよ」

実のところ亜弥ちゃんがどう思っていたのか、美貴は知っている。
よっちゃんの気持ちに気づいてはいたけど気づかない振りをしていたらしい。
それには女同士だからとか好きな人がいたからとかいくつかの理由があったようだ。
亜弥ちゃんの口から聞いたとはいえ、真偽のほどはよくわからない。
あの子は人の気持ちを察するのが異様に上手くて、かつ最適な振舞い方を知っているから。

「晴れてるね」
「週間予報では雨のはずだったんだよ」
「そうなの?」
「でもおもっきり外してやんのな、気象庁」
「最近よく外れるね」
「ね」
「なんでだろ」
「なんでかね」

何をするでもなくココアとバナナジュースを飲み続けた。
いつもよりお洒落をして、髪だって気合を入れて巻いたのにココアとバナナジュース。
失恋したばかりの想い人はいかにもそれらしい顔で窓の外を見て哀愁を漂わせている。

「亜弥を攫ってもついてきてはくれないだろうなぁ…」
「ぶはっ…ごほっ…な…さ、攫う?!」
「きったねーな。バナナジュース鼻から出すなよ」
「うっさい!よっちゃんがびっくりさせるからじゃん!」

慌ててバッグからティッシュを取り出して鼻をかんだ。
攫うとか、なんてこと言ってんのコイツ。あー、鼻イタ。

「パーティーでさ、亜弥の手を取って逃げ出すの。かっこよくない?」
「手に手を取り合ってならかっこいいかもね。映画みたいで」
「だよね!問題はそこなんだよなぁ…あたし絶対振りほどかれる自信あるよ」
「そんなに好きなの?亜弥ちゃんのこと。攫いたいほど」

あ、バカ。なんてこと口にしてんの自分。
聞かなきゃよかった。ヤバイヤバイ。ヤバイって。
頭の中で警報が鳴る。耳を塞げ。もしくはコイツの口を。

言ってから後悔しても、もう遅い。

「…好きだよ。うん、やっぱ好き」

深く息を吸って、そして吐いた。
なるべく自然に、2回繰り返した。
歪んだ顔を見られないよう俯いて、決して悟られないように喉を動かす。

「そっか」

普段の何倍ものエネルギーを消費してようやく絞り出した言葉がこれ。
たった一言、しかも言っても言わなくてもどうでもいいような相槌。
これだけのせいで美貴の心臓は壊れてしまいそうなほど軋み、悲鳴をあげている。

美貴だったらついていくよ。
いつでも攫っていいよ。
差し出された手を振りほどくなんてこと、絶対にしない。
むしろこっちから捕まえて絶対に解けない鎖でがんじがらめにしたい。

自分からは動かないくせにこんなことばかり思う。
勝手に傷ついて、勝手に立ち直って、勝手にまた想い続ける。
どこまでもひそかに。
うんざりする。前にも後ろにも進めない自分の臆病さと曖昧さに。

心底、うんざりしていた。




◇◇◇




「美貴は?またビールでいいの?」
「うーん…どうしよっかなぁ。よっちゃんは?」
「あたし?なんか強いやつにしようかと」
「やっぱりビールでいいや」

よっちゃんは飲む気マンマンなんだね。
ヤケ酒なんて意味ないよ。
心と一緒に体までボロボロにしたってなんの意味もない。
経験者が言うんだから、間違いない。

テーブルの上に残ったインドネシア料理を片付けられるのは自分だけなんだろうな。
よっちゃんのあの様子ではもう食べる気はないのだろう。
野菜ばっかり食べて他のものが全然減っていない。
残してもいいけどそれはなんだか亜弥ちゃんの旦那さんに悪い気がした。
自分の国の料理が残っているのを見たらやっぱりちょっと寂しいよね。

「仕方ない、食べるか」

何を使っているのか、材料が見当もつかない料理を次々にたいらげた。
ちょっとお腹が苦しかったけどビールで流し込んだ。
よっちゃんの分まで、いや、よっちゃんに代わってインドネシアを"食って"やろうと思った。

亜弥ちゃんと亜弥ちゃんの旦那さんはこれでもかというくらい幸せそうだった。
笑顔じゃないときがないんじゃないかというほど笑っていた。
楽しそうに声をあげたり穏やかに微笑みあったりして誰も入り込む余地なんてない。

でも、と思う。もしかしたら、と考えてみる。
もしよっちゃんが自分の気持ちを正面からぶつけていたら?
亜弥ちゃんが絶対についていかないなんて言えないかもしれない。
人の気持ちなんてわからない。万に一つでもその可能性があったかもしれない。

よっちゃんが持っていたほんのわずかな可能性。
誰よりも早くここに来ていたら亜弥ちゃんを攫えたかもしれない。
攫うとかそんなことをしなくても告白をしていたら或いは何かが…。

美貴は卑怯だ。
本当はよっちゃんのためなんかじゃない。自分のため。
よっちゃんにこれ以上亜弥ちゃんを近づけないようにするために無理やりお茶に行った。

友達だから、親友だからなんていい顔をしながら結局考えているのは自分のことだけ。
身勝手な理屈と臆病な論理でよっちゃんの恋の邪魔をした。
最後の最後まで彼女の恋を見守るのが怖くて目をそらした。

ちゃんと最後まで見届けるべきなのに。
がんばれと背中を押してあげればよかった。

そんなことできる勇気なんて、どこにもないけど。



量を飲んだわけではないのにけっこう酔いがまわってきた気がする。おかしい。
外国のビールだからってビールはビールだ。そんな強いもんじゃないのに。
飲んだというより食べたほうが多いのに美貴の頭がグルグルするのはどうしてだろう。

バーテンの女の人となんだかやけに楽しそうに話してるよっちゃんを見たせいか。

「なにあれ。早くビール持ってこいっつの」

空になったビール瓶を傾けてグラスを覗いても何もない。
まだまだ飲み足りない。国産とは違う変わった味だけど、とにかく飲みたかった。

「にやにやにやにやすんな!ばっかじゃねーの」


美貴に笑いかけるのと同じ顔で他の人なんて見ないで。

そう言えたらどんなにいいだろう。
この独占欲はどこから沸いてくる?
よっちゃんの背中を見つめ、その源流を辿る。
息苦しさとどうしようもないやるせなさから逃れるように目をそらした。

そらした先に、亜弥ちゃんがいた。
笑顔の渦の中でひとり、真剣な顔で美貴を見ていた。
亜弥ちゃんのその表情には見覚えがあった。


『ねぇ、亜弥ちゃん。結婚することよっちゃんにはもう言ったの?』
『ん…まだだよ。みきたんから言ってもらえる?』
『なんで美貴が』
『みきたんの口から聞いたほうがいいんじゃないかなって』
『よっちゃんの気持ち知ってるうえでそういうこと言ってんだよね?ちょっとひどくない?』
『そーお?ひどい?』
『ひどいよ、よっちゃんが可哀相』
『本当にそう思ってる?』
『たぶん、よっちゃんは美貴よりも亜弥ちゃんの口から聞きたいんじゃないかな…』
『わかった。でも私、みきたんの望むような伝え方はしないよ。できるけどしたくない』
『どういう意味?』
『はっきり言うってこと。ダメなんだってこと、伝える』
『そんな…やめてよ』
『どうする?』
『美貴が伝える。よっちゃんに、亜弥ちゃんが結婚するって言うよ』
『優しいけど損な性格だね』
『誰が?』
『みきたん』


何かを訴えかけるようなその顔つきは、でも一瞬のこと。

挑発するような口調とは裏腹に寂しげな表情だった。
そっと息を吐いた亜弥ちゃんはもう美貴のほうを見ていなかった。


亜弥ちゃんは何もかもをわかっていた。
よっちゃんの気持ちだけじゃなく美貴の気持ちも知っていた。
だから美貴を挑発するようなことを言ったのかもしれない。

美貴にもう少し勇気があれば。
亜弥ちゃんが作ろうとしてくれたつけ入る隙を臆面もなく受け入れられれば。
よっちゃんと美貴の関係は友達以外の何かに変化していたかもしれない。
恋人という甘い響きが、はたまたその逆かはわからないけど。

敵わないな。ムカツクほど敵わない。
よっちゃんが好きになるのも、諦めきれずにいるのもしゃくだけど納得できる。
亜弥ちゃんごめんね。
友達の結婚を心から祝福できない二人でホントごめん。


ビールを飲もうとして空だったことに気づく。
顔を上げてよっちゃんを見た。よっちゃんの背中を。
自然と唇が動いた。



   よっちゃんが好き。



声には出さず、そっと。
背中に向けて。
視界の隅では亜弥ちゃんがまた美貴を見ていた。
振り返り、伝える。



   美貴はよっちゃんが好き。



何かがはっきりと変わった気がした。
自分の中の何かがふっきれたような。
軽く頷いた亜弥ちゃんの手もとが少し動いた。
そちらに目をやりつつ、頭の中で響く自分の声に集中した。



   よっちゃんが好き。



亜弥ちゃんは誰にもわからないよう小さく手を振ってくれていた。




◇◇◇




「ここ出るくらいまでは頑張りなよ。それが済んだら本当に終わるから」
「……うん」

よっちゃんは亜弥ちゃんと見る限り普通に喋っていた。
精一杯の強がりを強がりとも見せず、でも淡々と発する声はどこか上ずっていた。
間近で見るよっちゃんのそんな頑張りを見届けるのが美貴の使命のような気がした。
そうでしょ?亜弥ちゃん。

「ここでいいから」
「外まで送るよ」
「いいよ。おまえ主役なんだからここにいろって」
「でも…」
「ホントにここで」
「そーお?」
「じゃ…」
「じゃあね〜。よっすぃありがとう〜。みきたんにも、起きたら言っといて〜」

美貴がとっくに起きていることに気づきつつ、亜弥ちゃんはそう言った。
苦笑をこらえきれずそっと薄目を開けた。
おそらくよっちゃんが好きだったろう笑顔を浮かべて亜弥ちゃんは立っていた。
「がんばって」と言われた気がしたけれどきっと都合のいい空耳だろう。

美貴の体を支えるよっちゃんの足取りはしっかりしていた。
腰にまわされた腕は力強かった。

「がんばって…」

亜弥ちゃんの、そして美貴の想いだった。



店を出てすぐよっちゃんの涙腺は決壊した。
わんわんと子供のように泣いていた。
美貴の髪をくしゃくしゃにかきまわしては顔をこすりつけてきた。
大きな体を小さくして、意外と華奢な肩を震わせてずっと泣いていた。

よっちゃんの涙を受け止めながら美貴も泣いた。
好きな人が泣いているという事実に自然と涙した。
ぎゅっときつくきつく抱きしめて、心の中で呟いた。



  よっちゃん好きだよ



およそ2時間後、この想いを口にした美貴は臆病な気持ちにサヨナラした。
長年付き合ってきたこの感情に未練など全くなく、清々しい気分だった。
髪から漂ってくるインドネシアの残骸が少し鼻についたけれど、でも気持ちよかった。

風のないとても穏やかな夜。
ほどよくまわったアルコール。
よっちゃんのあたたかい背中に身を預けながら、美貴はいつのまにか眠りに落ちた。

亜弥ちゃんの幸せを心から願いつつ。
今日のこの良き日を決して忘れないと思った。










<了>


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