とける香港






美貴は今、なぜか香港にいる。

「なんで」
「イェイ!香港に無事じょーりく」
「なんで」
「あー、腹へった。さっさとなんか食べにいこーぜ」

まだよく事態を飲み込めずぽかんとしていたらよっちゃんが覗き込んできた。
吸い込まれそうなほどの大きな瞳に映る自分。藤本美貴。
寝癖でもついてるのか、美貴の髪をしきりに撫でているよっちゃんがまた口を開いた。

「よく寝てたねぇ。昨日遅かったのに強行スケジュールでごめんね」
「えっと…う、ううん。全然そんなのはいいんだけど…」
「とりあえずあんま時間もないことだしどっか行こう」
「時間ないの?」
「うん、実は」

鼻の頭をぽりぽりと掻きながらよっちゃんは言いにくそうに答えた。

「ここまで連れてきてあれなんだけど明日の朝一番の便で帰るから」
「アサイチ?!」
「うん。まあちょっと遠くまでメシ食いにきたんだって思えばいーじゃん」
「ちょっとって…」
「んでついでにお泊りしちゃったと思えばいつもと一緒だべ?だべだべ?」
「んー…まあねぇ。滞在時間どれくらいになるんだろ…」

そういえば今何時?香港は何時なのさ。
よっちゃんの手首をむんずと掴んで時計を見たけどこれはきっと日本時間だよね。
手首を掴まれたよっちゃんはとくに意味のないような顔でニカっと笑っていた。
たぶんきっとこの人に時差とか時間とか聞いても無駄だろうな。

陽が少し傾きかけているから午後っぽいのはわかる。
日本を発ったのは…何時だったか。よく覚えてない。
睡眠不足のせいか機内ではグッスリ寝ちゃったし、そういえばもともと時間なんて気にしてなかった。
前日までの仕事でかなり疲れていたせいもあってとにかく眠かったから。
でもよっちゃんの話をろくに聞かなかったとはいえ、まさか香港に連れてこられるとは。

眠りに落ちる寸前に見た景色は太陽の光とか雲とか青い空とか、とにかく眩しいものだった。
あたたかい手が美貴の手を包み込んで、小指を撫でる感触がしていた。
その体温に安心して美貴は眠りに落ちた。

それから数時間後。
海とかビルとか滑走路とか、そんなどこにでもあるような風景を見てもここがどこなのかは分からなかった。
目をこすりこすりしながら隣りに座っている彼女を見上げると、にっこり笑ってこう言った。

「久々にニラ饅頭食いたいね」
「は?」

目が覚めたときもよっちゃんは美貴の手を握っていた。
いわゆる恋人繋ぎってやつで、親指をゆるく撫でられて妙にくすぐったかった。

ニラ饅頭、親指、よっちゃんの笑顔。
寝ぼけた頭に浮かぶ脈絡のない連想ワードのような単語。
なにがなんだかよく分からなかったけど、寝覚めは悪くなかったと思う。



*****



「あ、ここみんなでゴハン食べたところじゃん」
「懐かしいっしょ」
「1年半くらい前だっけ?」
「あのときはマコトもこんこんもいたんだよなぁ」
「懐かしいね」

店内は薄っすらと記憶にあるあの頃のままだった。
内装とか調度品とかこまかいところはあまり覚えてないけれど雰囲気的にはたぶん変わりない。
店員さんの後をついて歩くよっちゃんの背中を見つつ、まわりをきょろきょろと見渡してみた。
前回ロケで来たときはたしか特別室みたいな広い部屋で撮影をして、その流れのままみんなでワイワイとゴハンを食べたんだっけ。
あの部屋に続く通路はどこだったろう。大きな壷が置いてあって、段差があった気がする。
マコトが段差につまずいて前を歩いてた愛ちゃんの服を引っ張ったら、愛ちゃんが隣りのガキさんを引っ張って、ガキさんが「おわっしゃぁーー」とかわけわからない奇声をあげてこんこんが笑っていた。みんなももちろん笑っていた。
そんなくだらないひとコマをやたらと鮮明に覚えていることがなんだか嬉しかった。

「亀ちゃんと重さんが壷に手つっこんでキャーキャー言ってたよな」
「そういえばそんなこともあったね。壷割るんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
「あはは。あたしも」
「マコトがコケそうになったの覚えてる?」
「ガキさんがなんか変な叫び声あげたやつ?」
「そうそう。こんこん笑いすぎて呼吸困難になってた」
「ぶはっ。あれ面白かったなぁ。それにしてもマコトはいろんなところでコケてた気がするよ」
「たしかに」

よっちゃんの背中が揺れて染めたばかりの髪も揺れていた。その後姿が1年半前のあのときと重なる。
あの、香港の路地裏を2人で走った夏の日。
とにかく蒸し暑くて、肌が焼けつくような強烈な陽射しは眩しすぎて、一瞬よっちゃんの姿を見えなくさせた。
美貴は走るよっちゃんをひたすら追いかけた。
走っている間、まわりの景色は止まって見えた。
まるで美貴たち以外の時間が止まっていたかのような錯覚。
よっちゃんの流れる髪や風になびくシャツを見つめながらそんなことを思ったのを覚えている。

美貴から離れて小さくなっていく背中は、ほっといたらそのままどこかに消えてしまいそうで少しだけ怖かった。
汗ばむ体を鬱陶しく思いながらも止まらなかった。止まれなかった。
よっちゃんに追いつきたくて、1人になるのが嫌で、美貴は走った。よっちゃんを追いかけた。
やがて追いついたときよっちゃんは両手を広げて美貴を迎えてくれた。

「ミキティ?おーい」
「あ、なに?」
「大丈夫?なんかボーっとしてたけど。やっぱ疲れてる?」
「ううん、なんでもない。ちょっと思い出してたの」

気づけば美貴たちは個室に2人きりで、よっちゃんが心配そうに美貴の顔の前で手を振っていた。

「思い出してた?なにを?」
「香港のこと。いろいろ」

美貴の言葉によっちゃんは納得したように頷いた。

「あのときは暑かったね」
「よっちゃんがめちゃくちゃ走ってたの思い出したよ」
「ミキティだってめちゃくちゃ走って汗ダラダラ垂らしてたじゃん」
「それはよっちゃんが逃げるから〜」
「あたしは逃げたわけじゃないよ」
「じゃあなんでいきなり走りだしたのよ」
「えーと、あたしがランナーだから?それよか腹減った。食うべ」

よっちゃんは曖昧に笑いながらそう言うと店員さんを呼んで、思いっきり日本語であれこれと注文していた。
店員さんはもちろん香港語?広東語?よくわからないけど日本語ではない言語で、でもなぜか2人の会話は傍目には噛みあっているように見えた。
なんとなくお茶を濁された感じがして、ランナーの向こうにありそうな答えを追求したかったけど美貴のお腹がそれを阻んだ。

「今すんごい音したね。怪獣の唸り声みたいな」
「うるさいうるさい」
「ミキティそんなに腹ぺこりんこだったのかよ〜」
「もぅー!うるさい!!だって機内食食べ損ねたんだもん。てかぺこりんことか言ったよね、今。ぺこりんこて」
「あたしだって機内食食べてないよ〜。だからぺこりんこ」
「なんで。よっちゃんも寝てたの?」
「ミキティの可愛い寝顔を見てたら胸がいっぱいでお腹空かなかった」
「真顔でよくそんなこと言えるね…よっちゃん」
「まあ嘘だけどね」
「嘘かよっ」
「ホントホント」
「どっちだよ」
「さてねぇ。香港だからなんでもアリなのさ〜」

やたら嬉しそうに言うからまあそれもアリなのかなとわけわかんないけど納得してしまう。
そうこうしているうちに続々と料理が運ばれてきた。立ち上る湯気が食欲をそそる。
いかつい顔をした上海蟹にプルプルの小龍包。海老と竹の子の食感がたまらない。
箸を伸ばして次々とたいらげる。美味しい。お腹が減ってたからすごい勢いで食べてしまった。
よっちゃんも大きい目を一際大きくしながら「うんめー」と叫んでいた。
そんな美味しそうに食べるよっちゃんを見ていたら余計に美味しく感じて、気づけばいつも以上に食べてしまっていた。

「うぅ…苦しい」
「あたしも…」
「食べ過ぎた」
「あたしも…」
「でも美味しかったから超幸せ」
「ホント?」
「うん」
「そりゃよかった。無理やり連れてきた手前ちょっと心配だったんだよね」
「そういえばなんで香港までゴハン食べに来たの?ちょっと…ていうか、かなり贅沢だよね?」
「あたしの奢りだから気にしないで」
「そういう意味じゃなくて。え?ここってよっちゃんの奢りなの?!」

びっくりして思わず身を乗り出した。
その拍子に片手がグラスにあたり、中の水が大きく波を打つ。
グラスの中身が静寂を取り戻すまで2人はなぜか黙ったままだった。
美貴はグラスを掴んだまま、よっちゃんは美貴の手首を掴んだまま。
波が静まるとよっちゃんはそっと美貴の小指を撫であげた。

「なんで」
「また香港に来たかったんだもん。美貴と」

それは子供みたいな声だった。
ハンバーグが食べたかったんだもん。ゲームがしたかったんだもん。そんな声。
素直で単純で、そんなところがよっちゃんらしくて美貴は笑った。
美貴の知ってるよっちゃん。
時々見せる駄々っ子みたいなそんな顔で、よりにもよってそんな台詞。

「でもだからってけっこう無茶してるよね」
「わかってる」

いくら20歳を超えてるとはいえ黙って旅行に行っていい立場じゃない。
お互いに言動にはそれなりの責任が伴う。
近いとはいえちょっとゴハンを食べに来ましたって距離じゃない。
まとまった休みが取れたわけでもないし明日だって普通に仕事がある。
なんでこんな無茶を?よっちゃんの我侭?それにしては度が過ぎる。
嬉しかったけれど、楽しかったけれど、やっぱりどうしてもわからない。
美貴にはわからない。

今日という日に2人で香港に来ることの意味。
考えなくとも答えはひとつしかないけれど、曖昧な関係に今さらなんて名前をつけるの?

愛は、あの1年半前、たしかに香港にあった。
あの頃からずっと等しく続いていて、はっきりとはしてないけれどそれはたしかに愛情で。

美貴の小指を撫でるよっちゃんとよっちゃんを見つめる美貴。
ゆるい繋がりのままずっと続いていたその関係が変わるの?

「なんでそんな不安そうなの?」
「………」

不安?美貴は不安なんて感じてない。

「変わるのが怖い?」
「………」

怖くなんて…きっとない。違う。そうじゃなくて、美貴はただ。

「ピンキーリング。ずっとしてくれてるよね」
「よっちゃんからのプレゼントだからじゃないよ。気に入ってるからだもん」
「素直じゃねぇ」
「そうかな。美貴らしいでしょ」
「うん、らしい。そんな美貴があたしは好きだよ」

よっちゃんはあまりにもあっけらかんと、美貴を好きだと言ってのけた。
ずっと避けてきた言葉だった。2人の間で初めて交わされた単語だった。
その瞬間、美貴の中で何かがすとんと落ちた。
言われて初めて自分がずっとその言葉を欲していたのだと気づいてしまった。

「一世一代の告白にそんな難しい顔しないでよ」
「どんな顔よ」
「目つき悪くなってる」
「嘘っ」
「ウッソー」

悪戯っ子のように笑ったかと思ったら唐突にキスされた。
よっちゃんの手が美貴の後頭部を支えて、舌が奥深くへと浸入してくる。
よっちゃんの首に両手をまわして自然と受け入れ態勢になる自分に、別の自分がオイオイとツッコミを入れている。
息継ぎをする一瞬も性急な舌は待ってくれない。歯がぶつかって音を立てる。
お互いの口から漏れる声が耳から伝わって脳をとおり体をピリピリと刺激した。
美貴のすべてを吸い取るかのような激しいキス。絡み合う舌と指。
今までにない大きな感情が美貴の中に流れ込んできてそれはそのまま美貴のからだじゅうを巡った。
あたたかくて安心する。これももしかしたら愛なのかもしれないと、柄にもなく恥ずかしいことを思った。



*****



エレベーターはかなり高い位置で止まったと思う。
すっかり火がついた体を持て余し気味に部屋へ入ると、壁に体を押し付けられた。
ベッドに行く時間すら惜しい。そんな顔でまた舌が唇を割って入ってくる。
互いの服を苦心しながら脱がす間もキスをやめない。どちらもやめようとしない。
まるで唇を離したら死んでしまうんじゃないかというほど求め合った。


「んっ…あ、あ、あ」
「美貴…」
「はあっ…やっ…そこっ」
「ここでしょ?美貴のいいところ。あたしは全部知ってるよ」
「はぁんっ…よっ…ちゃ……んっ…あんっ…」


もうすっかり美貴の体を知り尽くしてるよっちゃんの指が美貴を的確に探ってくる。
告白される前とやることは変わっていないのにどうしてか今まで以上に感じてしまう。
体がちぎれてしまいそうなほどの快感に、いっそのことすべてを手放してしまいたくなる。
よっちゃんから与えられる刺激に自分の中の何かが暴れだして制御がきかない。


胸の中心をきつく吸われて、それまで辛うじて立っていた足がついに崩れ落ちた。
重力に逆らえない美貴の体が落ちるのと一緒によっちゃんも落ちた。
体をスライドさせて胸を舐めあげるよっちゃんの頭を抱え込んでもっとしてほしいとねだる。
時折咬む癖は他の誰にも知られたくない。
急に沸いてきた独占欲に落ち着かない美貴は自分の指を咬んだ。


「だから咬んじゃダメだって…」


美貴の指がよっちゃんの中に飲み込まれていく。
柔らかい舌に愛撫されて、動かすことさえ忘れてしまっていた。
よっちゃんの右手は美貴のおへそのあたりから下へと這っていき、左手は美貴の腰を強く抱いていた。
指を咥えたまま、やっぱりどこまでも器用なやつ。荒くなった鼻息との相乗効果で興奮さが増す。


「んぁ…っちゃん……よっちゃん…」
「美貴すげー可愛い。大好き」
「美貴も…あっ…美貴、も、すき」


視界が滲んでよっちゃんの顔がぼやけていた。涙が出たのだと気づいた。
最中に涙が出るのはこれが初めてではない。
過去に何度か絶頂に達する瞬間に涙が出たことがあった。
きっと体が反応しすぎていろんなところから溢れるんだよ、なんてよっちゃんはよく言っていた。


「あんっ…あんっ…もうっ…ダメっ」


何本入ってるのかわからない。熱すぎて自分の体じゃないみたい。
よっちゃんの長い指が美貴の中をかきまわしてぐちゃぐちゃにしている。
頭の中が真っ白になってきて美貴はよっちゃんにしがみついた。
肩に歯をあてて必死で声を殺す。涙が止まらなかった。


「声ガマンしないで」
「うぅ…」


たぶん体だけじゃない。
体もだけどきっと心が、美貴の心がいろんな感情で溢れかえっているから涙が出るんだと思う。
よっちゃんを好きという気持ち。初めて口にした言葉の意味を美貴はずっと昔から知っていた。
音となって発せられた感情はあっという間に美貴を支配して、美貴の中をよっちゃんでいっぱいにする。


「いやっ…美貴おかしくなっちゃう」
「いいよ。おかしくなっていいよ」
「あっ…あっ…ダメ…ダメっ」


スピードを増した指の動き。
絡めとられる唇。
胸をもみしだく乱暴な手。
圧し掛かる重み。
汗ばんだ体。
よっちゃんの匂い。
美貴のあえぎ声。



窓の外に見える香港の夜景が涙に混じってとけてゆく。



「んんっ」
「美貴っ」
「あぁーーーーーーっ」



香港とともに、美貴たちもゆっくりととけてゆく。



*****



滑らかなシーツの感触があまりに気持ちよくて、手の甲と手のひらで交互に確かめた。
ゆっくりと目を開けると真っ白い背中が闇の中で浮いている。
その背中越しに百万ドルと言われる眩い光が見えた。
眩暈がしそうなほどそれは綺麗な光景だった。

「あ、起きた」
「美貴寝てた?よね」
「終わるといっつも寝ちゃうよね」
「よっちゃんが激しすぎるからだよ」
「いーや、ミキティの感度がハンパないんだよ」

笑いながらミネラルウォーターのキャップを開けて美貴に渡してくれる。
よっちゃんの視線を感じながら一口飲んで案外喉が渇いていたことに気づいた。

「美味しいでしょ」
「うん、めっちゃ喉渇いてたみたい美貴」
「あれだけ喘いだら渇くわなぁ」
「ぶはっ、ごほっごほっ…あ、あ、喘ぐとか言うな…ばか…」

ニヤけ顔のよっちゃんが近づいてきて顔を傾ける。
キスをするのかと思い目を閉じると唇の端をペロペロ舐められた。
美貴の口から零れたミネラルウォーターを犬のようにペロペロ舐め続ける。

「おいし」

最後に自分の唇をゆっくりと舐めまわしたよっちゃんを見た瞬間、美貴はとてつもない恥ずかしさに襲われた。
何を今さら的なこの恥ずかしさをどうしていいのかわからず、とりあえずシーツをかぶった。

「え、ちょ、ミキティ?」
「………」
「なんでかぶっちゃうの?みーきちゃん?」
「なんか急に恥ずかしくなった」
「はぁ?」
「よっちゃんが美貴の唇舐めまわして、自分の唇舐めるの見たらすごい恥ずかしくなった…」
「……んなこと言われたらこっちまで恥ずかしくなるじゃんかよ」

もぐっていたシーツの中から顔を半分だけ出すと真っ赤な顔をしたよっちゃんが見えた。
可笑しいのと嬉しいのとで自分が感じていた恥ずかしさがどこかにいってしまった。
よっちゃんの耳を引っ張って唇を寄せた。

「耳まで真っ赤」
「ぶわっ、ぶわぁーか」
「照れてやんの」
「うっさい。もう寝るぞ!」

美貴の隣りにもぐりこんできたよっちゃんは怒ったように背中を向けている。
白くて華奢なその背中に頬と体をぴったりとくっつけた。
よっちゃんだって普通に女の子だからこの背中は決して大きいわけじゃない。
でも美貴にとっては、ううん、メンバーにとってもでっかくて頼もしい背中。
ぴったりとくっついていると安心してなんでもできそうな気がしてくるから不思議。

「よっちゃんの背中あったかいね」
「美貴があったかいんだよ」

この背中にもう少しだけ頼っていたかったな。
美貴の傍にいてずっと小指を撫でていてほしいよ。

「明日早いからホントに寝るよ」
「うん。あ、ねぇよっちゃん」
「なに?」
「ひとつだけ教えて。なんであのとき急に走り出したの?」
「あのとき?」

心持ちよっちゃんがこちらを振り返ったから、美貴も顔をあげて尋ねた。

「香港の路地裏で。美貴を置いていきなり走り出したじゃん」
「あー」
「ねぇ、なんで?」
「あれは…なんか嬉しくてじっとしてられなかったんだよ」
「嬉しかったの?」
「香港の開放感っていうかそういうのもあったし」
「ねぇ、なんで嬉しかったの?」

畳み掛けるような美貴の質問によっちゃんが困ったように笑っている。

「やけにしつこいねぇ」
「だって気になるんだもん」
「美貴の指にあたしが選んだピンキーリングがあると思うと興奮して走り出したくなったの。それだけだよ。おやすみ!」
「え…」

数秒、その言葉の意味を理解できず呆気にとられていたらよっちゃんはまた背中を向けてしまった。
なんだ、そうだったんだ。そういうことだったんじゃん。
美貴がよっちゃんを追いかけたのもある意味同じ理由だったのかもしれない。
自分の小指をそっと撫でて愛を確認する。ずっとここにあった愛を。

「おやすみ、よっちゃん」
「あ!肝心なこと忘れてた!」

ん?なんだろ。
寝る前のチュウだったりして。





「22歳のお誕生日おめでとう」
「…ありがとう」





それからよっちゃんは美貴の頭を自分の腕に乗せると満足げに目を閉じた。
目の前にある柔らかそうな頬にそっとキスをしたらまた視界が滲んだ。
流れ出るそれを拭うことはせず、とけゆく香港の夜をしばらく眺めていた。










<了>


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