卒業






口にしなければ伝わらない想いがある。
そんな簡単なことに最後まで気づけなかった。





その人はいつも公園にいた。春も夏も。
やがて秋がきて、雪が舞い散る季節になっても公園にはその人がいた。


毎朝いつも決まった時間。私が乗るバスが横を通り過ぎるその時間に。
ベンチに座ってたり芝の上に長い足を投げ出してたり。
鳥に餌を与えてるときもあれば犬の散歩に訪れる人たちと談笑してるときも。


私はそこを通り過ぎるほんの数十秒の間のひと幕をいつも見逃さなかった。
友達と乗り合わせても試験前に単語を必死で暗記しようとしてても。
そこを通るときは必ず顔をあげた。彼女を見た。


彼女の様子を眺めてそして元の位置に顔を戻す。
ある意味習慣となったその動作は私にとって一日のスタートの合図だった。
彼女を見て、ようやく一日が始まる。そんな毎日だった。





年が明けて二日目、初詣の帰り道にその公園を通った。
よく晴れて暖かい日差しの中を歩きたくて、バスで帰る家族とは別行動をとった。
小春日和というのか、気持ちのいい冬の午後だった。


そこに彼女がいた。


真っ白いコートに真っ白いマフラーと手袋。
身に着けているもの以上に真っ白な彼女の肌。
風になびく金に近い茶色の髪がよく映えていた。


ベンチに座り缶コーヒーを飲む彼女。
いつもの習慣から数十秒後には勝手に景色が流れていくと勘違いして、じっと彼女を見つめていた。
彼女はいつまでもそこにいた。景色は変わらなかった。


ふいに彼女がこちらに首をまわし不思議そうな瞳で私を見た。
ハッとして視線を逸らす。クルッと反対を向き歩き出したら声が聞こえてきた。
ちょっと耳につく間延びした声。その声は低く澄んでいた。


「こんにちはぁ」


少し逡巡してからその声に答えた。


「こんにちは」



毎朝切り取られた画像のように少し離れたところから見ていた彼女が横に座っている。
数十秒たっても消えることはない。
声を発し足を組み時々私の顔を覗き込む。


不思議な感覚だった。


まるで自分がテレビか映画の中に入ってしまったかのような。
彼女は物語の登場人物みたいなもので私と接点を持たない人物。
彼女はそんな手の届かない存在であるはずだった。
そんな彼女が隣で私に微笑みかけている。


不思議な感覚だった。


「今日は暖かいねぇ」
「そうですね」
「気持ちがよくてボーッとしちゃったよ」
「ずっとここにいるんですか」
「ん。ついさっき帰ろうと思ったんだけど、なんかキミと話したくなっちゃって」
「すみません。じっと見つめちゃって」
「いいのいいの。なんかそういうときもあるよね。そういう空気っていうか」
「どういう?」
「なんとなく話してみたいなって思うような」
「通りすがりの人と?」
「同じ時間を共有する仲間との出会い」
「公園仲間だね」
「そう、公園が呼ぶ縁」


そういって彼女は勢いよく立ち上がり私を見て言った。


「また、どこかで会いましょう」


満面の笑みを残し彼女は歩き出した。
唖然とした私は一歩乗り遅れ、気づいたときには彼女との距離はかなり離れていた。
遠ざかる背中に大声で叫んだ。


「絶対だよー!!」


彼女はこちらを振り返り両手を力いっぱい振った。
その瞬間、彼女は物語の登場人物ではなくなっていた。





短い冬休みが終わりいつものバス通学が始まった。
弾むような友達の声。
無愛想な運転手。
いつもの風景。
公園に近づくにつれ胸が高鳴った。


彼女はそこにいた。


いつもと変わらずそこに。そしていつものように数十秒後に消えた。
彼女が視界から消え突如居ても立ってもいられない気持ちになった。
迷わず降車ボタンを押していた。
後ろで友達が自分の名前を叫んでいるのを無視して。


冬の早朝、カツカツというローファーの足音が辺りに響く。
その足音が次第に早くなる。
早く彼女に会いたくて話しかけたくて自分を見てもらいたかった。


公園の入り口にさしかかり彼女の元へ走り寄る。
ハアハアと息を切らしてスカートを振り乱し、ちょっとつまずいて転びそうになった。
びっくりした彼女が慌てて手をのばす。
私の両脇に腕を差込み息が整うまで支えてくれていた。


少しして呼吸は正常になったけど胸の鼓動はスピードを増すばかりだった。
温かい彼女の腕の中でいつまでもこうしていたいと思っていた。



そして気づいた。彼女に恋していることを。



「また会えたね」
「公園仲間だもん」
「ははっ。そっかじゃうちらは公園同盟だ」
「変なの」
「変かな」
「ううん。ウソ。いいね公園同盟」

彼女にコーヒーを買ってもらい二人してベンチに腰掛けた。
冬の早朝、しかもこんな寒い日に公園にいるような物好きは私たちだけ。
吐く息が真っ白で頬にあたる風が痛いほど冷たい。
声を出すのが躊躇われるほど辺りはしんと静まりかえっていた。
朝なのか夜なのかわからないようなそんな時間に思えた。


「寒いね」
「うん」
「でも気持ちいいね」
「うん」


コーヒーは口を開けたら最後あっという間に冷えてしまう。
だから二人ともホッカイロ代わりに缶を両手で包み込んでいた。


「冬は自分がこの世界にひとりぼっちなのかもって思うのに一番似合う季節だ」
「そうかなぁ」
「うん。今ふと思ったんだ。キミと話してるのにまったく矛盾してるんだけど」
「だれかといるのにひとりぼっちって?」
「思うときない?」
「ある」


渋谷のスクランブル交差点を渡るときいつもそう思う。


「この世界にひとりぼっちだったとしても公園があればなんとかなる気がする」
「公園同盟があるからね」


そうだねとはにかむ彼女。

「公園仲間もいることだし」


あたしはひとりじゃない。
そう呟く彼女の横顔にしばらく釘付けになっていた。



「風が目にしみるなぁ」

涙目の彼女。
その姿が美しくて息を飲んだ。
その表情が哀しくて思わず目を逸らした。


「また、どこかで会いましょう」

そうして彼女は颯爽と歩き出した。
その背中があまりにも寂しくて声をかけることができなかった。
私はしばらくベンチで一人佇んでいた。





暦が変わっても相変わらず彼女は公園にいた。
バスから眺める景色にも変化はない。
季節が移り変わるとともに彼女やまわりの木々や草花が季節に合わせた格好になる。


彼女はなぜいつも公園にいるのだろう。


ただの公園好きが毎日毎日同じベンチに座るだろうか。
私が見ていない時間もそこにいるのだろうか。
彼女は誰なんだろう。


意を決して降車ボタンを押したあの日から彼女に会っていない。
毎日彼女を見てはいるがそれは物語の中の彼女。
彼女の吐息や温度や存在を感じることはない。



季節はいつのまにか春を迎えていた。



いつものように家を出ていつもの時間のバスに乗る。
ラッシュ時よりだいぶ早いこの時間はバスの中も人がまばら。
道は空いていて赤信号以外で停車することなく順調に進む。


いつもどおりの朝だった。



彼女がいないことを除いては。



瞬間私は目を疑った。
いるべき場所にいない彼女の姿を探した。
数十秒の後バスは公園を通り過ぎた。
私は慌てて降車ボタンを押した。


公園中を探して歩いた。
隅から隅まで彼女の姿を追い求めた。
公園だけではなく周辺も探した。
でも彼女はいなかった。
彼女の姿はどこにもなかった。


それは本当に急に訪れた終焉だった。
いつもそこにいることに慣れきっていた。
私が見ている限り彼女はそこにいると思い込んでいた。
いつでも彼女に会えると思い上がっていた。


彼女のベンチに座りしばらく放心していた。
知らず、涙が零れ落ちていた。
彼女の指定席に自分が座っていることが悲しかった。
後悔の念が胸に渦巻いていた。


彼女の顔を見たかった。
彼女の声を聴きたかった。
彼女の温度を感じたかった。
彼女に逢いたかった。



「なんで泣いてるの?」



彼女だった。
捜し求めていた彼女。
私の目の前に立って不思議そうに私を見ていた。
初めて彼女と言葉を交わしたあの日のように。


「仲間がいなくなっちゃったかと思って」
「公園仲間?」


無言で頷く私。
声が出なかった。
声を出したら大泣きしてしまいそうだった。
声を出したら好きだと叫んでしまいそうだった。


「公園がある限り公園同盟は不滅なのだ」


悪戯っ子のように笑って私の隣に腰掛ける彼女。
いつもと変わらぬ彼女だった。
少なくとも私にはそう見えた。


「ワタシは公園から卒業します」


そう言って彼女は彼女と、彼女の大切な人との話を語りだした。
私はなにも言わずに黙って聞いていた。





彼女には1つ年上のお姉さんがいた。
お姉さんといっても血の繋がりはなく、かといって義理の姉妹でもない。
でも彼女が物心つく頃にはすでに彼女の家に一緒に住んでいた。
彼女の両親はお姉さんについて詳しく語ろうとしなかった。
ずっとお姉さんのようなものだと教えられていた。


彼女とお姉さんは実の姉妹以上に仲が良くいつも一緒だった。
彼女はお姉さんと過ごす時間を大切にしていた。
この公園で過ごす時間を。


お姉さんはどこから来て自分とどのような関係なのか。
そんな疑問を持ちつつも彼女はお姉さんと過ごしていた。
いつしか両親から聞き出すことも諦めた。
お姉さん本人にも聞かなかった。
聞いてはいけないような気がしていた。
触れてはいけない気がしていた。


彼女とお姉さんは健やかに育っていった。
春も夏も秋も冬もこの公園で過ごしていた。
この公園が彼女とお姉さんの居場所だった。
そしていつしか彼女はお姉さんに恋をしていた。



「笑顔よりも怒った顔のが思い出せるなぁ」



長くなりそうだからと彼女はまたコーヒーを買ってくれた。
それでね、と彼女は話を続けた。



彼女とお姉さんは一日の大半をこの公園で過ごした。
彼女が想いを告げたのもこの公園。
お姉さんが初めて彼女に涙を見せたのもこの公園。
二人が心を通い合わせたのも。
彼女がお姉さんを永遠に失ったのも。


彼女の両親がお姉さんを引き取ったのは善意からではなく罪悪感から。
そう彼女は分析する。
彼女の両親の運転する車。
お姉さん一家の運転する車。
両者が事故を起こしお姉さんの両親は幼いお姉さんを残し亡くなった。
どちらにも同じくらいの過失があったらしい。


どちらにしても不幸な事故だった。
その事故が彼女とお姉さんを結びつけた。
彼女の両親の罪悪感が二人を引き合わせた。
お姉さんは決して事故のことは語らなかったという。
両親を失くした嘆きも奪われた憎しみも。
お姉さんの本意はなんだったのか。
今となってはそれを知る術はない。


彼女は18歳の誕生日に両親の口からそれを聞いた。
両親の申し訳なさそうな顔が情けなかった。
お姉さんの固く結ばれた口許が痛々しかった。
彼女は一生をかけてお姉さんを守ろうと決心した。


お姉さんが病に倒れたとき彼女は公園にいた。
公園でお姉さんを待っていた。
いつまでたっても現れないお姉さんを待っていた。


一年に渡る闘病生活。
彼女は懸命にお姉さんを励ました。
でもお姉さんは自分の死期を悟っていた。
彼女もまた、少しずつお姉さんとの別れを感じていた。


お姉さんの最後の願いは公園に行くことだった。
彼女はその願いを叶えてあげた。
二人で寄り添うようにベンチに座った。
春の日差しが暖かかった。


やがてお姉さんは彼女の腕の中で静かに息を引き取った。
眠るように穏やかな表情で。
彼女はいつまでもお姉さんを抱きしめていた。





「ワタシは姉さんが…梨華が好きだった」


話し終えて彼女はベンチをそっと撫でた。


「この公園も」


彼女はそれから毎日この公園を訪れた。
春も夏も秋も冬も休むことなく。
お姉さんの幻影を求めていたのだろうか。
私はそんな彼女をバスの中からずっと見ていた。


「ワタシはお姉さんから卒業します」


彼女は真っ直ぐ私を見て言った。


「この公園にはもしかしたらもう来ないかもしれない」
「公園同盟も解散だね」
「公園がある限り公園同盟は不滅なのです」
「そうだね」
「また、どこかで会いましょう」

去ってゆく彼女の後姿を見つめていた。
私もまた彼女を見る毎日から卒業するときなのだと感じていた。
また、涙が零れ落ちた。


なにもできなかった。
ただ去ってゆく彼女の後姿を見つめていた。



この彼女への想いを口にしたかった。
この彼女への想いを届けたかった。



彼女の背中が小さくなるまでずっと見つめていた。
背中が消えて背の高い彼女の頭も見えなくなるまでずっと。
彼女と彼女のお姉さんが過ごしたこの公園のベンチで。
もう会うことがないだろう彼女を。







私はずっと見つめていた。










<了>


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