面倒な女






過去に一度だけ、面倒な女にひっかかったことがある。



その女は飲みに行くと必ず泥酔して坂道をころころと転がり落ちた。
買い物に行けば必ずはぐれた。
飛行機に乗れば耳が痛いとわめき、車に乗れば必ず酔った。
茶碗蒸しに銀杏が入ってなければ1週間は文句を言い続けた。
目当てのビデオがなければレンタルビデオ店を何軒もはしごさせた。

とにかく、面倒な女だった。



そんな女にひっかかる自分も自分だが、スーパーの試食販売員を
ナンパする女もなかなかいないだろう。
餃子を買うから付き合えだなんて、そんな口説き文句を言われたのは
19年間生きてきて初めてだった。

どういう経緯でそうなったのか、いつのまにか連れられその日のうちに夜を共にした。
女に大量購入された餃子はしばらくの間、冷蔵庫から減ることはなく専ら自分が食していた。
聞けば女は餃子が好きではないと言う。
全部食べていいよだなんてすました顔で雑誌を読んでいた。

女と同じ大学だと知ったのは、いつのまにか始まっていた同棲生活が
3週間くらい経ってからだろうか。
誰かと暮らすのは初めてではなかったが知り合って2日ほどで部屋を引き払い
荷物をまとめて餃子と共に転がりこんできた女はさすがに今までいなかった。
風呂敷きに包まれた荷物の大半は餃子だった。

後先を考えない女だと思った。



女は客観的に見ればいい外見だった。
街を歩けば人目を引いたし、男女限らず言い寄ってくる輩は少なくなかった。
そういう近づいてくる輩に対して女はわりと寛容だったように思う。
基本的に人当たりがよかったせいだろう。
そういう輩に対して食事を奢らせたり物を買わせたりとさんざん貢がせてから
女は恋人、つまり自分の存在を明かした。

そういう意味ではしたたかな女だった。



何人もの男女が勘違いし、女に振り回され、最後には激昂するか
去ってゆくかのどちらかだった。
愛想良く近づいてくる輩に笑顔を振り撒き、その気にさせた代償は
全て恋人である自分に降りかかった。
女は勘違いした輩をうまくあしらうことができなかったから、
結局は自分が尻拭いをして後始末をした。

不器用というか、調子のいい女だった。



晴れた日にはよく散歩にでかけた。
犬の散歩をしている人たちを川べりに腰掛けて眺めた。
女は上京する前まではかなりの田舎に住んでいたらしく、
土のにおいが好きだと言っては芝生の上に横になっていた。
空と雲をいつまでも見ていられると豪語してはそのすぐ5分後に寝息を立てる始末だった。

寝顔が無邪気な女だった。

隣で横になり、女の寝息を聞きながら空を眺めているのはわりと好きだった。
時間が経つといつも寝心地が悪くなったのか女が肩に顔を押しつけてきたから
頭の下に腕を置いて腕枕をした。
すると安心したように女は安らかな呼吸でまた寝息を立てた。



女はとくに動物好きというわけではなかった。
散歩中の犬を見てもとくに興味を示すようなことはしなかった。
テレビや雑誌に愛くるしい顔の犬や猫が登場してもこれといって反応することもなかった。

なのになぜあのときあんな行動をしたのか、今をもって謎だ。
その話を聞いたときは突発的、衝動的という言葉が頭をよぎった。
ただいくら考えても女がそんなことをした理由がわからなかった。

わけのわからない女だった。



女が助けた仔犬はまったく状況が理解できていなかったのだろう。
舌を出し、尻尾を振って女のまわりをグルグルと楽しそうにまわっていたらしい。
その時点でピクリとも動かなかった女のまわりを飛んだり跳ねたり。
ドッグフードのコマーシャルに出てくるように元気一杯で。
その後に運良く見つかった引き取り先でも、やっぱり庭を走り回っていたらしい。

健康だけは疑う余地もないような女だったのに。
あっけなく逝ってしまった。

知らせを聞いて駆けつけた病院のベッドの上で横たわる女の顔は安らかだった。
まるで芝生の上に寝転がっているときのまさにあの顔だった。
耳をすませばあの寝息が聞こえてくるんじゃないかと思えるほど自然だった。
現実感がわかず涙は出なかった。

女に身寄りがないことを警察官に聞いて初めて知った。
ごくごく内輪だけで小さな葬式を出してやった。
墓石を建てる金などなく、さんざん迷った末に川べりから遺骨をまいた。
女には悪いと思ったが自分が死んだときも同じようにしてもらうからと、
心の中で適当な約束をして芝生の上に寝転がった。

最期まで、面倒のかかる女だった。





女がいなくなって数週間あまりが経った頃だろうか。
たまたま入ったラーメン屋で餃子を頼み、食べようとしたところでふいに女の顔が頭をよぎった。
出会ってから突然いなくなるまでのあの濃密な時間たちが鮮明に思い出された。
餃子を勢いよく口に入れむしゃむしゃと食べているうちに頬が濡れていることに気づいた。
あとからあとから零れ落ちてくるそれを無視して餃子を食べ続けた。
女が死んでから初めての涙だった。

そのとき以来餃子は食べていない。
きっと、この先も食べることはない。



心の中で適当な約束をして、また川べりに座りいつまでも空を眺めていた。










<了>





「なにこれ?」
「処女作。どうよ?ちょっと最後にホロリとくるだろ」
「ていうかさぁ」
「あん?」
「これって遠まわしに餃子はもう食べたくないって言いたいわけ?」

ここは餃子の店『藤もん』。
美貴の祖父の代から続く老舗の餃子屋だ。
若くして三代目を任された美貴は日夜餃子の研究に余念がない。
新しいメニューを開発しては恋人のひとみに試食させ、感想を聞いている。

「え?!いや、そ、そ、そんなことあるようなないような…つまりなんだ、そのー」
「はぁ?なに言ってんの?動揺しすぎ」
「あはっあはっあははは…」

そもそも美貴は幼い頃からオーソドックスな餃子の具に飽き飽きしていた。
代替わりをして実権を握ったのをいいことに好き勝手に新メニューを開発している。
その余波をもろに食らっているのがひとみだ。
美貴は次々と珍メニューを作るくせに自分で味見をしようとはしない。
必ず一番最初にひとみに食べさせ反応を見る。

「今日のは絶対ヒットするよ!自信あるんだ〜」
「いやあの、あたしもう一生分くらいの餃子食べたんで…」
「美貴の餃子が食べれないの?」
「えっと、なんつーか。美貴ちゃん、あのね」
「へぇ〜美貴の餃子が食べれないんだ」
「いやだから、あたしもう餃子は食べないって決めたのよ。ほら、これ読んだでしょ?」
「そんなわけわかんない言い逃れが通用するかー!いいから食べな、ほら」
「あうぅ…やっぱダメか。せっかく原稿用紙買ったのに…」

ひとみが三日三晩寝ないで書き上げた力作も美貴の押しの強さには敵わなかった。
原稿用紙をぎゅっと握り、諦めて餃子の登場を待つひとみの目の前に美貴が皿を差し出した。



「じゃじゃーん!これが藤もんの新メニュー、『レバ刺し餃子』だーー!!」



原稿用紙を放り投げ、脱兎のごとく逃げ出そうとしたひとみの腕を美貴がしっかりと握った。
泣きそうな、というかすでに泣いているひとみの口に餃子が迫る。

「あーん」

その後、ひとみがトイレに駆け込んだのは言うまでもない。










<了>


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