世界が滅亡してもなお






道が空いていたとかでいつもより少しだけ早く帰ってきたよっちゃんは化粧を落とし、
服を着替えて、冷蔵庫から取り出したビールをグビグビと飲んだ。

「ぷっは〜。うんめー」

つまみというか夕飯というか、こまごましたものをいくつか作ってコイツに食べさせるのは美貴の日課だ。

「美貴ちゃんさんこれイカ?」

ヨーグルト以外に花粉症に効くのはナントカ茶だとか
曲がる直前までウインカーを出さないドライバーを懲らしめるにはどうしたらいいかとか
どうでもいいことをグダグダと話すのは美貴たちの日課。

「布巾とって」

なんでもない日になんでもないことをなんでもない口調で話す。
それはひどくつまらないようにも思えるし、
やっぱりなんでもないようなことのようにも思える。
意識しなくても出るため息は、きっと淡々と積まれていく日常が重いから。
なんでもないことでも背負いっ放しはしんどい。

「ビールもう一本飲もうかな」

不満があるわけでも物足りないわけでもない。
むしろ平穏平和なこの日々を過ごせることはラッキーだと思う。
ニュースでは毎日のように凄惨な事件や不幸な事故が世界のいろんなところで起きていて、
美貴たちにいつどんな災難が降りかかってもおかしくないですよ、と警告している。
そんなこと考えさせるなよと、よっちゃんは渋い顔をするけれど美貴は違う。

「今日は暖かかったなぁ」

幸せは意識しないほうが幸せなのかもしれない。
よっちゃんがビールを飲みながらイカだと信じてタコを食べる日々がいつまで続く?
違法駐車の車に悪態を吐きながら運転しても、帰ってきて美貴を抱きしめて
キスすることは忘れないコイツといつまでいられる?
そんなことを考えながら出るため息は不安そのもの。
美貴の体から決して無くならない不安の塊に、ときどき押し潰されそうになる。

「ビール飲む?」
「いらない。ちょっと出てくるね」
「あ、じゃあ帰りにアイス買ってきて」
「いいよ。ストロベリー?」
「あとラムレーズンもね」

コンビニ帰りに思い出した。
まだ付き合いだして最初の頃は二人でよく買い物に行った。
夜中に震えながらおでんを食べたり、熱帯夜の合間を狙って吹くほんの一瞬の風に体を涼めたり。
熱気を攫っていく風がシャツを膨らませて二人を笑わせた。
喉が火傷するほど熱い大根に泣かされたことも、今では笑い話だ。

懐かしいけどあの頃に戻りたいとは思わない。
今だって今なりの幸せがあって、美貴たちはあの頃憧れていた
なにも言わなくても分かり合える二人になれた。
それに比例して増殖する不安は幸せの副作用みたいなもの。
性格の違いからか、たまたま美貴のがちょっと強く出ているだけで
よっちゃんにだって思うところはあるのだろう。
運転中にやたら悪態を吐くようになったのは、そういう見えない不安のせいなのかもしれない。

「ただいま」

ビールをすっかり飲み干してコタツに入ったまま寝息を立てている。
最近忙しいらしい仕事のことはあえて聞かない。
話したかったり聞いてほしかったりするときはなんとなくわかるから。
よっちゃんの言いたいことやしたいことはなんとなく、本当になんとなくだけどわかるようになってきた。
逆の立場でもそれは同じ。十分すぎるほど重ねてきた年月は裏切らない。

「風邪ひくっていつも言ってるのに…」
「う、う〜ん」

出掛ける前にやっていたものまね番組はNHKのニュースになっていた。

「よっちゃんものまね見てなかった?」
「うるさかった…」

目をこすりこすりしながら美貴の足に手をのばして、ジーンズを引っ張った。
その弱々しい力はまだ完全に目が覚めていない証拠だ。
ジーンズにかかる手を無視して冷凍庫にアイスを入れた。
がっくりと脱力したよっちゃんの頭を抱えて膝の上に乗せる。

「うるさかったなら消せばいいのに」
「…寂しかったから」

人生なんてあっという間だ。
どう過ごしたって必ず最後に終わりが来る。
誰といたってなにをしたってやがて来る終わりのために生きているようなもの。
最後は決まっているけど途中経過は自分が決められる。
幸せに越したことはないけれど、少しくらいの不安があったってそれはやっぱりラッキーなんだろう。
よっちゃんがいて、毎日が平穏で、美貴の膝を求めてくるコイツがいるなら
美貴はやっぱりラッキーだ。

「寂しかったの?」
「ニュースくらいの音が寝るのにちょうどいいのかも」
「なんだそれ」
「でも嫌なニュースは寝覚めが悪いや」
「だろうね」
「地球はなにかと大変みたいだよ」
「地球規模なんだ」
「世界が滅亡しても美貴ちゃんさんが好きだよ」
「よっちゃんのそういうところが美貴は好きなの」

世界が滅亡してもなお、一緒にいたいと思える人に出会えた美貴はやっぱり幸せで。
なんとなく感じる不安もその副産物なら丸ごと全部幸せなんだと思おう。
いつか世界が滅亡したその日に、幸せだったと思えるように。










<了>


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