酔い冷ましのキス






ふわふわとして気持ちいい。

「よく飲んだねー。気持ちいいでしょ、今」

柔らかい声が耳をくすぐる。

「ったく、かわいい顔しちゃって」
「ん〜。なんか、すっごく、気持ちいー。気分サイコー!」
「藤本くんが気持ちいいとオイラもサイコー!!」
「きゃぁっ!ちょ、よっちゃんどこ触って、もう…ばかぁ」

アルコールがまわって重くなってきたまぶたを頑張って持ち上げると
えへへと子供みたいに笑うよっちゃんが見えた。かわいー。

「よっちゃぁん。ちゅーして?」
「はいはい。喜んで」

ちゅっと唇に落ちてきたいつもの温度。
火照った頭と体に気持ちいいサラサラした唇。

「もっと、もっと」
「もっと欲しいの?美貴ちゃん」
「うん。もっとほしー」
「酔っぱらってるでしょ?」
「酔っぱらってるもん!」
「ん〜。正直でよろしい。ではでは…いただきまグァガ!!」

ちょっと待った、と言おうとして手を突き出したらよっちゃんの顔面にヒット!
酔ってるからあんまわかんないけど、すごくありえない角度で曲がったよね、首。
大丈夫かな?

「お、折れたかと思った…あんだよー!ちゅうは?ちゅうぅぅぅ!!」
「うん。ちゅーね、してほしいの。でもね、普通のちゅーはイヤ!」
「イヤ!って言いながらオイラにちゅうしてるんですけど…藤本くん」
「だからこういうのじゃなくて、もっと、こうちゃんと…」
「ばっかだなぁ。今さらなーに言っちゃってんの。美貴を満足させることができるのは誰?」
「よっちゃん」
「はい、正解。酔っぱらった美貴もかわいいよ…」

静かに舞い降りてきた冷たい唇の感触。
電気が走ったかのように頭の後ろがビリビリとした。
体の中のアルコールが瞬時に消えていくような錯覚。




一生醒めることのないこの恋に、あたしはきっと溺れたまま。





「だーから!ごめんって」
「………」
「そりゃあたしだって二人きりがよかったよ?」
「………」
「よっちゃんと二人きりでのんびりゆったりって」
「だよなー。ホントなら美貴と二人でのんびりゆったりして、もちろん夜は…グフフ」
「エロい妄想するなっ」
「いいじゃーん、妄想くらい。ま、妄想だけじゃなくてもちろん現実も…」
「ちょ、ちょっと、よっちゃん?んっ…」

足を組んで、ちょっとふて腐れたふうに腕組みもして。
見るからに機嫌が悪いですよって顔をしていたのに
なぜか突然迫って来た唇を、あたしは避けることなく受け入れてしまった。

冷たいそれが触れて、生温かい舌がチロチロとくすぐる。
反射的にシャツの袖を掴んで、そんなことあるはずがないんだけど
よっちゃんがこのまま逃げないようにと捕獲する。
あたしから二度と離れていかないようにと、極彩色の派手なシャツを掴む。
シャツなんか掴むのは、心もとないことだとわかっているのに。

「んっはんっ…」
「ふぅ〜。まだまだ足りなかった?」
「バカ」
「バカだもーん」
「あ、開き直った。なにその言い方」
「いやいや。だってホントのことだもんね」
「なにが?よっちゃんがバカってこと?」
「それと、美貴が物足りない顔してるってこと」

ニヤっと笑うよっちゃんは無視。
少し火照った顔を手のひらで仰いでクールを装う。
なんでもない素振りで窓の外の景色なんかを見ちゃったり。
高速道路から見える景色なんてなにも面白いことはないけれど。

ふと気づくと、窓に映るよっちゃんが得意の流し目で
あたしの首筋あたりを舐めるように見ていた。
あ、これやばいかも。
物足りないのはどっちよ。

「美貴…」
「ちょ、まっ、ほんっとダメだから!ダメだって!よっちゃ、はぁんっ」
「セクシーな首筋が悪い。あたしを誘う美貴が悪い。ゆえにあたしは悪くない」
「なにその無茶苦茶な…やぁんっ」

あっという間に押し倒されて、いつもの如くあたしの弱い場所をピンポイントで攻める
よっちゃんに口では抵抗するものの…体に力が入らない。
旅行前の買い物でよっちゃんが選んでくれた、
これでもかっていうくらいミニのスカートにするすると手が侵入してきて太ももを撫でられる。

これはやばい。これはまずい。
二人きりだったらこのままよっちゃんの手と唇になすがままなんだけど…。

「ちょーっと!ちょっとちょっと!お二人さん?!」
「なによなによ!さっきから黙って聞いてればイチャイチャイチャイチャしちゃってぇーっ!」

眠そうな間延びした声と甲高い声があたしたちの、
じゃなくてよっちゃんの動きを見事に静止させた。
しぶしぶ体を起こしてからあたしのめくれたスカートを直してくれるよっちゃん。
こんなところも好きだなぁ。
続きがしたいと思ったことは内緒にしておこう。
ちょっと残念だけどさすがに他人がいるところでことに及ぶのは
恥ずかしいというか常識的にどうかと思うわけで。

「チェッ。ごとーは黙って運転してろよな…」
「あ゛?よしこなんか言った?!」
「石川さんの声が耳にキーンてきた。なんかトンネル入ったときみたい…」
「ひどーい。藤本さんひどーい」

ひどいのはどっちだ。
ギャーギャーワーワー、女子高生みたいに騒ぎまくるいい大人三人を横目で見つつ
どうしてこんなことになったのか、ちょうど一週間前に行われた
よっちゃんの帰国祝いの席でのことを思い出した。





「なにこのメンツ…」

よっちゃんは主役だからもちろんいい。
あたしはよっちゃんの恋人なんだからこれも当然。
保田先生はいろいろと迷惑や心配をかけたから納得。
木村先生は保田先生のオマケ?よっちゃんにベタベタ触らなければまあ許す。
後藤さんや石川さんは同期だし、一応仲良しだし
あたしがロンドンに行っちゃったときは仕事面でフォローしてくれたからいてもよし。
と、ここまでは予想の範囲内なんだけど。

「女ばっかじゃん」

庶務課や人事課や総務課や学生課や、え?なんで看護婦さんたちまでいるの?おまえら誰だよ。
よっちゃんが所属している入試課の面々じゃなくて
なんの関わりもない看護婦さんたちがどうしてここに…。
どこから嗅ぎつけたのか知らないけど若さで押し切ってくるあいつらは要注意だ。
なんて目を光らせていたら要注意人物は意外なところにいた。

「よっすぃーおかえりー。よっすぃーがいないからさー、オイラ寂しかったよ」
「はは。矢口さん元気でした?」
「元気じゃなかったよー」
「え?な、なんで…」
「よっすぃがいなかったからに決まってるじゃーん!」
「あたしが毎日庶務に顔出せば寂しくないですよね?」
「げ、藤本は来なくていいよ…」

まったく。
小さいから見えなかったよ。
油断も隙もないな、あの人は。

「吉澤さーん、私も寂しかったですぅ」
「よっすぃーこっち来て〜」
「会いたかったわよ、ヒトミ」

あたしがいる前でよくもまあ堂々と。若いって凄いね。
あたしの眼光も多勢に無勢。
いちいち睨みつけるのも疲れるくらい次から次へと女が寄ってくる。
恋人がモテるのは誇らしいけど厄介なことこの上ない。
ていうか最後の台詞は木村先生だよね?どさくさに紛れてなにやってるんですか。
保田先生が苦笑しているのはあたしに対して?黙って見てないでなんとか言ってくださいよ。

それにしても両腕を女の子たちに絡みとられてニヤニヤニタニタするこのエロ魔人ときたら。

「まあまあ、今日くらいはいいじゃん。お祝いなんだから」
「そうそう、皆よっちゃんが帰ってきてくれて嬉しいんだよ」
「それはわかるけど…」

後藤さんと石川さんに慰められながらビールを煽った。
向こうのテーブルでは女の子たちと楽しそうに話をしているよっちゃんが見える。
手を叩いたり肩を竦めたり、すごく楽しそう。
あの笑顔を取り戻してほしくてロンドンに送り出した。
そしてよっちゃんは戻ってきてくれた。
あたしの好きなあの笑顔を携えて。

ガマンしきれずに迎えに行っちゃったあたしには、また違った顔を見せてくれる。
とくにベッドでは、いろんな顔を…。

「あーあ、またダラシナイ顔してるよ、この人」
「そういえば最近よっちゃんを見る藤本さんの視線がエッチすぎだって噂、よく聞くよね…」
「うっそ?マジで?!」
「マジマジ。藤本さん欲求不満なんじゃないの?」
「えー!よっちゃんが帰ってきて毎日やりまくりだと思ってたのにそうでもないの?」
「やりまくりって…」

石川さんって顔に似合わずけっこう下品だね…。

「欲求不満なんかじゃありませんっ」
「ホントかなぁ」
「ホントです!」
「そういえば週末どっか行くんだってね。さっきよしこがチラっと言ってたけど」
「あ、うん。温泉にね」
「えー!!いいなぁ温泉。いいなぁ〜私も行きたーい!」
「温泉いいよねぇ。ごとーも行きたいなぁ」

胸の前で手を組んで上目遣いをしないでもらえます?石川さん。
それする相手間違ってるでしょ。
どう考えてもあたしにはキショいとしか映らないので。
あと後藤さんも。そんな恨めしそうな目で見ない!
ちょっと怖いよ。マジで。

「…なによ」
「行きたい」
「は?」
「私たちも連れてって」
「はあ?!」

なにバカなこと言っちゃってるの?この人たちは。

「温泉!温泉!温泉!」
「いや、普通に無理」
「ははーん、藤本さんやっぱ欲求不満なんだ」
「なんでよ」

話を戻すな!
温泉と関係ないでしょー。

「だって欲求不満だからよしこと二人で行きたいんでしょ?」
「あ、そっかぁ。やりまくるのね?!」

いや、だから石川さん下品…。

「ちっがうに決まってるでしょ!欲求不満なんかじゃなーい!!」
「じゃあ連れてってよ」
「そうよ連れてきなさいよ」
「どういう理屈だよ!」
「欲求不満!欲求不満!欲求不満!」
「エロティ!エロティ!エロティ!」

な、殴りたい。
久々に殺意を覚えたかも。

「エーロティ!エーロティ!エーロティ!」
「わ、わかった。わかったから。黙らないと殴るよ?」
「(やったね!よしこのおごりで温泉だー)」
「(温泉でお肌ツルツルになったらますます美人になっちゃう〜)」

ごめんね、よっちゃん。
なぜかこんなことになっちゃったよ。
しかもよっちゃんのおごりらしいよ。

はぁ〜。
とりあえず一発くらい殴ってもいいよね?
二発にしとく?だめ?





「藤本さんほんっとに殴るんだもん。ごとーびっくりだよ」
「ほんとよねー。冗談が通じないんだから」
「いやいや、キミらはまだマシだよ。藤本くんのかかと落としはマジで死にかけるから」

運転手兼ナビゲーターとしてあたしたちラブラブカップルの旅行に
無理やりついてきたこの二人はとりあえず放っておくとして、よっちゃん?
あたしがいつかかと落としなんてしたのよ。
それともなんですか。それはやってほしいってフリなの?

「後藤さーん、次のサービスエリアに寄ってね」
「なんで?休憩したばっかじゃん」
「よっちゃんがかかと落とししてほしいみたいだから」
「すごーい。かかと落とし見たーい」
「ふ、藤本くん冗談きついっす。あと石川さんは黙ってて」

運転席で爆笑する後藤さんに、唇を尖らしてプリプリする石川さん。
それから怖々と首を振り、あたしの機嫌を伺うように覗き込んでくる大きな瞳。
三者三様のリアクションが面白くて大きな声で笑った。

前の二人に見えないように素早く唇を奪うと
きょとんした後にたちまち頬がぱぁっと明るくなった。
なんかこういうのってすごく楽しい。
二人きりもいいけど気心しれた仲間と旅行するのもたまにはいいかもね。



「こちらでございます」

仲居さんに案内されて、あたしとよっちゃん
後藤さんと石川さんというペアに分かれて部屋に入った。
当然といえば当然な組分けだけど真新しい畳の匂いや、部屋から見える鬱蒼とした緑の海
どこからか聞こえてくる水音やなんかになぜかドキドキした。
いかにも、なシチュエーションを作り出しているそういうものすべてに。

「やっと二人きりになれたね」
「ぷっ。古いドラマの台詞みたい」
「笑うなよー。ロマンティックじゃないなぁ」

言いながら窓辺に立つあたしを後ろからそっと抱きしめるよっちゃん。
その手に手を重ねてしばらくそのままでいた。
鮮やかな新緑に目を奪われていると重ねていた手が解かれてよっちゃんが窓の外を指差した。

「ほら、あそこ」
「ん?なに?」
「ちっさい川が流れてる。水音の正体はあれだね」
「ほんとだ」
「行ってみよっか?」
「うーん…」
「いや?」

肩に顎を乗っけてあたしの耳もとでそっと囁くよっちゃんに少し恥ずかしかったけど告げる。

「せっかく二人きりになれたんだから、もうちょっとイチャイチャしてからがいい…」

皆でワイワイ騒ぐのも楽しい。
けどやっぱり二人きりのこの空間には敵わない。
落ち着いていて、あったかくて気持ちいい。
そしてとろけるように甘いこの時間。
好きな人とのこの至福のときを、たっぷり堪能したいじゃない?
ね、よっちゃんもそう思うでしょ?

なにも言わずにゆっくりと降りてきた唇は肯定の証。
じゃれ合うように時折笑いながらキスをした。
お互いの体をまさぐり、全身が徐々に熱を帯びていく。
よろけてイスに腰を落としたよっちゃんの上に向かい合って跨ると
だらしなく緩みきったその顔がめくり上がったスカートに視線を落とした。

「よっちゃんってミニスカート好きだよね〜」
「だって美貴にすごく似合うんだもん。綺麗な足だからさ、ホント、すごくいい…」

剥きだしの太ももをゆるゆると撫でまわすよっちゃんの手はまるで魔法のよう。
少し触れられただけで電流が走ったようにゾクゾクしたものが背中を走る。
荒くなる息を飲み込むように唇を貪られてますます苦しくなる。
苦しいけど気持ちいい。
大げさな言い方だけどこの人があたしの生死を握っているかのようで、やっぱりゾクゾクする。

荒々しいキスのあとは一転して優しいキス。
コワレモノを扱うかのようなそのふわりふわりと舞い落ちる唇に翻弄されて
高まる熱はどこまでも止め処ない。

「あぁんっ…よっちゃぁん…」
「美貴…美貴をもっと感じさせて?あたしを感じて?」
「いつも、いつも感じてるよぉ…感じないわけが、ない、じゃ…あぁんっ」
「ふはは。ミキチィのお尻サイコー」
「もうっ…感じるなってほうが無理だよ」

髪に埋めた指先をそっと降ろして両手で端正な顔を包み込む。
よっちゃんのイタズラな手は相変わらずあたしの両足を撫でまわして
それからすっと片手が服の中に差し込まれたと思ったら背中を滑る。

あたしが瞼にキスをすると嬉しそうにくしゃっと笑ってから
犬のように鼻先を鎖骨に押しつけた。
キャミの肩ひもを口で下ろすよっちゃんはもう嫌らしい表情で、さっきまでとはまるで別人。

「痕、つけちゃダメだよ…」
「それはつけろってことだよね?」
「ちがっ…もう、バカぁ」

鋭い痛みとともに襲いくる快感の波。
よっちゃん越しに見える色鮮やかな新緑に抱かれているような、そんな錯覚を覚えていた。



望みどおりたっぷりとイチャイチャしたあたしたちは
せっかく山奥の静かな場所に来ているのだからと、散歩に出かけることにした。
そう、今回の旅先はそこらの賑やかな温泉宿ではなく
ご近所さんなんて存在しない山奥の奥のほうにある隠れ家的宿。
どんなにイチャイチャベタベタしても誰に見咎められることもない。
あるのは山と川と美味しい空気。
あ、それからもちろん温泉も。
美人の湯として名高いこのあたりの温泉は知る人ぞ知る名湯だ。

「すっきりした顔しちゃってー」

あたしたちよりひと足早く温泉に入ってきたらしいほかほか顔の後藤さんに声をかけられた。

「たっぷり気持ちいいことしたってわけね?」
「後藤さん、エロオヤジじゃないんだから…でもそっちこそ気持ちよさそうじゃん」
「えへへー。さすが美人の湯と言われるだけあるよね。ここの温泉気持ちいいよ〜」

ふにゃっとした笑顔で浴衣の袖をまくって見せてくれた後藤さんの腕は
たしかにツッルツルで、長い髪をアップにしたうなじなんかは
あたしから見ても色気たっぷりで…ってちょっと待て!
はっとして隣を振り向くと予想どおりデレっとした顔で
みっともなく鼻の下を伸ばしたカッコ悪いよっちゃんがいた。

「ほうほう。気持ちいいんだ」
「うん。最高。よしこたちも入ってくれば?」
「後藤さんは?もう入らないの?」
「ちょっとのぼせちゃったから少し休憩したらまた入るつもり。あ、石川さんはまだいたよ」
「おーっ!それはオイシ…じゃなかった、よし、藤本くん先に温泉行こうか?」
「死にたいならね」

にっこり笑いながらほっぺを抓り上げてやった。

「あーあ、バカだねーよしこ」
「じゃ、あたしたちは散歩に行くから。後藤さんまたあとでね〜」
「ほーい。いってらっしゃーい」

まったくバカなんだから。

イチチと涙目になりながらあたしの後ろを追いかけてくるバカを
くるっと振り返って睨みつける。
もちろん本気じゃなくてポーズだけど、ここで甘い顔なんてしたら
さっきのあたしたちのイチャイチャがまるで茶番みたいに思えてくる。
浮かれてるのはあたしだけ?
嬉しくて楽しくて仕方ないのはあたしだけなの?

「そんな顔するなって」
「誰のせいよ」
「美貴のその顔はあたしをいつだって欲情させるんだから」

ふわりと抱きしめられて思わず辺りを見回した。
そうだ、ここは山奥の奥。
一歩旅館を出ればあるのは山と川と…ってそんなことはどうでもいい!
今この人なんて言ったの?
さっきしたばかりなのにもう欲情って。

そんなこと考えながらもしっかりと背中に回っているあたしの手は素直だ。
抱きしめられる力に負けないくらい強く、強く抱きしめた。

「よっちゃんは、いつもいつもバカばっかり」
「バカやるのは美貴がいるからだよ」
「そんなことであたしの愛情…量ってほしくない」
「ごもっとも」
「ホントにわかってるー?次はないかもしれないんだからね」
「善処します」
「…からかってるでしょ?」
「ご名答」
「コラァーーーーー!!」
「うわぁ!ちょっとしたジョークだよ〜。藤本くん、走ったら危ないよ〜」
「じゃあオマエがまず止まれーー!!」

自然って素晴らしい。

普段だったら絶対バカバカしくてやらない子供みたいな追いかけっこも、
この山や川に囲まれた中では体がうずうずして(変な意味じゃなくて!)
走り出したい衝動に駆られる。
笑いながら走るから息が切れて肺が痛いけどそういうことすら楽しくて楽しくて仕方なかった。

「ふぅ〜。あ、ここ座れるよ〜」
「…はぁ……う、ん」
「ほら、早く〜。よっちゃん体力ないな〜」
「ロ、ロンドンで、体、なまっちゃった、かも…」
「なわけないでしょっ!元からひ弱なんだから。ほら、ここ座って」
「へ、へーい」

ゼェゼェ言いながら情けない顔をして
ちょこんと岩の上に座ったよっちゃんの上に遠慮なく腰掛ける。
まだ肩で息をしているよっちゃんは本気でちょっと、体力ないよ。
まさかさっきのエッチで体力消耗した?

「どーせオイラは体力ないですよー」
「拗ねないの」

振り向いてぷっくりした頬をぐりぐりと押したり引っ張ったりした。
この感触やっぱ好きだなぁ。
よっちゃんだなぁって実感する。

「ほっぺで判断するなよ」
「だって〜。気持ちいいんだもん」
「んじゃ、あたしも…」
「だーめ。こんなところでやめてよねー」
「いいじゃーん。ケツくらい触らせろよー」
「ケツとか言うな!」

見るからに綺麗な水が流れる川辺で、あたしたちときたら。
交わす会話が笑っちゃうくらいいつもと一緒。
もうちょっとこの雄大な自然にふさわしい話題はないものですかね。

「なんだそれ」
「ないかなぁ」
「それって、楽しいのかなぁ?」
「あたしと一緒なら楽しいでしょ?」
「もっちろん!美貴ちゃんと一緒ならなんでも楽しいー!やっほー!」

よっちゃんのアホな声がこだまする。
山に跳ね返ってはこなかったけど、あたしの心にはちゃんと届いているからね。

「今度は桜の季節に来よう」
「これ、もしかして全部桜?」

よく見ると目に入る範囲全て桜の木のようだった。

「そう。すっごく綺麗だよ」

この辺り一面の新緑がすべてピンクに染まるんだ…。
たぶん今度は桜に抱かれているかのような錯覚を覚えるのだろう。
そんな想像をしていたら、よっちゃんがふっと笑って言った。

「ここらの山がね、ちょうど今の美貴のほっぺみたいに可愛らしいピンク一色になるんだよ」

そう言われたあたしのほっぺはよりいっそうピンク色に染まっていた、と思う。



「おいっすぃー!ちょっとこれ何?牛?牛だよね?」
「う、うん。藤本さんこっちも食べる?」
「よかったらあたしのもどうぞ…」
「いいの?マジで?何牛?これ何牛?」
「藤本くん…ご飯食べさせてないわけじゃないんだからさ」
「マジで激ウマなんだけどこれ。あれか、近くに牧場あったよね?あそこかな?」
「このお魚美味しいね〜」
「キノコもすごい肉厚だよ〜」
「よっちゃん!食べないの?美貴食べちゃうよ?いいの?食べちゃったよ?」
「………まあ、たっぷり堪能してください」

散歩から帰ってすぐよっちゃんと温泉に入った。
中途半端な時間だったからか、あたしたちの他には誰もいない開放的な岩風呂で
やっぱり子供みたいにお湯をかけ合って遊んでしまった。

潜水から浮上しようとしてきたよっちゃんの頭を沈めては、おでこをピシャピシャ叩かれた。

「こらぁ!みきぃー!!」
「キャー!」

お互い裸なんだからちょっとはそういう雰囲気になってもおかしくないはずなのに。

「ゴボゴボゴボ…ぷっはー!死ぬ、美貴ちゃん、息、酸素、ぷりーず!」
「ぶははははっ!」

よっちゃんが「おっきいお風呂って楽しいよなー」と目をキラキラさせて言うから
ついあたしも調子に乗ってしまった。
手で作る水鉄砲は誰にも負けない。
水上のゴル○13と呼ばれた腕が鳴るってもの。
そんなこんなでちっとも色っぽいことなんて起きずに、
遊ぶだけ遊んでグッタリして出てきてしまった。

たっぷり遊んだ後の食事は美味しい。
いや、遊んでなくてもこの豪華な食事を前にしたら誰だって箸を伸ばす。
温泉に入ってお肌つるつる。
美味しい食事に可愛い恋人。
友人との楽しい会話。
あー、幸せ。
これが幸せってもんでしょう。

「ほい、藤本くん」
「ありがと」

ついでもらったビールをグビグビと飲む。
そうだ、この幸せもあったんだ。

「じゃあよっちゃんも」
「さんきゅう」

同じようにものすごい勢いで飲み干すよっちゃん。
「くぅ〜、たまらん」と嬉しそう。
こんなちっちゃいコップじゃあっという間だよね。
普段ジョッキだもんね。

「この二人と同じペースでは飲めないね」
「次元が違うから無理無理」
「あ〜、もう1本終わっちゃった。10本くらい追加しとこうか?」
「そだね。後藤さんたちも飲むでしょ?」

そんなこんなで気づけばけっこうな量のビール瓶が散らばっていて
それらをボーリングのピンに見立てた後藤さんと
きゃっきゃと笑いながらそれに向かって転がっていく石川さん、という図。

転がる先を間違えてよっちゃんに突っ込んだ石川さんを睨むものの
さすがに飲みすぎたせいか目に力が入らない。
「ざーんねーん!ガーターだねぇグヘヘ」なんて言いながら
嬉しそうに石川さんを抱きとめたよっちゃんに初めてかかと落としをした。
かかとどころか全身で落ちたのはやっぱり酔っていたせいかもしれない。

と、ここまでは覚えている。



「あれ?ごとーさんたちは?」
「部屋に戻ったよ」

片手にビールの入ったグラスを持ったよっちゃんが窓辺に立ってこっちを見ていた。

「なんでそんなところにいるのよー」

こっちに来てよ。
いつも隣にいてよ。
あたしが手を伸ばしたら届くところにいてよ。
よっちゃんに触れていないとどうにかなっちゃうよ…あたしはもう、一人になりたくないよ。

「幸せをかみしめていた。幸せ、だよね?」
「ここに来て」

グラスを持ったままニヤニヤ顔のよっちゃんが近づいてくる。
膝の下あたりを蹴って一人にするなとかなんとか叫んだ。

「一人になんてしないよ。いつも美貴のそばにいるから」
「バカ。よっちゃん口ばっかり」
「ホントだよ。美貴が嫌がったってそばにいるから」
「もう二度と置いてかない?」
「置いてかない」
「もう、あんな思いは…したくないよぉ」
「泣かないで、美貴…」

抱きしめられた力強さに身をまかせて、涙で濡れた鎖骨を舐めた。
なんで涙なんて。
今さら泣くなんて。

「よしよし、不安にさせちゃったね」
「むー。子ども扱いするなー!」
「あわわ。藤本くん、暴れるなって」

中途半端に立ちかけた足がもつれてその場にグデーンと倒れこんだ。
あれ?いつのまに布団が。
おもいっきり吸い込んだらお日様の匂いがした。

「あー、これよっちゃんの匂いだ」

口の中で呟いてからゴロンと仰向けになった。

「よく飲んだねー。気持ちいいでしょ、今」

柔らかい声が耳をくすぐる。

「ったく、かわいい顔しちゃって」
「ん〜。なんか、すっごく、気持ちいー。気分サイコー!」
「藤本くんが気持ちいいとオイラもサイコー!!」
「きゃぁっ!ちょ、よっちゃんどこ触って、もう…ばかぁ」

アルコールがまわって重くなってきたまぶたを頑張って持ち上げると、
えへへと子供みたいに笑うよっちゃんが見えた。かわいー。

「よっちゃぁん。ちゅーして?」
「はいはい。喜んで」

ちゅっと唇に落ちてきたいつもの温度。
火照った頭と体に気持ちいいサラサラした唇。
いっぱい、いっぱいちゅーをして、アルコールのせいではない気持ちよさに浸る。

徐々に深くなっていくキスであたしの心は満たされた。

酔い冷ましというには刺激的すぎるキス。
体の芯から手足まで痺れて動かない。動かせない。

「いつも、いつでもキスしていい?」

いつでもいいに決まってるじゃない。
いつだって、したい。
片時も離れたくないんだから。

じっと見つめていたら、あたしの思いが通じたのか何度も何度もキスされた。
よっちゃんに抱かれながら、囁かれながら、果てしない海の底に堕ちていく。



一生醒めることのないこの恋に、一緒に溺れていようね、よっちゃん。










<了>


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