それぞれの






浅い微睡の中で私の髪にそっと触れるあなたの指だけがリアルだった。





いつものように騒がしい楽屋。
何人もの笑い声。
時間が音を立てて過ぎていく。

なるべく見ないように、余計なものや見なければよかったと
後で後悔するようなことが目に入らぬよう、私は下を向いていた。
なるべく、見ないように。

それは逃げ、とも恐れとも弱さとも取れるけれど
長い片想い期間で身につけた習慣。
これをしなかった日はあまり眠れない。
ベッドに入ってからの時間の流れは永遠だ。
永遠と目に焼きついた画像がぐるぐると目の前で再生される。
それはあまりに過酷なリフレイン。
睡眠を奪い醜い嫉妬心を煽る。
翻弄されていつしか朝を迎える。

だから私は下を向く。
あらぬ方向を見つめる。
視界にあなたが入ってこないように目を背ける。
雑誌に集中してる振リをしたり無意味に衣装をいじってみたりする。
最大限の努力が静かに進行していることを誰も知らない。

視界をシャットアウトすることに成功してもまだ足りない。
気を抜くと突きつけられる現実がそこに待っている。
様々な音が飛び交う楽屋の中で私の耳はキャッチしてしまう。
否が応にも飛び込んでくるあなたの声の侵入を私は防ぐことができない。
どんなに小さな声でも囁くような独り言でも
私の耳は、脳は、心は、理解しようと必死になる。
逃さぬようにと貪欲になる。
私の意志とは裏腹に。
悲しいほどに制御することができない。
なるべく見ないように、余計なものや聞かなければよかったと
やっぱり後で後悔するようなことが耳に入らぬよう、
私は下を向きながらイヤホンから流れ込んでくる歌たちに耳を傾けていた。

あなたの顔や仕草、話し方や笑い声、
そんなものをいっそのこと忘れてしまいたかった。
胸のうちでくすぶる行き場の無い心を捨ててしまいたかった。
あなたとの出会いが運命かもしれないなんて
一瞬でも思っていた自分を笑ってしまいたかった。
なにもかもをひと塊にして燃やして灰にして
どこか彼方に飛んでいくのを眺めたかった。
そんなことできるはずがないことは自分自身が一番判っているというのに。
悪足掻きを続けても、結局は元の位置に戻ってしまうことを確信しているというのに。

いっそのこと目や耳なんていらない。
見たくないものや聴きたくないものを
私に見せたり聴かせたりする五感など、いらない。
動揺する心など、もっといらない。

あなたの笑顔や泣き顔、怒った顔や
何かを考えているようで実は何も考えていない顔。
それらすべてが私の心を侵食して食い尽くして宿主を支配する。
そこに私の意思など介在する余地はない。
ただあなたの顔に囚われた私が残るのみ。
そんな現実なんて、いらなかった。
居た堪れない感情に振り回されて疲れるだけの日常なんて、いらない。

私は下を向き、音楽を聴きながら雑誌を読む。
完全に自分の世界に没頭し、あなたの入り込む隙を作らない。
完璧なまでに防御する。
でも、あなたは容赦なくここにいた。
もう何年も前からずっとこの場所に。
私の中のあなたはいつでも私に優しく微笑みかける。
その柔らかい声で私の名を呼ぶ。
どんなに外からガードしても記憶に残るあなたが
残酷なまでに存在していて無駄な抵抗なのだと悟る。
雑誌を放り投げイヤホンを外し、下は向いたままにテーブルに突っ伏した。
もう意識をなくすほかに手立てはない。
あなたのことを考えずにいられる世界に逃れるしか
私が辛うじて正常な心を保てる方法はない。
それはとても矛盾しているけれど私が私であるために私は自分の意識を手放した。
もういらないとばかりにいともあっさりと。
そうしてあなたのいない世界に安堵し、
寂しさに気づかぬ振りをして浅い眠りへと堕ちていく。

理不尽な夢の世界をいくつも旅して私はふと
懐かしい心地よさに現実に引き戻されそうになった。
私は必死で抵抗する。
あなたのいる世界には戻るまいともがき、足掻く。
そして期待する。
この感触が私の望むそれであることを胸のうちで願う。
浅い微睡の中で彷徨いつづける。
行きつ戻りつしながらただただ、祈る。
それだけだった。





私の髪に触れるあなたの温もりは本物なの?










<了>


いしよしページへ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送