不在の存在






簡単なものだ。あっさりと落ちた。実にあっさりと。



「まさか吉澤先輩が誘ってくれるなんて思いませんでしたよー」

あたしが寝てる間に朝はとっくに過ぎ去っていた。
気だるさと焦燥感のみが支配する午後は、頭の後ろが鉛のように重い。
なんの変哲もないワンルームマンションの一室。その中にいるあたし、と後輩。
ベッドの中でいつまでもゴロゴロしながらの無駄な休日が容赦なく過ぎていく。

「ライター取って」
「どこですか」
「そこ。その右のとこに」
「ああ、これですか。あれ?吉澤先輩って煙草吸いましたっけ」
「たまにね。車の中じゃ吸わないけど」

車内はあたしの世界であって、あたしだけの世界じゃない。
そこに有害物質を持ち込むことは彼女が許さない。
彼女に許してもらう必要はないけれど、あたしは徹底して車で煙草は吸わない。
もちろん同乗者にも吸わせない。
そうしているうちに自然と煙草の量が減っていた。
怪我の功名、とはちょっと違うけどニコチンから離れることができたのは単純に良かったと思う。

「一日一本」

煙草を口にくわえると横からさっと火のついたライターが差し出された。
そういえばこの後輩はやたらと気が利くと仲間うちでは評判らしい。
遠慮なく顔を向ける。

「先輩だからするんですよ?」
「あ?なにが?」
「こういうこと」

差し出したライターのことなのか、昨晩の行為のことなのかはわからなかった。
ただ、どうやら自分が特別に思われているらしいことは察しがついた。
以前からそれらしいことを本人やまわりから聞いている。
白い煙から何を見出そうとしているのか、後輩は黙ってあたしの吐き出す先を見つめていた。



彼女と初めて会ったときもあたしは煙草を吸っていた。
露骨に嫌そうな顔をされて、それに向けてわざと煙を吐いたのを覚えている。
彼女はにっこりと笑ってあたしの口から煙草を奪うと、何も言わずにヒールで踏みつけた。

思えばあのときからあたしは彼女の半ば言いなりだった。
命令というわけではないけれど、彼女のしたいことやされたくないことを敏感に感じ取っては
それに従うようになった。
決して無理をしていたわけではなかったが、最近はそれに少し疲れを感じていた。

脱ぎ散らかした服の下から携帯がその存在を主張する。

「出ないんですか?先輩」
「ん」
「週末は天気悪いみたいですよー」
「ふうん」
「もうっ。素っ気ないなんだからー。でもそういうとこが先輩らしいですよね」
「そうでもないよ」

同じ台詞を彼女からも言われたことがあった。


『よっすぃは素っ気ない』


そのときなんて答えたかは忘れてしまった。
否定したのか肯定したのか、無視したのかも定かではない。
また同じことを言われたらあたしはなんて答えるだろう。しばし考えてみる。

「素っ気ないっていうか寝起きは頭まわらないから」
「寝起きだけに限ったことじゃないですよ」

この後輩に対する答えとは、きっと違う答えを彼女に向けることは確かだろう。
素っ気ないのはきっと事実だし、はっきりと否定する気もない。
そもそもわかってやっているのだから。

でも彼女に対してのそれとは少し、というかかなり違う。
あたしは心で喋りすぎる。
それはきっと彼女も同じで、それに慣れてしまっている。
だからお互いに噛み合っているようで噛み合っていない。わかっているようで…。

「先輩!…せーんぱいっ!」
「ん?」
「いまどっかいってましたよ」
「そお?」
「そうです。絵里を置いて、ひとりでどっかいっちゃってました」

この後輩、絵里はあたしの何がよくてここにいるんだろう。
いや、違う。

「あたしそろそろ帰るよ」

いるのはあたしだ。
好む、好まないにかかわらず足を踏み入れたのはあたしだった。
興味や好奇心とも言えない、ましてや好意では決してない。

どうしてあたしはここにいる?

人恋しかったのか、単にぬくもりが欲しかったのか。
誰でもよかったのか、いつでも笑いかけてくる絵里がよかったのか。

……彼女が、よかったのか。

「えー。もう帰っちゃうんですかぁ」
「うん。ごちそうさま」
「やだ先輩」
「なにが?」
「ごちそうさまって。何もごちそうなんてしてないですよぉ」
「あ、いやなんとなく」
「ふうん…絵里を食べちゃったことかと思ったけどそうじゃないみたいですね」

いつもの癖で出てきた言葉と絵里の勘の良さに、あたしは笑いを噛み殺した。

「先輩はいつもそんな風にどこかから帰るんですか?」

絵里の髪が頬をくすぐったから、あたしは首をひねって結果的に否定する格好になった。
その言葉は確信をついていたけど、でも正しいわけでもない。
絵里がおそらく想像しているだろう甘いものなんかでは、決してない。

携帯がまた鳴っていた。





『ごちそうさま』
『嫌味?』
『まさか。十分ごちそうになったから』
『車の人にはアルコールを飲ませないの。わかるでしょ?』
『わかるよ。要するに雰囲気だから。梨華ちゃんが飲んで、あたしも飲んだ気になるだけ』
『やっぱり嫌味にしか聞こえない』
『…かもね』

彼女の部屋ではあたしは一滴も飲まない。
彼女の言うように車だからというのもあるけどそれだけが理由ではない。
どこかから送り届けたついでにお邪魔する彼女の部屋で、一人で飲む彼女を見るのは楽しい。
彼女はワインを飲み続け、あたしは彼女を見続ける。
なんとなく飲んだ気になるからあたしはいつも言ってしまう。



『ごちそうさま』





「先輩?」
「ごめん。帰るわ」
「どこに帰るんですか?」
「帰るっていうか行く。彼女のとこに」
「全然悪びれないんですね」
「誰に?」
「彼女さんに。……あと、絵里にも」

意外に謙虚なこの後輩を、いつかきっとあたしは好きになるかもしれない。
考えすぎない会話と時間をこうして重ねていくうちに。

「絵里はかわいいからあたしにはもったいないよ」
「心にもないこと言わないでください。今ちょっと嫌いになりました」
「ふはは。やっぱあたしにはもったいないわ」
「絵里、それでも諦めませんから」

ベッドで寄り添っているのに。
素肌を通してあたたかな体温が伝わっているのに。
それでもあたしが求めるのは。それでも。
ぽっかりと空いた心を埋めるのが誰かなんて最初からわかっていたんだ。

「あたしは往生際が悪いのかもな」

絵里の部屋を後にして車に乗り込むとタイミング良くまた携帯が鳴った。

「バカよっすぃ」
「なんだよ、バカ梨華」
「早く来なさいよ」

あたしは今日も、心にぽっかりと開いた穴を埋めに彼女を迎えに行く。
たとえそこに理由なんて存在しなくとも。










<了>


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