高速道路ランデブー






「とりあえず出して」

それだけ言うと身震いするように腕組みをしたまま窓の外を見つめた彼女。
白いキャミソールから滴り落ちる雫が眩しくて目を伏せた。
スカートから伸びる素足を組んで先を促す彼女に従い、ギアをドライブに入れる。
そして、点滅させていたハザードを消してからウインカーを出した。

視界の端では赤い傘が車道を転がっていた。
途切れ途切れの車の波をよけてあたしは動き出す。
彼女を乗せて、どことも知れない闇の中へ。

「それで、今日はどうした?」

何事もなかったかのようにお決まりの台詞で尋ねても返答はない。
実際のところ何かあったとしても、それはそれで困る。
あたしにはきっと対処しきれないことだから。

長短の時間にかかわらずハンドルを握っている両手が汗ばむのはいつものことだ。
でも普段はこんなことないのに、彼女といるとどうしてだろう。どうしてこうも。
色あせたジーンズの腿の部分で汗を拭い、また軽くハンドルを握った。
それでもまたすぐに手は汗ばみ、あたしはジーンズとハンドルの間で交互に手を動かす。

日付が変わったばかりの道は空いていた。
ドライブというには重苦しい雰囲気だったけどそれでも車は快調で。
目的地なんてなかったし、そもそもどうして彼女を乗せているのかわからなかった。
淡々と適当に車を走らせるあたしに彼女は何も指示をくれなかったけど、でも快調だった。

いつも気まぐれに呼び出されては何を話すというわけでもなく車を走らせる。
むしゃくしゃしていたのか、単に暇を持て余していただけなのか。
もしかしたら全く違うところにその答えはあるのかもしれない。
わからないまま、あたしは彼女の望みどおりに車を走らせる。
一応、カタチばかりは。

「ねぇ、よっすぃ」

久しぶりに聞いた彼女の声は思いのほか明るかった。
さっきのことをもう忘れてしまったかのような不自然さに、彼女の顔を覗き見た。
でもやっぱり、彼女は拒絶するように窓の外を向いていた。
そこにはあたし自身の運転する姿がぼんやりと浮かび上がっているだけ。
彼女の視線の先にいる自分と目が合っても、とくに思うことはなかった。

「よっすぃってば」
「あ、なに?」
「海が見たい」
「へ?」
「海が見たいの」
「ドラマみたいなこと言うなよ」

少し笑いながらあたしはハンドルを切り返した。
誰もいないのをいいことに道の真ん中で派手にUターンをする。
文句、というか呆れた言葉を吐きながらも頭の中で道筋を思い描きながら海へと向かう。
彼女が見たいというなら見せてあげたいし、自分でもなんとなく見たいような気がしてきた。

「あたしもつくづく梨華ちゃんに甘いよな〜」
「そんなことない」
「あるある」
「ない」
「あるって」

たしかに「ない」のかもしれない。
自分で言いながらもよくわからなかった。
でもあたしが否定したら彼女はきっと肯定するのだろう。
あたしが肯定すれば彼女は否定する。そんな気がしていた。

インターから料金所を通過して高速道路へと流れ込む。
路面はさっきまでの雨でわずかに濡れていた。
真夜中の高速道路は時折、走ることにしか生きがいを感じられないような奴らと
長距離輸送のトラックが黙々と交互に現れるだけでどこか寂しげだった。

スピードを目いっぱい上げるのは簡単だったけど、あえてそうはしなかった。
走行車線を一定のペースで走り続ける。
いつもよりもゆっくりと。時間を惜しむように。

音楽もかかってない車内は低いエンジン音だけが静かに鳴り響いていた。

「よっすぃがいつも迎えに来てくれるのはどうして?」
「梨華ちゃんが呼ぶから」

あたしはどこにだって彼女を迎えに行った。彼女の呼ぶ声がすれば、どこにでも。
それこそ車で行ける範囲ならためらわずに駆けつけた。
どうして、なんて考えたこともなかった。
しいて言うなら、ただ呼ばれたから。彼女があたしを呼ぶから。
そこに理由なんてないと思っていた。

「だったらなんで…」
「ん?」
「………」
「梨華ちゃん?」
「べつに来てくれなくても、いい」

その口調はあたしが迎えに行くことを本当に拒んでいるのだろうか。

さっきのあたしの行動について暗に非難しているようにも聞こえた。
結果的に嘘をつくような形になってしまったけど、彼女を迎えに行きたくなかったわけではない。
でも、積極的に迎えに行こうとも思ってはいなかった。

「嫌なら来る必要なんてない」

どうして彼女はそんなことを言うのだろう。
何を、どんな言葉を、彼女は望んでいるのだろう。
あたしが彼女のところに行こうとして、なかなか行けなかったことを暗に責めているのか。
でもきっと、来なくていいなんていう言葉は彼女の本心ではないはずだ。

そう思うのは傲慢だろうか。

「あたしはしたいことをしてるだけだよ」

結局そんなことしか言えなかった。



スピードメーターが100を境に右に左に行ったり来たりしている。
理由もなく疾走する車に乗った二人もどこかとどこかを行ったり来たり。
つかめそうでつかめない。はっきりしそうで靄がかかっている。
どちらかが踏み出したら相手は受け入れてくれるだろうか。
あたしが踏み出したら彼女はどんな顔をするだろう。
踏み出す先はどこに?

「他の人でも同じように迎えに行くの?私以外でも」

シートに深く沈んだ彼女の声は消え入りそうだった。
閉め切った車内の中にいてもびゅうびゅうと通り過ぎる風が攫っていきそうなほど。

「どうだろう。行かないかもしれない」
「………」
「でも今日みたいに迷った挙句、行くかもしれない」
「私が行かないでって言ったら?」
「どうだろう…。そっちのがわかんないや」
「そう…」

あたしの答えに腑に落ちないといった様子で、彼女はまた腕を組み窓の外に目を向けた。
駆け引きなんてしてるつもりはないけど、正直な気持ちをぶつけるほどあたしは素直ではない。
というよりも、自分の正直な気持ちがわからない。
人に言われたそれを自身の気持ちだと受け止めるほどには、やっぱり素直ではなかった。

ただ、今もし、あたしが「行かない」と即答していたら…。

彼女はここで降りると言いかねないような気がした。
この、何もない高速道路の真ん中で、彼女はきっと「降ろして」と言ったことだろう。
彼女の望みはいつも、複雑で矛盾だらけで理解しがたくて説明のつかないものだ。
けれど要するにそれは全て何かの裏返しで、彼女もまた素直ではないということ。

「あたしにいつでもついてきてくれる?」
「そんなこと言うよっすぃは、らしくない。だからわかんない」
「そりゃそうだ」

束縛されたくないし、したくもない。でも迎えに行くことは厭わない。
彼女の中にある少しの罪悪感は誤解の上にある。
あたしはそんな関係でも満足しているのに。
そのことを彼女は知らないし伝えるつもりもない。
もう少し、彼女と夜の闇を駆けていたいから。

次のサービスエリアまで1キロを切った。彼女に尋ねることはせず減速する。
運転に疲れたわけではなかったけど車内の澱んだ空気を入れ替えたかった。
いつのまにか満ちてきた彼女との濃い時間を。

「コーヒーでも飲もうか」

パーキングに車を停めて自販機でコーヒーを買った。迷って、温かいのにする。
踵を返して車の外で伸びをしている彼女を離れたところからじっと見つめた。
傘の隙間から見えたあのときの表情が頭をよぎる。
あの、縋るような頼りない瞳はあたしの心をどこか知らない場所へと連れていった。

片手にコーヒーを二つ持ち、もう片方の手で彼女のシルエットをつかもうとした。
つかみ損ねたあたしの手は虚しく宙をさまよう。

それでも手を伸ばしたらすぐに届くこの距離が、ふいにあたしの背中を押す。

「梨華ちゃん」

あたしたち以外は誰もいないこの場所で、少し大きめに彼女の名を呼んだ。
夜の色をしている車とその隣に佇む彼女。
キャミソールの白が、あたしにはやっぱり眩しかった。

「大丈夫だよ。あたしはいつでも迎えに行く」

あたしをじっと見返す彼女。立ち姿のラインが美しい。

「何を差し置いても梨華ちゃんを」
「そんなこと思ってないくせに」
「思ってるよ」
「迷ってたくせに」
「うん。迷ってた。でもホントは行きたかったんだよ」
「…そんなの、聞きたくなかった」
「だと思ったよ。急に言いたくなった」
「バカよっすぃ。帰る」

助手席に乗り込んでくれた彼女に少しだけ安堵した。
ひねくれ者の彼女が歩いて帰るとか言い出す可能性もあるにはあったから。

「早く出して」
「へいへい。仰せの通りに」
「バカよっすぃ」
「だから照れるなって」

そしてまた車を走らせた。海へと。

コーヒーを飲みながら隣の彼女をチラ見する。
窓の外を見つめる彼女は、缶をしっかりと両手で握り締めていた。
それからふいに指を伸ばして窓の表面をゆっくりとなぞりだす。

「ちゃんと前見て運転して」

窓に映るあたしの輪郭をずっとなぞる彼女の指は、白くてとても細かった。










<了>


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