トゥ・オブ・アス






微かに甘い香りがした。
鼻腔をくすぐるお菓子のような甘い甘い香り。
手を伸ばしたらふわふわした柔らかい感触がした。
なんだろう、これ。とっても気持ちがいい。

「………か…ん」

わたあめみたいにふわふわ。
この気持ちよさをもっと味わいたくて両手でふにふにと遊ぶ。

「んっ…ちょ…り……あ…」

やわらか〜い。
それにとってもあったかい。

ふにふに。わさわさ。むにゅむにゅ。

「あんっ…り…か…」

遠くから、あるいはもっと近いのかもしれない。聞き慣れた声がする。
そんなに高くはないけど少し上ずった艶のある甘い声。
香りと音の甘さに酔いしれているうちに次第に意識が遠のいていく。

「…り…ちゃ…」

けど、さっきより少し大きくなったその声が私を連れ戻そうとする。
体が揺れて頭が揺れて、意識が揺れて…

「…かちゃん!!りかちゃんってば!!!」

もう、うるさいなぁ。

「起きろーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「…るさぁ」
「ふぅ…やっと起きたか。って、また寝るなーー!!」
「もぅ…うるさいよ、ひとみちゃん」
「梨華ちゃん、いい加減早く起きないと」
「もぅ〜いい夢みてたのにぃ。気持ちよかったのにぃ」
「寝ながらあたしの胸もんじゃってさ、気持ちよかったのはこっちだよ。って違う!」
「………」
「あぁ、また寝ちゃう。ダメだよ梨華ちゃん、起きて」
「ん〜なんで〜?」
「なんでってバイトだよっ」
「あ………」

そうだった。
バイト、コンビニのバイトだ。

「早く支度しないとまた中澤さんにドア蹴られちゃうよ」
「ひぃっ!!」
「怖かったよね、あれ……。ほらほら、だから起きて起きて」
「わ、わかった。起きたから。ひとみちゃんも早く着替えて」
「ほーい。中澤さん、今日は機嫌悪くなきゃいいけど」
「………そ、そうだね」

そんなことを言いながらひとみちゃんはパジャマを脱ぎだした。
起き抜けの頭から指への指令はスムーズには伝わらないみたい。
ボタンに悪戦苦闘して、泣きそうになりながらこちらを見る。

「りがぢゃーん」
「はいはい。ちょっと待ってね」

私だって起きたばかりなんだから。
ひとみちゃんの前に立ってパジャマのボタンを上から外す。
されるがままでやることのないひとみちゃんがおでこにキスをしてくる。

「ちょっと!ボタンが見えないよ。ひとみちゃん、邪魔」
「がーん」

ショックを受けてるその顔にちゅっとキスをして朝の挨拶完了。

「あとは自分でやってね」

ぽかんとした表情がみるみるうちに崩れて溶けそうになる。
満面の笑みを浮かべたひとみちゃんは大きな声で宣言した。

「梨華ちゃんありがと。今日も一緒にバイトがんばろー!」

パジャマのズボンは膝まで下がり、中途半端に変な格好で。

ひとみちゃんにはやっぱりボタンのないシャツで寝てもらおう。
心の中で決意してからようやく私も着替え始めた。

バイトに行くために。

そう、ひとみちゃんと同じコンビニへ。
中澤店長やカオリンやえりりんがいるあの。




家出騒動の後、私はひとみちゃんと同じコンビニでバイトを始めたのだ。




「きょっうもぅ〜♪りっかちゃんといっしょ!いっしょ!のバイト〜バイバイト〜♪」
「なあにそれ?」
「梨華ちゃんと一緒のバイトの歌。作詞作曲メインボーカル吉澤ひとみ」
「あ、そう…」
「なう!おんせーる!!」
「う、売れるといいね…」

ビシっとキメポーズを作って満足そうだけど足もとでパジャマが絡んでるのがマヌケすぎる…。

「ひとみちゃん楽しそうだね」
「楽しいよ〜。楽しいしめっちゃ嬉しい。だって梨華ちゃんとバイトが一緒なんだもん!」

そう言われて悪い気はしない。
ううん、悪い気どころかむしろ嬉しい。
私だってひとみちゃんと一緒にいられる時間が増えて嬉しいもの。

「梨華ちゃんは?梨華ちゃんも楽しいよね?嬉しいよね?やったー!!」
「あの、まだ何も言ってな…」
「今日も梨華ちゃんとずっと一緒だと思うとバイトに行きたくて仕方ないよ〜」
「そ、そう…」
「あー!!楽しくて叫びたくなっちゃうよ。やっほー!!」
「ひ、ひとみちゃん落ち着いて」

やっほー!!はわかったから、早く支度しないとホントに中澤さんがまた来ちゃう。
今度はドアを蹴破ってくるかもしれない…。
ぶるぶるっと身震いしてからひとみちゃんの足に絡んだパジャマを取った。

「今日はどうしようかな〜。簡単なことじゃないと梨華ちゃん物覚え悪いからなぁ」

むかっ!ちょっと、それは聞き捨てならない!!
よりによってひとみちゃんにだけは言われたくなかった。
ムカついたからパジャマを投げつけて洗面所に行った。

後ろからまた「りがぢゃーん」なんて声がしたけど無視無視。
自分の着る服くらい自分で選んでよね、ひとみちゃん。

「ふぅ…バイトかぁ」

顔を洗ってふと鏡の中の自分を見つめた。
あ、なんか前より黒くなった気がする…なんで?
慣れないバイトで疲れてるから、なのかな。
顔色がなんだかいつもより悪く(黒く)見えるのは。

コンビニでのバイトは私が思っていたよりもずっとハードなものだった。
今までひとみちゃんを気軽に送り出していたときからは想像もつかないほど。
長時間の立ち仕事で体力は消耗するし接客ではひどく気疲れをする。

ひとみちゃんがこんなに大変な仕事をしてるなんて思ってもみなかった。
おバカさんとはいえ、慣れるまでに苦労していた理由がようやく分かった。
ごめんね、ひとみちゃん。
あなたの苦労を分かっていなかった私のほうがよほどバカだったよね…。

「梨華ちゃん邪魔」
「ふぇっ…?」
「いつまでもそんなところで自分の顔見てないで着替えたほうがいいんじゃない?」
「な、なによぉ。その言い方ちょっと冷たいんじゃない?」

私が(心の中で)こんなに謝ってるっていうのに!
ひとみちゃんってば全然分かってないんだから!

「だってあたしだって顔洗いたいんだもーん」
「あ、いつのまにか着替えてる…」
「へへ。偉いっしょ?偉い?偉い?」
「う、うん。偉い偉い。ていうか普通だけど…」
「ヨッシャー!じゃ、誉めて誉めて」
「えーと私もそろそろ着替えなきゃ…」
「りがぢゃーん!!」
「………」
「………」
「………」
「りがぢゃーん…」
「もう!」

無言のうるうるひとみ(瞳)攻撃に根負けした私。
ため息をつきながらひとみちゃんの頭を撫でてあげた。

「えへへ。やったね」
「もう、いつまでも子供みたいなんだから」

柔らかい髪。
撫でているこっちが気持ちよくてうっとりしてしまう。

ふと鏡の中の自分を見た。
なんだかさっきより顔色が良くなってるような…。
たぶん気のせいんだろうけど、でもやっぱりひとみちゃんのおかげかな。
こうして髪を撫でたりじゃれたりしていると疲れなんて忘れちゃう。
ひとみちゃんも私といて同じことを思ってくれたりしてたのかな。

「どしたー?あたしの顔になんかついてる?今日もカッケーっしょ?」

なんとなく悔しくて、妙に気恥ずかしくて、ニヤニヤしてるその顔を左右に引っ張った。






「イチチチ。梨華ちゃんひどいよ〜」
「ごめんね、ひとみちゃん」
「謝るくらいならやるなよな〜」
「だってなんとなく悔しかったんだもん…」
「ん?なあに?」
「な、なんでもない。ほら早く食べちゃおう」

ひとみちゃんはぷんぷんしながらもベーグルにかぶりつく。
そんな姿を眺めつつ、紅茶を飲む朝がすっかり習慣になっていた。
頬をいっぱいに膨らませたひとみちゃんが私のゆで卵に手を伸ばす。

「ダメ!」
「けちぃ」
「卵は一日ひとつまでって決めたでしょ」
「ちぇっ」

モグモグと口を動かしながら舌打ちまでしちゃうなんて器用というかなんというか。

「モグモグモグモグ。あのね、たぶん今日は梨華ちゃんひとりでレジをやってもらうと思うよ」
「えっ!私ひとりで?まだ無理だよぉ」
「無理もなにもやらなきゃ慣れないでしょ。ダイジョーブダイジョーブ」
「大丈夫って…そんな軽々しく。根拠もないのにぃ」
「あたしが出来たんだからダイジョブでしょ」
「あ…」

うわ。すごい納得。
こんなに説得力のあるひとみちゃんって初めてかも…。
そうだよね、ひとみちゃんが出来るんだから私だって出来るよね。
ひょっとしたらサルにでも…って、これは言いすぎよね。

「でもすごいね、ひとみちゃん。ホントに成長したんだね」
「ん?なにがぁ?」
「取らないからゆっくり食べなよ」
「んぐっ…りがぢゃ…み、みず…」
「もう〜。言ってるそばからこれなんだから」

お水を手渡すとひとみちゃんは自分の胸をドンドン叩きながらごくごくと飲み干した。
上を向いた拍子に白い喉もとが見えて、少しドキドキする。
ひとみちゃんの肌なんてもう何度も見たことがあるのに不思議。

首筋にキスマークをつけたらカオリンさんたちに冷やかされるかな?
ひとみちゃんの弱い耳たぶをパクっと咥えてペロっと舐めたら高い声が聴ける…。

「ふぁわ〜。死ぬかと思った」
「………」
「梨華ちゃん、水ありがと。梨華ちゃん?」
「………」
「おーい」
「………」
「梨華ちゃんってば!!!」
「あ、なに?」
「ボーっとしちゃって、何考えてたのさ」
「えっとぉ…それは…」

あなたがたまに見せてくれる女っぽい表情を思い出してたなんて言えません。
たまに聴かせてくれる色っぽい声を思い出してうっとりしてたなんて。
朝から何考えてんの、このエッチ!とか絶対からかわれるに決まってる。

「ははーん、さては」
「えっ?な、なに?!(まさかバレた?)」
「バイトのこと考えてまた不安になってたんでしょ!」
「………そ、そうそう。よくわかったね、さっすがひとみちゃん!」
「ふふっ。可愛いなぁ、梨華ちゃん。ホント可愛いんだから」
「ホント?可愛い?私そんなに可愛い?」
「うんうん。可愛いよぉ〜。あたしが守ってあげるから心配しないでね」

言いながら身を乗り出してきたから私も自然と…そうなるわけで。
食卓を挟んで交わすキスは朝の挨拶といえるような爽やかなものではなく…。

「んっ…はぁん」
「り…か…」

スイッチが入ってしまったひとみちゃんの舌に理性を激しく揺さぶられる。
足の力が徐々に抜けてテーブルに手をついたら紅茶の入ったカップが音を立てた。

「あぅ…はぁっ、ひとみちゃ、ちょっと待って…」
「待てない」
「だめぇ…紅茶が…拭かなきゃ…やぁんっ」
「梨華ちゃんがほしい」

両手で顔を包み込まれて逃げることができない。
むりやり侵入してきた舌になすがまま。
絡めあって求め合って唾液が垂れるのもおかまいなし。

気持ちいい。
どうしよう、ひとみちゃん。
こんなにも気持ちいいよ。
何もかもがどうでもよくなるくらい、気持ちいい。
自分が自分でいられなくなりそうで…ちょっと怖いくらいだよ。

「あぁんっ」

キスだけでは我慢できなくなったのか、ひとみちゃんに乱暴に組み敷かれた。
キッチンのひんやりした床もこの火照りを奪ってはくれない。

「はぁ…はぁ…んあっあああっ」

本当は、私のほうが先にスイッチが入っていたのかも。

私の体を隅々まで知り尽くしたひとみちゃんの手。
一体どんな方法を使って私をこんなにも腰くだけにするんだろう。
触れられた箇所が順に熱くなり、通り過ぎた後は痺れが残る。
ひとみちゃんの手は、指は、唇は、私を想像もつかない場所に連れ去る。

「りか…可愛い。あたしにしがみついてくる可愛いりかがすごく…」



愛しいよ




「りか…」
「あぁああ…ひとみちゃあん…んっあっああ…やぁあああああっ」





いつもより性急に求められた結果、いつもより早く達した。
まるでジェットコースターに乗っているような、それでいて優しく包まれていたような。

「ひとみちゃん…」
「梨華ちゃん…」
「あたしすごく幸せだよ。梨華ちゃんがあたしのそばにいてくれてものすごく幸せ」
「私だって!ううん、私のほうが幸せだもん」
「えー、あたしのが幸せだよー」
「私のが幸せですー」
「あたしだっつの」
「私だもん」
「むむ、強情だな」
「そっちこそ」

おでことおでこをすり合わせながら、笑顔でどっちも譲らない。
頬や唇にキスをするのを忘れながら「あたし」「私」と言い続ける。
私たちってどっちもとってもおバカさんだよね、ひとみちゃん。

「いいこと思いついた!」
「ひとみちゃんがそういうこと言うときって大抵いいことじゃないのよねぇ」
「んなことないよ!ホントにいいことだもん」
「ホント?」
「ホントホント」
「どんなこと?」
「あのね…」

ひとみちゃんが私の耳もとにそっと唇を寄せる。

「ふたりとも同じくらいすんごーく幸せってことで、手を打たない?」
「ふふ。ひとみちゃんお顔が赤いよ。もしかして照れてるの?」
「う、うるさーい!照れてなんか…」

そのとき、ひとみちゃんの言葉を遮るようにドアを叩く音がした。





  「とっくにバイトの時間過ぎてるやんか!!!さっさとドア開けろやボケェェェェェ!!!!」






「キャーーーーーーー!!」
「うぎゃーーーーーー!!」

なんなの今の鬼のような雄叫びは…。
ま、ま、ま、まさか中澤さん?!
ウソ、なんで?え、もうそんな時間?

「さっさと開けろやぁぁぁぁボケェェェェ!!!!!」
「うわぁぁぁぁ。中澤さんめっちゃ怒ってるよ〜どうしよ、りがぢゃーん」
「私だって泣きたいよ〜ひとみちゃーん」

鬼(中澤さん)がドアをガンガンと蹴る音がする。
このままじゃドアが壊される!

「ど、ど、ど、どうしよ。開けたら殺されるよね?ね?」
「そんなまさかいくらなんでも…」
「でも中澤さんあたしたちがバイト中にイチャイチャしてると鬼みたいな顔してるじゃん?」
「鬼みたいっていうか鬼…?」
「うん…見たことないけど鬼そのものだと思う」
「怖っ…」
「で、どうやらかなりあたしたちに頭きてるみたいなんだよね」
「えっ!そうなの?」
「うん。カオリンが言ってた。だからあのドア開けたら殺されかねないよ…」
「え、えぇぇ〜」

ていうかイチャついてくるのはひとみちゃんのが圧倒的に多いじゃない。
私は仕事を覚えるのに(わりと)一生懸命なのに。
そりゃたまには私からイチャつくこともあるけど…でもたまになんだから!たまに!

ドアを蹴る音が段々と大きくなっている。
あのドアを開けたら私たちの命の保証はない…かもしれない。

「どうしよう、ひとみちゃん」
「いつまでもこうしていられない…あたし開けてくる!」
「そんな!ひとみちゃんが死んじゃうよ〜」
「大丈夫。梨華ちゃんを守るって言ったじゃん。あたしは死なないよ!」
「ひとみちゃん…」
「梨華ちゃん…」

ひとみちゃんの両手をギュっと握って頷いた。

「じゃ、あとよろしくね」
「へっ?」
「私、今日限りでバイト辞めるから。中澤さんに言っといて」
「ちょ、ちょっと梨華ちゃん?」
「いってらっしゃ〜い」

おろおろするひとみちゃんの背中を押して玄関へ。
ドンドンという音が大きくなりさすがに手が震えた。

「や、あの、なにその冗談。全然笑えないんだけど」
「中澤さーん、今開けますねー」

パッと鳴り止む音。いまだ!

「えい!」
「うわぁぁぁぁ」

素早く鍵を開けてドアを開いてひとみちゃんの背中を押して素早くドアを閉めて鍵をロック。
この間、実に0.5秒の早わざ。

鬼の形相も見ずに済んだし、我ながら決まった!!

「あ、あ、あ…なんであたしばっかり」

ひとみちゃんのか細い声が聴こえてくる。
それから少しして断末魔のような叫び声。

「りがぢゃーん、助け………ぐぇぇっ」




ごめんね、ひとみちゃん。
お仕事がんばってね。



二人のペアリングのためにファイッ!











<了>


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