イッツ・オンリー・ラブ






「あの掃除機のコード…なんだか嫌な予感がする…」


ひとみちゃんのところを飛び出してからどれくらい経っただろう。
哀しくて寂しくてどうしようもできなくて、私は涙に暮れる毎日を送っていた。
自分から飛び出しておきながらバカな話だけど。

「危ない!あぁ…もぅひとみちゃんってば、やっぱりコードに引っかかっちゃった」

戻って素直に謝ればいい。
そんなのは自分でも分かっている。
でも、ごめんねを言ってそれで全てがうまくいくのかな?

「大丈夫かしら…?あんなに思いっきり頭を打って。もともとバカな頭が余計…」

だって、私はもう…ひとみちゃんに必要とされていないんだから。
私の役目はもう終わって、ひとみちゃんはすっかり一人でもやっていける。
私なんかいなくったって、ひとみちゃんは平気なんだもん…。

「ちょっと!カオリンさんってば勝手にひとみちゃんの頭をナデナデしないでよ!!」

ハンカチを取り出して目許を拭おうとしたらありえない光景が目に入った。
いくらひとみちゃんが派手に転んだからってお客さんそっちのけで助けに行く?
カオリンさんってまさかひとみちゃんを狙っているんじゃ…。
だってあの目つきといい手つきといい腰つきといい怪しすぎるもん。
お客さんも見とれちゃうほど二人の世界を作ってるし!

「ひとみちゃんのバカ…来なきゃよかった…あんなの…見たくなかった」

ひとみちゃんのもとを走り去った翌日。
どうしても気になって早速戻って来てしまった私。
コンビニ前の地味な喫茶店で毎日、ひとみちゃんの働きぶりを観察している。

コンビニの制服に身を包んだひとみちゃんは見た目はいつものひとみちゃん。
家から慌てて飛び出してくる姿も、お昼のあとの眠そうな顔も何も変わってない。
中澤さんに怒られて肩を落とす後姿も、えりりんと楽しそうに談笑してる笑顔も何もかも。

私が見てきたひとみちゃん。
私といつも一緒にいたひとみちゃんが、そこにはいた。

「あぁ…お客さんが苦笑してる…またお釣り間違えたのかしら…?」

頭を下げるひとみちゃんの顔は真剣そのもの。
お客さんがこぼしたおでんの残骸を掃除するひとみちゃんはすごくきびきびしている。
そういう姿を見るとやっぱり成長したんだなぁ、と実感させられる。

寂しいが半分。
悔しいがもう半分。
かっこいい、ともちょっと思う。

何やってるんだろう、私。
こんなに近くいるのにバカみたい。
ひとみちゃんに会いたくて会いたくて仕方ないのに。
ホント、バカみたい。

「そろそろ終わる頃ね…」

ひとみちゃんが制服を脱ぎながら奥へと消えていく。

「歩きながらなんて、だらしないよ」

私の声はひとみちゃんには届かない。
遠い後姿に向かってそれでも声をかける。届くはずなんて、ないのに。

「お客さんに見られちゃうよ。ちゃんと奥で脱がなきゃダメじゃない…」

するとひとみちゃんの足が止まった。
ゆっくり振り返って一瞬こちらを見たような気がした。
もしかして気づかれた?体に緊張が走る。わずかな期待。
でも現実は無情で、私以外に笑顔を向けるその顔になんの罪もない。

「ひとみちゃんのバカ…」

優しいまなざしは私ではなくえりりんやカオリンさんへのものだった。




バカは、私だ。




バイトを終えたひとみちゃんが家に入るのを見届けてから喫茶店を出た。
ミルクティー1杯で何時間も粘る私はどう思われてるだろう。
申し訳ないな、と思いつつ毎日来てしまうのだけれど。

仮宿のホテルに帰る道すがら、いくつものコンビニを通り過ぎる。
どこにでも現れるこのお店は名前のとおり便利なんだろうけど、今の私にはひどく不便だ。
だって、どうしてもひとみちゃんを思い出すから。
思い出しても胸を痛めるだけだからコンビニなんて見たくない。
ひとみちゃんとの思い出がいっぱい詰まったコンビニなんて。


『梨華ちゃん、モミティーでいい?』
『うん?』
『好きでしょ?駅向こうのコンビニにしかないからちょっと時間かかるけど行ってくるね!』
『えっ…好きだけど…あっ!ひとみちゃん、ちょっと待って…』
『いいの!梨華ちゃんのためなら全然平気だから!』


夜中になぜか二人してパッチリと目が覚めたときのことだったかな。
喉が渇いた、なんてポツリと漏らしたらひとみちゃんは
止めるのも聞かずにすぐに家を飛び出して行った。
駅向こうに行く道がちょうど工事中で通行止めだったから随分と遠まわりしたんだろうな。

だから息を切らしながら帰ってきたひとみちゃんに「冷蔵庫にストックがあったのに」なんて言えなかった。
だってすごく嬉しかったから。泣きそうなほど嬉しかったんだよ。

重いドアを押して夜だというのに昼間のように明るい店内に足を踏み入れる。
いらっしゃいませの後についてくる挨拶も明るい。
ひとみちゃんの大好きなコンビニ。
大抵のものが揃っていて、いつでも明るくて行きたいときにそこにある。
誰もいないお菓子売り場に新製品に目を輝かせるひとみちゃんの姿が見えたような気がした。

「いるはずなんて、ないのにね…」

私がいなくてもひとみちゃんは変わらずにバイトを続け、コンビニに行っている。
まるで私がいたことなんて嘘のように日常を過ごしている。
私もそろそろ違う日常を見つけないといけないのかな。
こうしてコンビニを訪れてもひとみちゃんを想って胸が痛まない日常を。

来てほしくない。そんな日常なんて。
でも見つけなきゃいけない。ひとみちゃんを忘れるためには。

こんなふうに明日こそは絶対に、と決意をしつつもまた来てしまう。
ひとみちゃんの働くコンビニへ。
ちょっと見てすぐに帰ろうと思っても気づけば時間はあっけないほど進んでいる。
結局またひとみちゃんの働く姿を眺めながら冷めたミルクティーを飲むことしかできずにいる。

ひとみちゃんはあんなに立派に働いている。
私のことなんて、きっと思い出してもいないんだろう。
楽しそうに、そして一生懸命に働いている。
シフトが変わったのかバイトに入る日数も増えているみたい。
よほど充実してるんだろうな。だからあんなに働いてるんだろうな。

「もう…やだよぅ」

ついこの前まで自分も出入りしていた家のドアが今はあんなに遠く感じる。
すぐ傍で見ていても、私には決して手が届かない。
家の中に消えていく後姿を今日も見送って、そして私は別のコンビニに向かう。
一日中コンビニを見ていて一日の終わりにもコンビニに寄るなんて。
まるで私のほうがコンビニ好きみたい。
そんな他愛のないことを考えては一人でクスリと笑って、それから空しい気持ちになる。

それでも私は向かう。ひとり寂しく、駅向こうのコンビニに。
ひとみちゃんが息を切らしながら買ってきてくれたモミティーを買うために。

「梨華ちゃんってバカだよね」
「うん、バカだと思う」
「あたしのことバカバカ言ってたけどさ、梨華ちゃんのがバカじゃん」
「ホント、そうだよね…ごめんねひと」

って、ええ?!ちょ、ちょっと待って!

「ちゃんと言えるじゃん『ごめんね』って」
「ひ…とみ…ちゃん?」
「なに?たかが3日会わないうちに忘れちゃったの?あたしの顔。やっぱり梨華ちゃんバカだよ」
「え?3日?…3日、しか経ってないの?」

目の前に、なぜかひとみちゃんがいた。
一瞬、夢かと疑った。そして自分の目と頭を疑った。
ああ、私ついに壊れちゃったんだ。どうしよう、困っちゃうな。
でも手の中からひょいっとモミティーを奪われて、その喪失感から現実を悟った。

ひとみちゃんが、ここにいる。

「日にちも数えられないくらいバカになっちゃったの?梨華ちゃん」
「え…や…ちが、違う違う。そうじゃなくて…」

だって、私の中ではひとみちゃんと会ってない時間がとっても長く感じられたんだもん。
たかが3日なんて言わないで。私には300年くらいに思えるほど長かったんだから。

「ほら、出るよ」
「う、うん。待って」

ふいに手を引っ張られてドキっとした。
ぶっきらぼうに握られたけどとても嬉しかった。
温かくて懐かしい、ひとみちゃんの手だと思った。

「ね、ねぇ。なんでここにいるの?バイト終わって家に帰ったんじゃなかったの?」
「偶然」
「え?」
「なんかムショーにモミティー飲みたくなって…来たら、梨華ちゃんがいた」
「……そう、なんだ」
「なんで帰ってこないの?」

コンビニの外のベンチに腰掛けて吐き出すようにひとみちゃんは言った。

「もうあたしのこと好きじゃない?」
「そんなことない!」

よかった。
泣き出す前に即答できた。

ひとみちゃんの横に座って、自分の両手を固く握り締める。

「ひとみちゃんがどんどん成長していっちゃって…怖かった」
「怖い?なんで?」
「私の傍から離れていくような、遠くに行っちゃうような気がして…」
「そんな…そんなわけないじゃん!」
「もう私なんて必要とされてないのかなって…」
「梨華ちゃん…」
「わ、私がいなくても…平気、なんでしょ?」
「あれは…違うよ。ごめん。だってその前に梨華ちゃんがおかしなこと言うから、つい…」
「ううん。私が悪かったの。自分でもバカだと思う」
「あんなことホントは思ってないよ…あたしには梨華ちゃんが必要なんだから」
「ホント…?」
「あたしもバカだけど梨華ちゃんも相当バカだったんだね」

モミティーのキャップを開けてひとみちゃんが口に含んだ。
途端に顔をしかめて咳き込む。

「だ、大丈夫?ひとみちゃん」
「ごほっごほっ、喉にひっかかったぁ」
「もうっ!慌てて飲むからだよ」
「モミティーだってこと忘れてた。ぐにゅぐにゅが来てびっくりしたー」

ぐにゅぐにゅって…タピオカでしょ。
もう。相変わらずおバカさんなんだから。

「こんな駅向こうのコンビニまで来るほどモミティーが飲みたかったの?」
「………」
「ねぇ、ひとみちゃん?」
「寂しかったから。梨華ちゃんいなくて…すごく寂しかったんだもん……」
「ひとみちゃん…」

ひとみちゃんも私と同じように寂しいと感じていたの?
離れている私のことを想ってモミティーを買いにここまで来ちゃったの?

「寂しかったよ〜うわぁぁぁ〜ん」

私の腰に抱きついて、膝に顔を押しつけてひとみちゃんは泣き出した。
溢れてくる涙を止められなかったのはこのおバカさんだけじゃなく。

「ひとみちゃん…私も、私も寂しかったの…えーんえーん」

もう一人のおバカさん…私もみっともなく泣いていた。
固く握っていた手を解いて、顔に押し当てて子供のように泣いた。

「バカバカバカ。梨華ちゃんのバカ」
「えーん。バカバカバカ。私のバカ。ひとみちゃんのバカ」
「ひっぐ、ひっぐ、あた、あたしより、りがぢゃんのがばがだもん」
「だってひとみちゃん、私がいなくても平気でバイトしてたじゃない」
「ふぇ?」

私のスカートで涙を拭いてひとみちゃんが顔を上げた。
絶対、鼻水もこすりつけたよね。お気に入りのスカートなのに…。
手の甲で涙を拭いたら目の端がヒリヒリした。

「忘れちゃったの?梨華ちゃん」
「なにを?」
「あたしがなんでバイトしてるか」

なんで、バイトしてるか…?

「な、なんだっけ」
「うわっ!ひでぇ!!オソロイのピアスを買うためじゃーん!」
「あっ…」

うっかり、今の今まですっかり忘れていた。
こんな大事なことをどうして忘れていたんだろう。
ひとみちゃん、バイト、コンビニっていうキーワードは揃っていたのに。

私は肝心なことが目に入っていなかったんだ。
自分の勝手な感情で頭がいっぱいになって。
もうホント、呆れるほどバカでイヤになっちゃう。

「あたし、頑張って働いてピアス…じゃなくて、ペ、ペアリング買おうと思って…」
「うそっ?!」
「そ、それで、梨華ちゃんを、む、迎えに…ゴニョゴニョ」
「え?なになに?聞こえないよ!ひとみちゃん!」
「だから、り、梨華ちゃんを、む、む、む、迎えに…うあぁ!恥ずかしい!!」
「ちょっと!!ちゃんと言いなさいよー!」
「ヤダヤダ。やっぱ無理。ごめん梨華ちゃんサヨナラ」
「こらぁー!ひとみちゃん!!」

脱兎の如く逃げだすひとみちゃんを追いかける。
本当はしっかり聞こえてたけど、でもちゃんと言わせたいもん!

不安になんてもうならないから。
大好きなひとみちゃんを信じるって誓う。

だから、ねぇお願い。
もう一回だけ聞かせて?


「ひとみちゃん待ってよ〜」
「やだよ〜」
「ペアリングを買ってどうする気だったの〜?」
「しらないしらない。しらないもん」
「もう〜!」


泣いたり笑ったりむせたり思い出したり。
そして必要と言ったり言ってもらえたり。
いろんな気持ちの傍にはまたコンビニがあった。


「ひとみちゃんちょっと待ちなさい!ホントに待ちなさい!!」
「梨華ちゃんマジ怖いから…ごめん、やっぱ無理!!」
「こらぁーー!!」


そして夜中に追いかけっこをしているおバカな私たち。
ワーワーキャーキャー叫びながら、ご近所迷惑なんて省みず。

そんな二人をやっぱり、コンビニだけがずっと見ていた。











<了>


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