ドント・レット・ミー・ダウン






秋もすっかり深くなってきて、コンビニには肉まんやおでんが並ぶようになった。
コンビニの制服も夏服から秋仕様に様変わりした。
近いとはいえ外から帰ってくるひとみちゃんの「ただいま」を言う顔は赤く染まっている。

「うわー。あたしめっちゃおでん臭くない?ねぇねぇ」
「うん、ちょっとあれだね。におう」
「だよねぇ。におうよね。もう、やんなっちゃうよ」

バイトから帰ってきてすぐお風呂に入るのが最近のひとみちゃんの習慣だ。
私の鼻に着ていたシャツを押し当てて、毎回、必ず同じことを聞く。
くんくんニオイを嗅がせると満足そうに服を脱ぎ捨てて寒そうに浴室へと向かう。

「ホントにイヤなのかな、あれ」

口調とは裏腹に、ひとみちゃんは毎日すごく楽しそう。
おでんの仕込みや肉まんを補充したり包んだりっていう(ひとみちゃんにとって)複雑な仕事が増えたのに。
コンビニの仕事にもようやく(ホントにやっと)慣れてきて仕事をすることの楽しさを学んだのかな。

脱ぎ捨てられた洋服を拾いながらひとみちゃんの後を追う。
もう一度、おでんくさい洋服を嗅いでみる。うー、おでんだ。
洗濯機の中に放り込んで浴室を覗くとひとみちゃんは必ず、絶対に、泡だらけ。

「よく洗い流さなきゃダメよ」
「ほほーい」

ひとみちゃんはいつも、シャンプーをこれでもかと使って泡立てていろんな髪型を試すのに夢中。
私の声なんて耳に入っているのかどうか怪しいものだ。
だって、今だって頭の上でソフトクリームを作って(ソフトクリームだと思いたい)鏡を覗き込んでいる。

はぁ〜。なんか上機嫌なのはいいんだけど。けど…。

「りっかちゃーん!一緒に入ろうよ〜」
「ヤダ。また私の髪で遊ぶつもりなんでしょ」
「うん!水死体ごっこやろうよ」
「絶対イヤ」

はぁ〜。なんだかなぁ。
ひとみちゃん、ここのところなんだかとっても楽しそうにバイトに行く。
楽しそうなのはもちろんいいことだし、私も嬉しいんだけど…。

でも、なんでだろう。
楽しそうなひとみちゃんを見ていると、胸が少しだけ苦しくなるのは。

「りかちゃーん!でたよー!」
「はいはい、いま行くから。濡れたままそのへん歩くのはやめてね」
「はやくはやくー」

すっぽんぽんで待ち構えるひとみちゃんをバスタオルで包んであげる。
水滴を拭き取って、目が合うたびにキスをする。
唇はほんのりと温かくて気持ちがいい。
お風呂あがりでホカホカ顔のひとみちゃんを抱きしめる幸せ。

抱きしめて、抱きしめられておでんのにおいが消えたその体を堪能する。
たまに気持ちが昂ぶったときはそのまま始めてしまう。
ひとみちゃんの肌にいくつも唇を落として、私の痕をつける。私のものっていうシルシを。

私に負けず劣らず感じやすい(と思う)ひとみちゃんは背中が弱点だ。
唇で愛撫してあげると可愛い声を漏らす。
私にだけ聴かせてくれるそれは普段のおバカさんぷりからは想像できないほど艶のある声。

私だけだよね?
私だからこんな声をあげるんだよね?

私にしか見せない顔
私だけが知っている声
私だけが感じさせることができるこの体。

ずっと私だけのものでいて。私だけのひとみちゃんで。

確かめるように一心不乱に舐め続ける。
ひとみちゃんみたいに緩急をつけるような器用なことはできない。
ホントはそうしたほうがもっともっと感じてもらえるのかもしれないけど、余裕ないんだもん。
こんなときに不器用な自分が悔しいな。

「んっ…り…か……もう…」
「ひとみちゃん気持ちいい?」
「うん…すごく……あぁっりかちゃっ…んっ…あぁぁぁぁ」

浴室で果てるからひとみちゃんの声はいつもすごく響く。
快感の余韻に浸るその顔が赤いのは、照れくささもたぶんあるよね。
私より大きな体を無防備に震わせてとろんとした目を見せるから堪らない。
何度も何度もキスをして、何度も何度もひとみちゃんの声を聴きたくなる。


「ひとみちゃん大好き…すごく好きなの…ひとみちゃん……」


いつのまにか浴槽に沈んでいることが多いバスタオル。
本来の役目を果たせずに頼りなげに底を泳ぐ。
私の服もバスタオルほどではないけれど水分を吸ってどうしようもない状態で。
脱ぐのに苦労しているとひとみちゃんはいつもイタズラをしながら手伝ってくれる。

脇をくすぐったり胸を触ったりしながらボタンを外すのに苦心して。
袖口をむりやり引っ張って伸ばそうとするからやめてやめてと止めにかかる。
まだ脱いでいる途中なのにシャワーを出して顔にかけて遊ぶから私はもう!と怒ったフリ。
そんなことをしつつ突入する私のバスタイム。
ひとみちゃんにとっては、二度目の楽しいバスタイム。

ゆっくりお湯につかって体の芯まで温まって再びバスタオルにご登場願う。
お互いの体を拭きあって、やっぱりキスもしちゃって、なんて幸せなんだろう。

でも犬みたいに頭を振りまわすのは水滴が飛ぶからやめてよね、ひとみちゃん。





「今日はね〜中澤さんが仕入れを忘れててあたしが教えてあげたんだ」
「すごいね、ひとみちゃん」
「えりりんが試験近いっていうからシフト代わってあげたし」
「偉いねぇ」
「カオリンには袋詰めが早くなったって誉められたよ〜」
「すごいすごい。ひとみちゃんすっかり一人前だね」
「うん!えへへ。あたしすんげー成長したっしょ!」

中澤さんから聞く限りひとみちゃんの成長ぶりはホントのところとてつもなく遅かったらしい。
言われなくてもわかるっていうか、そんなのは予想どおりのこと。
あまりにも使いものにならなくてクビにしようとしたことも何度かあったらしい。
でもここまで使ってくれてたなんて、中澤さんってけっこう辛抱強いのかな。

普通の人の10倍くらいの期間を経てようやく、ひとみちゃんはバイトらしくなった。
それも普通の、可もなく不可もなくそこそこのレベルのバイト。
スタートがスタートだったから相当の伸びしろに見えるのが得だと思う。

「最近カオリンによく誉められるんだよね〜。えりりんも尊敬の眼差し?みたいなのしてるときあるし」
「ふーん」

それは目の錯覚じゃないかな?えりりんが聞いたらどう思うんだろう。
心で思っていることをそのまま口にするほど私はコドモじゃない。

カオリン『さん』(年上らしいので)はどうやらひとみちゃんを溺愛…愛なんて使いたくない。
えっと、溺愛じゃなくて…そうそう、甘やかしてるフシがある。

「ひとみちゃんとっても楽しそう」
「うん!楽しいよ。バイトって楽しいんだね」
「よかったね」

おバカさんで世間知らずで何もできなかったひとみちゃんはもういない。
私がいなきゃ生きていけないような、ひとみちゃんはもういなくなってしまった。
それはきっと喜ばしいことなんだけど心から「よかった」と思えないのはなぜだろう。

「あたしってけっこうやればできる?のかなって」
「うんうん」
「自信、じゃないけどなんかね、思った。最近やる気マンマンなんだ」
「ホント成長したんだね、ひとみちゃん」

お風呂から上がればすっぽんぽんでそこらじゅうを歩き回って床を濡らすけど。
喋るのに夢中になると箸を持つ手がおろそかになっておかずをこぼすけど。
朝には相変わらず弱くてボタンのあるシャツを着るのに恐ろしいほど時間をかけるけど。

「成長しちゃったんだぁ…」

もうひとみちゃんは、少し前のひとみちゃんではない。
私がいなければ生きていけない子ではなくなってしまった。
自分で働いて、働く喜びを知って、自覚している。
やればできるということを。
身を持って学習したそれはひとみちゃんの生きる糧になるんだろう。

すごくいいことだ。誰に聞いたって、すごいねとよかったねと誉めてくれるだろう。

「梨華ちゃん?」

なのにどうして。
私はどうしてこんなに悲しいんだろう。寂しいんだろう。
ひとみちゃんが喜んでいるのにどうして一緒に心から喜んであげられないのかな。

「梨華ちゃん?ご飯粒ついてるよ。ほら」

ひとみちゃんの指が伸びてきて私の唇を掠めた。
白くて小さな粒がついた指先に見とれてると、白いそれはひとみちゃんの口の中へと消えた。

「まったく、梨華ちゃんもけっこうたまにコドモだよね」

ひとみちゃんが笑う。
その笑顔はどこか今までとは違う大人の笑み。
私の知らないひとみちゃんが笑っていた。


「そんなのひとみちゃんに言われたくない」


思いのほか低い声だった。自分にしては、だけど。
ひとみちゃんの低くて静かな声とは全然違う。嫌な声。

「ひとみちゃんのがよっぽど子供じゃない」
「どしたの突然」
「私より全然子供で、何もできなくて、真っ暗な部屋じゃ寝れないくせに」
「梨華ちゃん?」
「暑いからってアイスばっかり食べてお腹壊したり、寒いからってホッカイロ体中に貼ってヤケドしたり」
「ちょっと、梨華ちゃん」
「すぐに道に迷うくせに人には聞けない小心者で、泣きながら電話してきても自分のいる場所を説明できなくて」
「り、梨華ちゃん?落ち着いて」
「ボーっとしてるからしょっちゅう転んだり階段から落ちたり…注意力なんてこれっぽっちもないくせに」
「さっきからどうし」
「そんなひとみちゃんがちゃんとバイトなんてできるわけない」
「………」
「できるわけないじゃない!そんなのひとみちゃんじゃない!!」

何を言ってるんだろう。自分は何を。
こんな意地悪な口調をよりによってひとみちゃんに向けて。
小心者なところも注意力散漫なところも、ご飯粒を取ってくれる優しいところも
本当はどれも等しく愛しいのに。
どうして私はひとみちゃんにこんなことを言ってるの?

「怒るよ」

ひとみちゃんの、私よりも数段低い声に体がビクっと反応した。
怖くて、それ以上に自分が情けなくてひとみちゃんの顔が見れなかった。

「梨華ちゃんどうしたの?」
「………」
「なんか言いなよ」
「………」

違うの
そうじゃないの
本当はそんなこと思ってないの
嫌なこと言ってごめんね

声を出したら泣いてしまう。
口にしたい言葉は愛する人には届かない。
涙をこらえるのと一緒に、言葉も飲み込んでしまったから。

「梨華ちゃん…」
「あ、あのね…」

ひとみちゃんが遠くに行っちゃったみたいで怖かったの。

「あたしは梨華ちゃんがいなくったって、平気だよ」

伝えたかった大切な言葉はひとみちゃんからの一言で無残に砕け散る。

「平気だよ。あたしは一人でも、もう。やっていける」
「そう………」

ひとみちゃんは平気なんだ。
もう一人でもやっていけるんだ。
私はもう…必要じゃないんだ。

それきりひとみちゃんは私に背中を向けて、膝を抱え丸くなっていた。



気づくと私は外に出ていて、自分のブーツの先を見つめていた。
不思議と寒くはなく、でも吐く息の白さから秋の深まりをまた感じた。
夜空を見上げても星はなく、雲に覆われたお月様も今夜はどこにいるのか分からない。

丸まった背中を思い出して、首を振る。
コンビニの灯りが目に入り思わず逸らした。

そして私は逃げるように走り出した。
コンビニから、ひとみちゃんから遠ざかり、無我夢中で。



夜の街を、何かから逃げるように走り出した。











<了>


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