ハード・デイズ・ナイト






ひとみちゃんがコンビニで働きだしてから一週間が経った。

「梨華ちゃーん、もうあたしヤダよぉ」

半べそで抱きついてきたひとみちゃんを優しく包み込む。

「よしよし。ひとみちゃん、今日は何をやらかし…じゃなくて、どうしたの?」
「あんさー、お客さんがさー、弁当買ったのねー」
「うんうん。それでどうしたの?」
「あたし、一応あたためますかって聞いたのー」
「一応って…お弁当なんだから聞くのは当然でしょ」
「だって、知らない人と喋りたくないんだもん」

知らない人じゃなくてお客さんでしょ…。

「そ、それでお弁当を温めたの?」
「やっぱりオムライスはさー、あったかくないとウマくないじゃん?」
「オムライスだったんだ。ひとみちゃん好きだよね、オムライス」
「うん!オムライスだいすきー!やっぱり下のコンビニが一番ウマ…」

ピクン、と片方の眉が上がった私を見てもいないのに、微妙に空気が変わったことを
肌で感じたのか、ひとみちゃんは言いかけた言葉を飲み込んだ。
最近、外で働きだしてからというもの、このちょっと頭の足りないおバカさんは少しだけ勘が良くなったみたい。
ぶんぶんと慌てて首を振ってから、私の胸に埋めていた顔を上げた。

「梨華ちゃんのオムライスが世界で一番おいしいです!!」

そんな元気いっぱいに白々しい宣言をされても。
コンビニのオムライスに私の作るオムライスが敵うはずないのは明らか。
ひとみちゃんの好きなものランキングは常に「コンビニの〜」っていう形容詞がついたもので埋まっているから。
たぶん、私を除くすべてのものに。

「…それで、温めますかって聞いた続きは?」

そんな呆れるほどのコンビニ好きだけど私の愛しい恋人には違いない。
今日も柔らかい髪を梳きながらひとみちゃんの話を聞いてあげる。
この可愛い恋人は、私が思っていたよりもおバカさんが過ぎるみたいだけど。

「お願いしますって言われてー、だからあたし、レンジに入れたのね」
「うん」

お弁当を買って、温めてもらう。コンビニの基本よね?

「したらさー、ボンッて」
「ボンッ?」
「そう。ボンッ」
「………ひとみちゃん、何をしたの?」
「だからオムライスをあたためたの」
「それでボンッ?」
「ボンッ」

ボンッて。もしかしてそんなまさかそれはあれのことかしら。
たぶん、常識では考えられないことだけど


………破裂音?


「あんなに恐ろしい惨状を見たのは生まれてこのかた初めてのことだったよ」

随分と感情のこもってない声でサラッと言うのね、ひとみちゃん。しかも他人事みたいに。

それにしてもボンッなんて、何をどうしたらレンジからそんな音が聞こえるのよ。
想像するだけでも怖いけど、レンジを開けたところはちょっと見てみたかったかも。
怖いもの見たさってやつだわ。人間の性よね。

「オッサンもあたしも口ぽかーんでさ。あ、オッサンってオムライス買った人ね」
「もしかしてひとみちゃん、温めすぎたの?」
「おー!梨華ちゃんさすが!なんでわかったのぉ〜?」
「さあ?なんでだろうね……」

きっと、家でチンするのと同じ感覚で温めたんだろうなぁ。
よくは知らないけどコンビニのレンジって家庭用のものより強力なんでしょ?
短時間であそこまで温かくなるものを何分も入れていたらボンッだよね…。

本当に凄いと思ったのか、私を見上げるひとみちゃんの目がやけに輝いている。
心の中でため息をついてから、少し伸びてきた前髪を上げておでこにキスをした。
とくに意味はなかったけど、なんとなくしたくなったから。そこにおでこがあったから。

「それで…店長さんにまた怒られた?」
「ふぇっ、ふぇーん。聞いてよ、梨華ちゃーん。あの鬼ババちょーこえぇんだよぉ。殴るんだよぉ」
「いい子だから泣かないの」
「ちょーこえぇの〜。ちょーちょーイテェの〜」
「ちょーちょー言わないの!」
「ウェーン。あたしもうヤダよぉ。怒るんだもん。殴るんだもん。関西弁で怒鳴るんだもん。ウェーン」
「よしよし。怒られちゃったのね。殴るなんてヒドイねー」
「ヒドイよー。ヒドすぎだよー。しかもグーだよグー。ふぇーん」
「うんうん。ひとみちゃん、わかったから。もういいから泣かないで」
「ぐすん…ふぇ、ふぇーん」

甘えんぼモードに入ったひとみちゃんは可愛いんだけど、正直手がつけられない。
普段はそうでもないのに、いったん泣き出すとどんなになだめたって泣き止まない。
それでも最初のうちは撫でたりキスをしたりして慰めるんだけど…

「うわーん!あたしやっぱ辞めるー!!えーんえーんえーんえーん」

私の胸にグリグリと顔を押しつけて泣くから洋服が涙でぐっしょり。
腰をがっちり掴まれてるから逃げることもできない。
泣き声はうるさいし、鼻水とかもきっと服にたっぷりついてる。

そろそろ我慢の限界かも。

「もうっ!いい加減にしてよね!!ボンッなんてやらかしたらそりゃ殴られるわよ!」
「うわーん!梨華ちゃんまでグーで殴ったぁ〜。ヒドいよぉ」
「ボンッだよ?ボンッ?オムライスがボンッてありえないじゃない!」
「だって、だってぇ〜」
「だってじゃないの!!」

『の』に力を込めた勢いで立ち上がると、その拍子に抱きついていたひとみちゃんがコロンと転がった。
そのままコロコロ転がって部屋のすみっこまでいくと、振り返ってなんとも言えない表情で私を見る。
涙で真っ赤になった大きな瞳。そんな頼りなさげに見られたらたまらない。
壁際で背中を丸めて、グズグズと泣く姿にも胸がきゅんとなる。

「ひとみちゃん、乱暴にしてごめんね…」
「梨華ちゃん…」
「どこも痛くない?頭とか打ってない?もう泣かないで」
「うん。ダイジョブ。でも梨華ちゃん…」
「うん?」
「慰めて…」

あれ?

ひとみちゃんの背中を見ていたはずなのになぜか天井が見える。
天井…と、ちょっとニヤついたひとみちゃんの顔が。

「え?え?え?なな、なに?急にどうしたの?」
「だからー、あたし凹んでるの」
「うん。知ってる」
「梨華ちゃんに慰めてほしいの」
「は?」




「体で」




体で?と思ったときにはもう遅い。
一体どういう技なのか、ひとみちゃんはいつもほんのわずかな時間で私の服をすべて脱がせてしまう。
その器用で俊敏な動きをバイトのときにもっと発揮できればいいのにね。

「ひゃんっ」

私の素肌をひとみちゃんの唇がさらさらと撫でるように滑っていく。
すでに熱くなっている体に腰をくねらせて、ひとみちゃんの服を引っ張る。
私だけ裸なんてズルイ。ズルイっていうか素肌を触れ合わせたい。

「ひとみちゃん、も…」
「んあぁ。りかひゃん、ひょっとまっへね」
「んんっ…」

胸に吸いついたまま喋られて、漏れる息に感じてしまう。
私の上にのしかかったまま服を脱ぐひとみちゃんは、少しの間も私から目を離さない。
どこを見ているのかなんて、今さら確認しなくてもわかる。
上から下まで舐めるように私を見るひとみちゃんにゾクゾクとしたものを感じる。
熱っぽい視線を浴びながら、さっきまでの涙はなんだったのかしら…とふと思った。





終わり、満足げな顔で眠りにつこうとしているひとみちゃんの背中を指でそっと撫でた。

「うーん…梨華ちゃん…」
「ひとみちゃん、元気でた?」
「ん?元気っていうか元気を吸い取られた感じだけど…。なんで?」
「さっき私の体で慰めてって言ったじゃない。もう忘れたのー?」
「あ、そっか。それでエッチになったのか。忘れてた」
「もうっ!ひとみちゃんってば!」
「だって梨華ちゃんが『もっともっと』ってねだるからクタクタになっちゃったんだもん」

たしかに…何度も何度も求めちゃったけど。
でもそれはひとみちゃんがいけないんだからね。
私をあんなに感じさせてくれるんだもん…。

なんてウットリと思い返していたら、隣から聞こえてくる規則正しい寝息。

ちょっとぉ、ひとりで勝手に寝ないでよー。
つまんないつまんないつまんないつまんない。

ひとみちゃんがバイトに行ってるときもつまらないけど、それは我慢できる。
だってお仕事だし、2人のピアスのために頑張ってくれているのがわかるから。
でもせっかく2人でいるのにひとみちゃんは寝ちゃって、私はつまらないなんて。

こんなのおかしい。

「ボンッかぁ…」

ボンッはともかくとして、ひとみちゃんはレジに立つこと自体がとにかく苦手みたい。
お客さんの顔もまともに見れないし、お釣りは間違っちゃうし、商品は袋に入れ忘れるし。
焦ると挙動不審になるって店長の中澤さんが呆れながら言ってたっけ。
もともと人見知りが激しくて愛想笑いも引きつっちゃうようなコだからサービス業には向いてないのかな。
ていうかひとみちゃんに向いてる仕事なんて何も思いつかないんだけど。

今はまだ新人だし、そのうち慣れるだろうということで大目にみてもらっているけど
こんなことがずっと続いたら働かせてもらえなくなりそう…。

「そうだ!いいこと思いついた!!」

ひとみちゃんと練習しよう。
私がお客さんの役をして、ひとみちゃんがレジ係。
店長さん他に呆れられないように接客の練習をすればいいんだ。

我ながらいい思いつきだわ。
つまらない時間も終わるし、一石二鳥ってこういうことを言うのね。
思わず手を叩いた喜んだけれど、壁に背中をくっつけてこちらを向いているひとみちゃんは眠ったまま。
寝顔があまりにも可愛いらしくて、ぷにぷにほっぺを優しくつついた。

「ひとみちゃん、起きてー」

それでもひとみちゃんは起きない。優しくしすぎたかしら。
柔らかいほっぺをつまんで左右にグーンと伸ばしてみる。

「ひとみちゃーん。私いいこと思いついたんだよー?」
「うぅ…」

眉間にしわを寄せて、私の手を払うようにいやいやをするひとみちゃんもやっぱり可愛いな。
でも起きてもらわないと始まらないの。練習しないとひとみちゃんクビになっちゃうよ?
ごめんね、と心の中で謝りながら両肩を掴んだ。

「ひとみちゃんひとみちゃんひとみちゃんひとみちゃんひとみちゃーん!!!」

ひとみちゃんの長い首がガクンガクンするほど前後に揺らした。

「うわあぁぁぁぁ!!た、たすけてーーー!!」

叫びながら飛び上がったひとみちゃんの目には心なしか涙が滲んでいた。
我に返って座り直しても首はまだ少しガクガクしていて、その動きがなんだかちょっと面白かった。

「あ、あにすんだよー」
「うふふ」
「梨華ちゃん、あたし寝てたのね。わかる?」
「あのね、私いいこと考えたの」
「人の話し聞けよ…」
「ひとみちゃんこそ聞いてよー」
「絶対いいことじゃないでしょ、それ」
「あのね、これ絶対ひとみちゃんのためになるから」
「だから人の話を…」
「レジの練習をしようよ」
「れじのれんしゅうぅ?」
「そ。私がお客さんになって、ひとみちゃんがレジをやるの」
「なんだ。レジごっこか」
「ごっこじゃないわよー。練習して慣れるのが目的なんだから!」
「なにもこんな夜中にやらなくても…」
「だってひとみちゃん、このままじゃまた店長さんに怒られるよ?」
「うぅ…それはカンベンしてほしー」
「ね。やろう?」
「う、うん…」

眠たげな目をこすりこすりしながらひとみちゃんは立ち上がった。
そのへんに放り投げてあった服を身に着けて、大きなあくびをひとつ。

「ふぁ〜あ〜。で、練習って何をどうやるのぉ?」
「とりあえず私が何か買うフリをするからいつものとおりやってみて。あ、ここにレジがあるつもりでね」
「ふぇーい」

それから私たちはレジごっこ、じゃなくてひとみちゃんのためにレジの練習を始めた。
バイトの人たちに買ってもらったお菓子の山の中から、適当なものをひとつ手に取って
ひとみちゃんの前に差し出す。

「梨華ちゃんってガルボのオレンジ味まずいって言ってたよね?食べるの?」
「食べないわよ〜。これは練習でしょ!たまたまそこにあったから掴んだの」
「そっか、よかった。梨華ちゃんに食べられちゃうかと思った」
「もうっ、ひとみちゃんってば〜」
「えへへ〜」

舌を出して頭をかく仕草も可愛いんだから。
眠いせいかいつにも増して喋り方が舌足らずだし。
こんな店員さんだったら、お釣りを間違えてもお客さん許してくれるかもね。

「い、いらっしゃいませ〜」
「ピザまんをひとつください」
「梨華ちゃん、まだ肉まんの季節じゃないよ」
「ど、どうせそのうち冬になるんだから事前に練習しておくの!」
「そっか、わかった。えっと…二百円のお返しでーす」
「ありがとうございました、は?」
「あっ、あり、ありがとうござーました」

ペコリと頭を下げるひとみちゃんって可愛すぎだわ。
レジのやりとりもだいぶスムーズになってきたし、なかなかいい感じね。

「ねぇ、梨華ちゃん。もう練習はこれくらいにして寝ない?」
「ダメよ!せっかく今いい感じなんだから。ね、ひとみちゃん。もう少し頑張ろうね〜」
「……ねむぅ」




そんなこんなで外が薄っすらと明るさを取り戻すまで、私たちの練習は続いた。
ひとみちゃんは半分寝ていたけど、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が
言えるようになったことは大きい。
きっと店長さん他もびっくりするだろうな。ああ、早く練習の成果を見せてあげたい。

「り、かちゃ…もう限界。ねりゅ…」
「ひとみちゃん頑張ったね〜。じゃあ一緒に寝ようか」
「お…やす…み…」
「はい、おやすみ〜」

ベッドに倒れこむひとみちゃんの横に寄り添うと突然携帯が鳴った。

「はい。ひとみちゃんの携帯です。あ、おはようございまーす。え?今からですか?」

電話の相手はコンビニ店長の中澤さんだった。
今日のシフトに入る予定だった飯田さんが風邪を引いてしまって、急きょ休むことになったらしい。
手が足りなくなったから代わりにひとみちゃんに出てほしいとのこと。

「それが…ひとみちゃん、今ちょうど寝たところなんですよ」

スヤスヤと眠るひとみちゃんの髪を撫でる。
さすがに今からバイトに行かせるのは可哀想だからやんわりと断ろうとしたんだけど…





「え?時給3割増し?」





ひとみちゃんの髪を撫でていた手が止まる。

「5分で行かせます」

中澤さん一人じゃ大変だし、困ってるときはお互い様よね。
それにせっかく練習したんだから、忘れないうちに実戦でも慣れておいたほうがいいし。
コンビニの真上に住んでいるひとみちゃんだから、いざっていうとき
すぐに駆けつけられるってことで雇ってもらえたわけだし。

すぅっと息を吸い込んでひとみちゃんの耳もとに顔を寄せた。

「ひとみちゃん起きてえぇぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!!!!」
「うわあああああぁっ!今度はなに?!なに?!なんなんだよぉぉお!?」

再び飛び起きたひとみちゃんにバイトに行くように告げるとたちまち泣きそうな顔をされた。
でもね、ひとみちゃん。今行かずして、いつ行くの。3割増しなんだよ?!

「あたし全っ然寝てないんだけど…」
「いいから早く支度して。これ着替えね」
「なんで勝手に行くなんて言うのさ…」
「あっひとみちゃん、ここのとこ髪はねてるよ。直してあげるからじっとしててね」
「行きたくないよぉ…」
「はいOK!ひとみちゃん今日もカッコイイ!!行ってらっしゃーい」

寝起きでふにゃふにゃしていたひとみちゃんを送り出したら急に睡魔が襲ってきた。
ひとみちゃんの温もりが残るベッドに潜り込んで軽い充実感とともに目を閉じる。



「とりあえず、私のやるべきことはすべてやったわ」


ひとみちゃん、おやすみなさい。お仕事頑張ってね…。










<了>


いしよしページへ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送