灯りのともった部屋がそこにあったからわたしは






 アパートの前に止まったトラックが荷物をどんどん吸い込んでいく
何度も何度も階段を往復し、汗だくになってダンボール達を運び出す
わたしはそれをさっきからずっとガラス越しに眺めている。


 引っ越すのはわたしの部屋の真上に住んでいる人、ただそれだけ
会えば挨拶を交わしちょっとだけ話す、ただそれだけの関係
ただそれだけなのに彼女の灯りはわたしの心のよりどころになっていた
それも今日で終わり。
彼女が引っ越した後、きっと誰かがそこに引っ越してくるだろうけど
その人が彼女の代わりにはならないことをわたしは知っている。
だからこんなにも溜息をつきたくてしかたないのだ
否、もうすでに溜息は止まることを知らない
そしてわたしがこんなにも空虚を抱えているなんてことを彼女は知る由もない。


 彼女の存在を認識したのは彼女が引っ越してきてから三日目のことだった。
前の住人は夜中に掃除機をかけるような非常識な人で友達の来襲も多かった
だから出て行くのを知ったときにはこれからの安息を思って安堵した。
しかし手放しで喜んでいられる日々も僅かだけだった
一ヶ月後には新しい人が越してきて、わたしの憂鬱は少しだけ復活した。


 そんなわたしだったから
きっと彼女の中でのわたしの第一印象はいいものではなかっただろう。


「今度、201に越して来た吉澤です。
 挨拶遅くなってすいません、これからよろしくお願いします」
「あぁどうも藤本です」
「これ、よかったら」
「あー、どうも」


 律儀な人だなぁとは思ったけどそれ以上の気持ちは起きなかった。
よろしくやるつもりもなかったし
こっちが不快に思うことをしたら分かってるだろうな、くらいの勢いだったし
不機嫌丸出しの対応は嫌われて当然だったはず。


 なのに彼女はいつだって爽やかに挨拶をくれ
危惧していた騒音等の問題も皆無だった。


 わたしはいつの間にか彼女に嫌悪感よりも好意を抱くようになっていた。


 だからと言ってふたりの間に何かが芽生えるはずもなく
わたしたちは同じアパートの住人である以外のなにものでもなかった。



 そういえばいつの頃からかキレイな女の人がよく彼女の部屋を訪れるようになった
その人はわたしを見るといつでもとても可愛い笑顔で会釈してくれた。
並んで歩く姿を見たときはそこだけ切り取って永遠にスクラップしておきたいと思ったくらいに
なんともロマンチックだった。




 わたしの毎日は彼女の日々と交わることはなかったけれど
だけどもふたりの日常はいつでも同じ場所にあったように思う。
わたしの錯覚かもしれないけれど、確実に錯覚だけど
それでも確かに存在していたと確信している。


 というのも、帰って来たとき彼女の部屋に灯りがあると嬉しいのだ
「ただいまー」と返事が返ってくることがなくても声にする
返事などなくたっていいのだ
ひとり暮らしであってそうでない感覚がそこにあるから。
寂しい時、辛い時、どうしようもない時
そんな時には友達に電話したり会いに行ったり親に連絡してみたり
だけどそこまでじゃない時
なんだか寝付けない夜だとか
そんな時に彼女がそこにいると思うと安心したりするのだ
おかしなことだと思う
全くおかしなことを言っていると思う
思うけれどそうなのだから仕方ない。

 彼女が帰って来たときには
聞こえるはずもないのに「おかえり」を言う
それでいいじゃない、それが心地いい
そういうのがあってもいいと思う。





 昨日の夜、彼女がわたしの部屋の扉をたたいた
これで二度目。


「上の吉澤です、こんばんは」
「こんばんは」
「あのー、明日引っ越すんで」
「あっそうなんですか」
「はい、今までお世話になりました」
「いえいえ、わたしは何も」
「明日、朝早くからうるさくしちゃうと思うんですけど」
「大丈夫ですよ」
「で、これ。よかったら食べてください」
「ありがとう」
「じゃ」
「はい」
「おやすみなさい」
「おやすみ」



 彼女がくれたのはプリン、どうやら手作りらしい
引越し前日にプリンを作るなんて彼女も相当ヘンテコだ
だけどそれが微笑ましくってシアワセな気分になった。

 ふと、彼女のところによく訪れるキレイな女の人の顔が浮かんだ
あぁそうか、きっとその人が作ったんだなと思った。
前に料理が上手で特にお菓子作りは天才的だと話してくれたことがあった
その時の彼女の顔はとても誇らしげでいい顔をしていた。

 その顔を思い出してシアワセな気分が増量した。

 彼女が言うようにそのプリンはとても美味しかった
後で、も一個食べよう。




 外でトラックが大きな音をたてた、いよいよ出発らしい
窓から外を見て、走り去っていくそれにわたしは「バイバイ」と手を振った。





“ ピンポーン ”




 せっかくセンチメンタルに浸っているのに邪魔するなんてどこのどいつだ
どうせセールスだろう、居留守を決めこむ。



“ ピンポーン ”
「あれ、いないのかなぁ」


 ドアの向こうに聞こえるさっき見送ったはずの声
慌ててドアを開ける
インターフォンなんてものは無視。




 これで三度目。




「あっ」
「あっ」
「どうも、こんにちは」
「こんにちは。あれ?トラック」
「あぁ、先行ってもらったんです。ほらあたし原チャあるんで」
「あーそうなんだ」
「はい。新居もここからそう遠くないんで」
「へー、じゃあ偶然会うことあるかもしれないんだ」
「ありますね。もし見かけたら声かけてくださいね」
「吉澤さんも」
「はい。あーあと、どうしても言いたいことがあって」
「うん?」
「えっと、あの、ありがとうございました」
「へ?」

「あーそうですよね、えっと、なんていうか、あの。
 ここに来た最初の頃あたしひとりで暮らすことに訳もなくちょっとビビってたんですよ
 それまで、なんつーか騒がしい中で暮らしてきたんで。
 んで、たまに寂しいなーとか思ってて
 でも藤本さんと何度かちょっとだけだけど話したりするようになって
 ひとりじゃないんだーって思えたんですよ。
 そしたらそういう寂しさも感じることがなくなってきて
 ひとり暮らしも楽しくなったんですよ。
 あー、あたし何言ってんだろ、すいません」

「ううん。嬉しいなそう言ってもらえると」

「本当ですか?いや、あの、あたしも嬉しいです。
 帰って来たとき藤本さんの部屋の灯りがついているのを見ると
 真っ暗な自分の部屋に向かってただいまを言っても虚しくないんですよ。
 ホントおかしな話なんですけど。
 でもマジで心の支えっていうか、そんなん勝手に思われても困ると思いますけど
 だから、あの、ありがとうございました」


 こんなに喋る彼女を初めて見た
最後にこんな姿を見れたことがとっても嬉しかった。
それと‥‥。


「わたしも同じ。だからありがとう」


 彼女と同じ気持ちだったことが何よりも嬉しかった
こんな素敵なことがわたしの毎日に起こっていたなんて。


 わたしの差し出した手に彼女の手が重なる。
最初で最後の握手。



 ありがとうとさようならの握手。



「またいつかどこかで」
「はい、またどこかで」



 またわたしのひとり暮らしがはじまる
それもまぁいいかって思った。


 そんな秋の日の出来事ひとつ。











毎日そこにある日常の小さなシアワセみたいなものをトクベツではなく淡々と感じているというのを伝えられたらと思って書きました。それと同時に自分の意識していないところで他の人の生活に交わっていることってあるよなーと。ロテさんのサイトに載せていただけるということ、とても光栄に思います。今後も仲良くしていただけたらなーと考えております。共に「みきよし」の普及活動頑張りましょうね。 (2005/10/30)

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