蒸しパン






 「二十歳の誕生日って言ってもさあ」
 吉澤の声がキッチンから聞こえてきた。吉澤はキッチンの角の部分を使って
生卵を割っているところだった。

 「うん」と美貴は答えた。

 「なんつうか、あんまり実感とか湧かないんだよね」吉澤は言葉を続けながら、
引き出しからボウルを取り出して、その中にホットケーキミックスとサラダ油と生卵を入れた。

 「うん」と美貴は肯いた。

 「だって昨日と今日とでなにかがどーんと大きく変わるわけでもないし」
吉澤はそう言いながら、泡立て器を使って、ボウルの中身をよくかきまぜていく。
かしゃかしゃかしゃ。

 「お酒を飲めるようになるとか、たばこを吸えるようになるっていうのも、
実際はあんまり関係ないじゃん」吉澤は冷蔵庫を開けて、ミックスベジタブルの
袋を取り出した。スイートコーンに、グリーンピースに、細切れのにんじん。
「選挙にしたって明日あるわけでもないし」

 「そうだね」

 「あっ、でもさ」吉澤は冷蔵庫からチーズの塊を持ってきて、まな板の上に
置いた。包丁でチーズを細かく切っていく。「あたしは誕生日なんて嬉しくないとか、
そういうことを言ってるんじゃないよ。なんだかんだ言ったって、自分の誕生日は
特別な日だよね、そりゃ。自分だけの日だもん。クリスマスだって誕生日には
かなわないよ。クリスマスの世間的な盛り上がりは認めるけど、しょせんみんなが
横一線でお祭り気分を味わってるだけだとも言えるじゃん。べつにクリスマスを
悪く言うつもりはないけど」

 「まあ、そうかもね」

 「ま、そんなこと言ったら、誕生日だっていろんな人とかぶってるわけだから、
自分だけの日というのはおかしいかもしれない。4月12日もあたしだけの日
じゃないもんね。広瀬香美やアメリカの第3代大統領だって今日が誕生日なわけだし」
吉澤はミックスベジタブルと細切れのチーズをボウルに入れた。同時にステンレスの
蒸し器に水を入れて、ガスコンロに火を付けた。

 「へえ、そうなんだ」と美貴は言ってから、アメリカの第3代大統領って
いったい誰で、どんな人なんだろうと思った。そもそもいまは第何代の大統領なんだ?

 「だけどさ、それでも誕生日はとても個人的なものだし、特別な日だよね。
同じ誕生日の人がいくらいたって、その日にほかの誰でもない自分が、お母さんの
からだからこの世界に出てきたんだから。特別な日だよ」
 吉澤は型紙をまな板の上に並べた。

 「そうだね」と美貴は肯いてから、つけ加えて言った。「えーとごめん、話の腰を
折って悪いんだけど、やっぱりさ、わたしもなにか手伝うって。さっきも言ったけど」

 「まあまあ。いいからいいから。あせらないあせらない」吉澤はくすくす笑った。

ボウルの中身を型紙に流し込んでいく。「そこに座っておとなしく待っててよ。
もう少しでできるからさ」


 美貴はため息をついた。

美貴は何度も手伝うよと言ったのだ。なのに吉澤はそれを断って、ひとりで
楽しそうに蒸しパンを作っている。自分の誕生日にひとりで蒸しパンを
作ることは、そんなに楽しいことなのだろうか。美貴の理解を超えている。
不思議でしょうがなかった。

 もっと言うなら、プレゼントとケーキを買って持っていくという申し出を
断わられたことも(「うん、プレゼントもケーキもいらないって。12日に手ぶらで
うちまで来てくれたらそれでいいから」)、美貴には理解できなかった。
せっかくの誕生日なのに、プレゼントもケーキもいらないだなんて。
不思議でしょうがなかった。

 そしてなにより不思議なのは、二十歳の誕生日だというのに、吉澤が他に何の予定も
入れずに美貴と2人で過ごしているという、いまのこの状況だった。吉澤の交友関係
からすれば、誕生日を祝ってくれる人は他にもたくさんいるはずなのに。

 まあいいか、と美貴は思った。よっちゃんが楽しいのなら、それにこしたことは
ないよな。なにしろ今日はよっちゃんの誕生日なんだから。



 「要するにさ」吉澤は言って、水が沸騰して蒸気をたてている蒸し器の中に、
型紙を慎重に入れた。「誕生日そのものは、特別で、おめでたい日だと思うんだ。
でもね、20回目だからより特別で、よりおめでたいってことではないんじゃない
かなってこと。19回目も21回目も、20回目と同じくらいおめでたいんだよ、
原則的には」

 「まあ…そうかもしれないけど」と美貴は言った。

 「わかってもらえた?」吉澤は楽しそうに笑った。

 「わかったと思う」と美貴は言った。「……そんであの、ひとつ確認したいん
だけど、わたしはいま、よっちゃんの誕生日をお祝いしに来てるんだよね?」

 「あったり前じゃんか」吉澤は少しむくれた声を出した。「あのねえ、
自分の立場くらいわきまえてくれたまえよ藤本くん。ほんと、頼みますよ」

 「…そうだよね。ごめんごめん」美貴は謝った。それからふと思った。
わたしはここでなにをしているんだろう。どうして友だちに謝っているんだろう。

 「さてと」と吉澤は言って、手をぱんぱんと叩いた。「あとは待つだけ。
できあがったら紅茶を入れて持ってくから、そのままそっちの部屋でTVでも
見ながら待っててよ」




 「で、さあ」美貴はテーブルの向かい側に腰をおろした吉澤を見た。にこにこ
笑っている。「作ったのは、ほんとに蒸しパンだけなんだ」

 「うん」吉澤は答えた。「美味しそうでしょ?ミックスベジタブル入りだから、
身体にやさしい。栄養もたっぷり」

 美貴は視線を落として、目の前に置かれている、ふっくらとふくらんだ
できたての蒸しパンを見た。たしかに美味しそうだ。こはく色をした紅茶の
入ったカップがその隣で湯気をたてている。

 「さっきさ」と吉澤が言った。「誕生日は特別な日だけど、『二十歳の誕生日』
ってとこにはあまり意味がないって言ったじゃん」

 「うん、言った」美貴は答えた。

 「でもさ、ひとつだけ意味があるような気もするんだ」

  どっちだよ、とつっこみたかったけれど、美貴は我慢した。

 「これって、なにも根拠のないあたしの予感なんだけどね。あのさ、これから
5年だか10年だかわかんないけど、何年か経った後に、誰かになにかのきっかけで、
『吉澤さんって、二十歳の誕生日はどう過ごしたの?』って聞かれるような気がするんだ」

 「うん」

 「そこで問題になるのは、『二十歳の誕生日』ってとこだと思うんだよね、
やっぱり。十九歳とか二十一歳とかじゃなくて、二十歳の誕生日に何をしていた
のかってことが話のポイントになると思うんだな、そこは。
 でね、その問いに、あたしはこう答えたいわけだ。『二十歳の誕生日ですか?
ええ、藤本美貴って人と一緒でした。でも特別なことはなにもしませんでした。
ケーキもなし、プレゼントもなし。あたしは自分で手作りの蒸しパンを作って、
2人で紅茶を飲みながら、ふつうの日みたいに馬鹿話をして過ごしたんですよ』って」

 吉澤は続けて言った。

 「それって、すげーいい答えだと思わない?『カッコ良くて背の高いコイビトと
一流のレストランでムードたっぷりに過ごしました』とか、『目ん玉飛び出る
くらいに高価いプレゼントもらいました』とか、そういう答えよりずっと素敵だと思わない?」

 「うーん、まあ、人それぞれだと思うけど」少し考えてから、美貴は言った。


 美貴の言葉が聞こえなかったかのように、吉澤は続けて言った。
 「とにかくさ、あたしの二十歳の誕生日はもう二度と来ないわけだけど、あたしは
これから先ずっと、『二十歳の誕生日に、藤本美貴って人と手作りの蒸しパンを
食べたんです』って胸を張って言えるわけだよ。それってあたしにとって、ものすごく
大事なことなんだ。つまりね、あたしはそれくらい美貴が好きなんだってこと。
わかってもらえた?」

 美貴は眉をよせて、吉澤が言った言葉の意味を考えてみた。わかるような気もするし、
わからないような気もする。最後の方になにか大事なことを言われたような気もするし、
空耳だったような気もする。

 美貴はしばらく口にすべき言葉を探した。そして言った。「わかったと思う」

 「よかった」と吉澤は言って、にっこりと笑った。

 「二十歳の誕生日、おめでとう。吉澤ひとみさん」と美貴は言った。


 それから美貴は蒸しパンを食べた。甘くて、ほくほくしていて、美味しかった。




   おわり






 ふだんは飼育の隅っこでこっそりと書いている者です。
 図々しくも吉澤さんの誕生日ものをロテさんに送りつけてしまいました。「このサイトを見て書きたくなったものだから、このサイトにぜひとも掲載してくれ」というこちらの突然で一方的な申し出に快く応じてくれたロテさん、どうもありがとうございます。
 いろいろ考えているうちに、「誕生日なのになぜか蒸しパンを作るよっちゃんさん」が頭に浮かんだので、それを書いてみました。読みなおしてみると、吉澤さんは誕生日についてうだうだ話すだけだし、藤本さんはそれにうんうんと肯いているだけの話のような気もするんですが、そこがわりと(自分では)気に入っているところでもありますw(2005/4/12)

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